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vol.82
「嵐徳三郎さんを偲ぶ会」(大阪松竹座)
歌舞伎俳優・嵐徳三郎丈が急逝した。昨年12月5日のことである。
昭和8年12月20日サラリーマン家庭に生まれた彼は、
昭和31年3月日本大学芸術学部演劇学科を卒業し、
翌月、大阪・中座にて大谷ひと江で初舞台を踏んだ。
史上初の学士俳優と騒がれた。
藝への苛烈な思い入れと精進で数々の賞を受賞、昭和46年2月には、
大阪新歌舞伎座にて大谷ひと江改め七代目嵐徳三郎を襲名した。
「素人さん」上がりの彼が、上方歌舞伎の大名跡を襲名出来たのは、
ひとえに彼の実力ゆえであるが、蔭で彼を盛り立て続けた十三代目
片岡仁左衛門(現・仁左衛門の父)の厚情も忘れてはならないだろう。
襲名後は、上方のこってりとした匂いを感じさせる希有な女形として
藝に一層磨きがかかり、「忠臣蔵九段目」お石、「雁のたより」お玉、
「封印切」おえんなどでも名演を残した。
彼の役者魂は歌舞伎というフィールドを超えても燃えさかった。
その典型が蜷川幸雄演出の「王女メディア」である。
彼は、歌舞伎で培ったエロキューションを駆使して主役のメディアを
見事に演じきり、海外でも絶賛された。英国ローレンス・オリビエ賞
最優秀主演男優賞にノミネートされたことは記憶に新しい。
「これからは年齢にあった役柄を演らせてもらって、ボチボチやって
いけたら、人生のおまけ」と語っていた徳三郎丈。
「おまけ」を楽しむ時間を殆どとれないままに、名優は逝った。
合掌。
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