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vol.12

「リプリー」(梅田・松竹ピカデリー)

梅田・松竹ピカデリー他で上映中の「リプリー」。

言わずと知れた名作「太陽がいっぱい」(アラン・ドロン主演)の原作のリメイク版である。

ミスキャストと思われたマット・デイモンの意外な健闘、
ジュード・ロウの佳演、
ホモ・セクシュアルな薫り・・・
各紙誌のどの評を見ても、
この三点が繰り返し叫ばれているだけなのであることにひどく驚かされた。
画一的な評論の羅列ほど、不気味なものは無い。

従ってここでは、いまだ指摘されていない点を幾つか挙げておく。

第一に、ハリウッドの相も変わらぬイタリア人蔑視。
本作に登場するイタリア人は、みんな粗野で無知で無節操で
英語が下手とくる。「イタリアの男性=女と見たら直ぐ口説く、
イタリアの女性=男と見たら直ぐ色目を使う」という安直な構図から
なぜ抜け出さないのか。

第二に、準主演の女性達の描き方があまりにぞんざいなこと。
グウィネス・パルトロウ、ケイト・ブランシェットという、
今をときめく藝達者二人を起用しながら、
彼女達が演じるマージ、メレディスは
主人公トムの単純なトリックに翻弄されるだけのひたすらに愚かな女。
キューブリックを思わせるサディスティックな仕打ちだ。

第三に、ラストのインパクトの弱さ。深い余韻を残すことと、
曖昧な解釈を許す中途半端なエンディングとを誤解してはいけない。
観客のほぼ全員が「太陽がいっぱい」の鮮烈なラストを頭に置いて
(と言うか、頭から永遠に離れないのだ)本作に対峙するのだから、
こうした腰砕けは一種の背信だろう。

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