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「第58回桂米朝独演会」

サンケイホール(大阪・桜橋)の名物、桂米朝独演会は二席。

まずはお得意の「どうらんの幸助」。
「どうらん」とは「胴乱」と書き、薬などを入れて腰に下げる四角い袋のこと。
題名に出てくるのに、実際の噺の中には登場しないから不思議。
三度の飯より喧嘩の仲裁が好きという幸助さん。浄瑠璃「桂川連理柵」に登場する
嫁いびりの一節を稽古屋で聞きつけて、
「俺が仲裁せねば」と三十石船で京へ急ぐ。
舞台と思しき帯屋に飛び込み、番頭を締めあげると「それは、俗にお半長というて、
浄瑠璃の話。主人公の二人はずっと昔に心中してしまいましたがな」。
幸助さんがくやしがり、
「何、心中した? しまった、遅かった。汽車で来たらよかった」。

観客に浄瑠璃の素養が殆どない今日、前半でよほどしっかり
基本知識を「すりこみ」をしておかないと、
反応がサッパリという事態に陥る。
自身素養がない若手が演じるとこのあたり却って「浮く」が、
古典芸能に通暁する米朝はこの辺りも堂に入ったもの。
興がのったのか、稽古屋の場面では、きちんと一節、
語ってくれた。

後半は、五年ぶりに高座にかけるという「怪談市川堤」。
姫路の市川堤で、前妻お紺に出くわした治郎吉は、
後ろ暗い過去の露見を恐れて、川でお紺を惨殺。
その夜、寝酒をあおって寝入った治郎吉を苦しめるのは、
さきほど斬られた傷も生々しいお紺の幽霊。
「さも、恐ろしき執念じゃなあ」。

怪談噺というのは、話し手の品性を如実に顕わす。
相手を怖がらすことばかりに気をとられると、
こけおどしばかりの下品な噺になり下がる。
この点、米朝は抑制された語り口でジワジワと怖さを盛り上げる。
「泉鏡花」的な絢爛たる妖しさというより、
「今昔物語」的な古拙の不思議さというべきか。

趣を異にする大ネタ二席をサラリとしてのけた米朝。

人間国宝に老いは無縁のようだ。


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