Arts Calendar/Art's Report site/《FUKUI EIICHI no towazu-katari》Beauty falls in drops.

3 

「アメリカを魅了した韓国陶磁展(大阪市立東洋陶磁美術館)」

ニューヨークのメトロポリタン美術館で展観され、
アメリカ人を嘆息せしめた韓国陶磁の凱旋企画展。
名品群を前に、何故か頭に浮かんだのは、
かの岡本太郎(惜しくも故人)が愛した縄文式土器
だった。
火焔となって迸るあの情念に比べて、会場に居並ぶ陶磁の
静かさといったら!
しかし、単なる静謐ではない。
内から漲るエネルギーがギリギリのところで均衡している、
そんな印象が強い。破衡の前の小休止、騒乱の前の
静けさと言うべきか。表面張力の極でとどまる水滴の様だ。

優れた仏師は、石材を刻んで仏を造るのではなく、

石に埋もれた仏をノミを使って掘り出すのだという。

では、優れた陶芸家は、逸品を何処から掘り出すのか。

虚空から? 無から?

いや、既にして「かたち」は在るのだと私は思う。
我々に見えないだけなのだ。掘り出されるのを待っているのだ。
そして、その目に見えない「かたち」に陶磁を貼り付け、作品という
実在に仕立て上げるのが、名人の営為なのだろう。

陶芸家は、透明人間にペンキを塗るのと同じ心境で

作品に向き合うのかも知れない。


福井栄一の問わず語り」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室