Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Piccolo Theater-family
249.
8/4(土)
兵庫県立ピッコロ劇団ファミリー劇場『選ばなかった冒険〜光の石の伝説』
ピッコロシアター大ホール(正式には兵庫県立尼崎青少年創造劇場というのだが、この名前を知っている演劇人は少ないだろうな)へ。細い川面にはびっしりと藻が生えてそれがゆらゆらと暑さで動いていて、何か奇妙な竜のようだ。
兵庫県立ピッコロ劇団ファミリー劇場『選ばなかった冒険〜光の石の伝説』。
13:07に予鈴が鳴って携帯電話などの注意。12分間の休憩があって終わったのは15:19。かなり長いお芝居だけれど、始めにゲームがあるし、途中にも、舞台にあがったりできる楽しみタイムがあるので、小さな子たちも飽きたりしていなかったみたいでよかった。
課外授業的に集団でやってきた制服姿の女子高校生(中学生なのかも知れないが)たちも舞台に上がってなかなかに楽しそうだ。知的障害者のグループも引率されてやってくる。台本・演出の秋浜悟史さんと彼ら彼女たちが握手しているので、ピッコロ劇団ときっと交流がある施設のメンバーさんたちなのだろう。途中で面白いところにくると、素直な反応が声になっていた。
原作の岡田淳さんも夫人と一緒に私の隣に座っていた。最後に舞台にあがって紹介される。
なにせ、ピッコロ劇団は1994年4月に結成されてまもなくに、95年1月の阪神淡路大震災に遭遇。被災した子どもたちとの交流は練習なしの本番ばかりだから、その体験は過酷だっただろう。
傷ついた子どもたちとの接触は、きれい事だけではすまされない貴重な財産をピッコロ劇団に結果的にもたらした。そして、演劇は災害に何が出来るかについてこれから語られるときに常にその活動が参照されることになったわけである。
その彼ら彼女たちが子どもたちを舞台の両側の細い花道にあげている。始まる前から、ゴリラになったり炎になったりして、向かい側の子どもたちとやりあっている。実に自然な感じだ。休憩の時には、お絵かきすることができるようにもなっていて、子どもたちは夢中で絵を描いている。
すぐにお芝居を始めるのではなく、まず、ジャンケンを会場とする。次は「船長さんの命令」という遊び。そして、「初めの第一歩(だるまさんがころんだ)」で会場をほぐす。それから、お芝居が始まる。途中でも、戦士になるための訓練があって、子どもたちはまた舞台に昇って匍匐して安全、とか、抜き足差し足忍び足をする。
美術:加藤登美子。保健室への廊下に黒白の敷物が伸びて、敷かれていたボードがタイトルになったり、冒険の始まりを示す舞台美術へと自在に動かされる。この辺りも移動劇場での経験が生かされているのだろう。客席の前から1/3ぐらいの通路もよく活用される。子どもたちは舞台以外の所に、お兄さんやお姉さん、武器を持った戦士や袋ハリネズミたちが登場するのが、やっぱり嬉しいのだろうなと思う。
美術の話に戻ると、装置は大きなエッシャー的な階段。これで、光の石のある祭壇までの距離が作られるし、様々な闘いに変化をもたらすことができる。
さて、冒険を最後になって選ばなかったあかり(谷山佐知子)と、学(石本興司)。その学校の様子は子ども中心に描かれている割にどこかうつろな感じがする。担任の吉田先生役の秋本二葉はいつもドジを演じ(バケツに足を突っ込んだりプールに入り込んで足をくじいたり)るだけ。生徒とはちゃんと交流したりしないままに、演技している先生を演技していることをふざけているばかりである。
ここにも、きちんと「いじめ」は描かれていて、どうして八田くん(草光純太、役立たずの袋ハリネズミのハリー役でもある)は、そのいじめっ子3人組へとわざわざいじめられに行くのだろうと、学はフシギである。
でもこの3人も半端でないワルでもなく、こういうことは結構あるよな、という学級会の状況だったりする。八田くんが良い子ぶることをクラスのみんなも知っているし、その八田くん自身がそれを自覚して意識的にいじめられているとも考えられる。いずれにせよ、賢く事件を未然に防止しようとする自動装置が発動しているような、何だかあやういバランスの世界だ。
RPGもそんなには熱中することはもうない。役割ってそれはゲームだけの世界だし、学校ではいじめられる役とかをしている子はいるが、みんなは何も特定の役割があるわけではないことをよく知っているからだ(余り遠い昔でない時に愛国少年という役割以外は選択できなかったことなど絶対に信じられないね)。
校長先生も保健室の先生もただゲームのキャラ以上でも以下でもなく、無意味に保健室で布団にくるまっていたりする。きっとそういう役割って大したことではないことは子どもたちも大人たちももう分かっているぐらいには日本も成熟している(問題は役割を外したあとのことだ)。
戦闘シーンや歌ったり動いたりシーンも多かったが、こうしてそのストーリーや演出を振り返ると脳天気なだけの子供だましのお芝居ではなく、どこかさめた子どもたちと大人の間をすーっと結ぶある空気を痛いほど感じることのできる作品だった。そんなことまで感じさせてくれるのも、第一に役者が楽しく子どもたちと交流できるマインドとノウハウを身につけているからには違いないけれど。
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