Arts Calendar/Art's Report site/《FUKUI EIICHI no towazu-katari》Dark passage

vol.16

「大妖怪展」

納涼に最適なのが「大妖怪展」(大丸ミュージアムKOBE、大丸ミュージアムKYOTO)。

異形の付喪神、妖怪、幽霊たちが跋扈する絵巻物、民俗資料を見るにつけ、
心の奥底の恐怖や畏怖にカタチを与え続ける人間の情熱に驚かされる。
目に見えないものを見えるものに転化させること、
それが芸術の最強の動機なのだ。

案の定、会場には水木しげるの作品も並んでいたが、
そこに登場する妖怪たちはあまりにも擬人化され飼い慣らされ過ぎていた。
このため、我々の先祖たちが描き出した無邪気な、それだけに何をしでかすか
分からない恐ろしい物の怪たちの魅力には及ぶべくもなかった。

数ある展示物の中でも一番人気は、陳列ケースに収められた人魚と河童のミイラ。
人魚のミイラにはご丁寧に髪の毛まで残っていて、
黒くポッカリと空いた眼窩と口腔には、
いい大人でもゾクッとさせられる。
真贋は別にしても迫力満点である。
一方、河童のミイラはどこか珍妙。
かわいいと指さして喜ぶ小児すら居た。
河童も立つ瀬があるまい(無論、河童だから、瀬では立たずに泳げば良いのだが)。

ここで、各作品に込められた妖怪への屈折した愛情に目を奪われる余り、
看過してはいけないことを書いておこう。
それは妖怪を描けば描くほど深まる闇のことである。

確かに不思議な現象や薄気味悪いものにカタチを与えると、
その当座はほっとする。安心出来る。
理解可能な範囲に引き入れた気がするから。
しかし、皮肉なことに、光が強くなればなるほど、その先の闇は濃くなる。
描けば描くほど、本当に知りたいこと、白日の下に晒したいことは一層、
「向こう側」へ逃げてしまうのだ。
どんどんと解明が進んできたと思っているのは我々の誤解で、
実は世界はますます謎めいてきているのではないか。

地球の裏側の事件は瞬時に知り得ても、家族の心の闇なぞ知る由もない
現代人・・・我々に一体、何が分かっているというのか。

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無断転載禁止 掲載:アーク編集室