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vol.34

「茶の湯の器」(萬野美術館)

茶人・山上宗二は、茶室に於ける「数寄の雑談」を称揚し、
「世間の雑談」を戒めた。
「世間の雑談」とは、夢庵がいみじくも三十一文字にまとめた様に、
「わが仏 隣の宝 婿しゅうと 天下のいくさ 人のよしあし」である。

しかし、いくら「数寄の雑談」に華が咲いても、粋人達の手から手へと渡され、
その度毎に賞翫される「器」(うつわ)なくして、
茶の湯の何が楽しかろう。何が美しかろう。

桃山時代は不思議な時代だ。
志野、織部・伊賀など、作風のかくも異なる茶陶が、
憑かれた様に次々登場した。
豪壮にして華麗。枯淡にして瀟洒。
両極を往来しながらとどまることを知らない。
むしろ、その往還の振幅の大きさを楽しんでいる風情すら有る。
美の巨人・怪人達の百花繚乱を見せつけられ、突飛な連想だが、
欧州の後期ロマン派音楽を思い出した。
かの時代、互いに申し合わせた様に時期をほぼ同じくして、
F・メンデルスゾーン、F・ショパン、F・リストなどの巨匠が誕生している。

「孤高の天才」とは誤ったイメージで、
実は天才は群れを成して登場するものなのか。
ならば、二十世紀は端境期だったのか。

悩める現代人を尻目に、桃山の名品達は、

何とも涼やかに佇んでいた。


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