Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Tsuyama Art Festival-2

312.
1/27(日)
2002『つやま芸術祭』訪問記〜「Nice Trip-時の記憶をめぐって」ほか(その2)


さて、「Nice Trip-時の記憶をめぐって」だ。最小限の小道具しか用いず、若い田中敦子の「眠るけむり」などと同様に、すべてこの町家の空気と時間を記憶する空間の力をいただいてのパフォーマンスだった。

少し西に行ったところに昔の丸いポストが東に少し傾いて立っている。ここから、今日1日だけのTripが始まった。11時半、ちょうど雨が強くなる。

古着屋で買っていたロングワンピースにマフラーをぐるぐるまいて小暮はながそこに立った。傘は折り畳み傘で無造作な感じがする。アカペラで「空のひと」、そして宮澤賢治の詩から「そらには・・・・」の一くさり。少し雨が小降りになる。きちんと映像を撮る井手さんという人がいるから、観客はごく少数だがこれで朝は十分だろう。

もっと西側の街道から、laftのメンバーの一人、小柄な在津明美が足取りを確認しながら歩いてくる。白い衣装、髪も白っぽいカツラ。明治の洋装の人のような時代感覚を創っている。セーターの毛糸が少し垂れているが、これは後ほど活躍する。
街道にて、在津明美とはなとが重なる。ちょっと無言劇みたい。在津は、歩くダンスのまま、城東むかし町家へ入っていく。

替わって朗読の岡山万里が町家の入り口のすぐ横に立つ。白いセーターにオーソドックスなスカート。
円谷マラソンランナーの有名な遺書を読む。声が通る。
彼女は大原美術館の学芸員さんでもあって、明日には休館日を利用したまるごと小学校を大原美術館本館全体で行うそうだ。私も以前にお会いしているのだが、朗読者と学芸員の間にイメージのギャップがあって、今朝少し混乱した。

少し南へ行くとすぐに吉井川だ。この道沿いは江戸時代には飛脚が走り船宿があった。飛脚寿司という名前のお寿司屋さんは、もともとこの街道で飛脚イベントを実施したのがきっかけで、ここに寿司屋を開いたそうだ。でも、なかなかに美味しい天麩羅うどん+にぎりセット(1310円)だった。

12:30から広間ではなが歌う、2つの紙風船を膨らませ畳に置いて。
白鳥、もや、君に捧げる唄、涙でる人。
Laft(5人)のメンバーの一人が贅沢なライブだったと言ってくれる。一番声がよく響く優しい空間だったし、外からの光の当たり具合、かげり具合がよかった。

同じく、この広間で、和服のLaftメンバー、竹林佐恵のパフォーマンス(襖で仕切られた二つを交互に使ったもの)。ダンスという感じはかなり押さえられていて、千羽鶴を並べていくアートパフォーマンスと言うことも出来る。ただ、メトロノームがリズムを刻むので、その一定の間隔に動きが自ずとダンス的な分節化の兆しを示したりもする。観客への見せ方が課題。

仏間で岡山万里の朗読。今回は朗読されるものはすべて遺書(遺稿)である。
冬山で遭難して、助けられる希望を初め10%ほどは持ちながら、徐々に絶望していくさまを日記風に綴られているもの。

無名の人の言葉には寺山修司などとは違う緊迫感が漂う。寺山には最後まで矜持とか衒いがあってそれもまた個性ではあると思ったけれど(吉本隆明だけには負けたくないと最後まで書くとは執着が激しく、それはそれで驚きだ)。

蔵の横の「袋小路」と呼ばれている場所で、はなが歌う。建物が両側にあって後ろは開かずの扉。後ろの扉のそばで歌っていると声がなかなかに届かない。やはり風邪のせいか、音も不安定。短調の暗い情念ぽい叫び系の曲群を歌うという趣向だったが、いくつか課題を残した。

緑の森で顔を洗いましょう/黒いエナメルの傘(メドレー)。涙でる人(激しいバージョン。後半にギターを叩く繰り返しの伴奏があってこれは彼女の成長かも知れない)。そして、ナメコ壁の蔵の前に出てきて「蚊」。これはよく聞こえた。でも、ギターを弾き終わったあとのダンス風パフォーマンスに、観ている方はどんな感じがしただろうか?

岡山万里の朗読。縁側に座って始まり、庭の石に座ったり、しっかりと場所を選んでゆっくりと読む。なかなかに聴きやすい低音の声。遺書(遺稿)の選定は大森さんがかなり関わったそうで、今回の構成・演出には、大森誠一のクレジットが実は欠かせない。

在津明美のダンスは蔵の2階。それまで3つの色の毛糸を蔵の桟かけたりして、少し蜘蛛の巣状態。そこで潜りながらダンスをする。青い毛糸が桟に止まっていてそれがひっかって、ちょっと思い通りにはならなかったみたいだ。
自分の来ているセーターの毛糸をほどいて出ていく。その線が場所をつなぐ仕掛け。

でも、欲張って言えば全体的にLaftの2人には踊りへのこだわりがもっとあってもよかったとも思う。少し美術的な対応が多く、確かにすごくいい空間なので優しく動く気持ちも分かるけれど、身体自体と場所がもっと震え合うことも出来たのではないかと思う。美術よりもダンスの方がこういう歴史的空間とのコラボレーションをする経験がみんな少ないせいだろうし、だからこそこれからも可能性がいっぱいありそうだ。

最後のはなは茶室にて。
小さな音もよく響いて外に漏れる。もっと中に入って欲しかったとはなはいうが、そとでも十分に聞こえてくる。風のうた、宮澤賢治の詩から「お月様・・・」、まぼろし、秘密(これは声が可愛いのでいい反応あり)、涙でる人、川沿いの灯。

蔵の袋小路で岡山万里。初めは前の方で、次に少し中に入り、最後ははなが最初歌った場所へ行く。思ったより声は小さくならず(小さくなったのかも知れないが落ち着いた語りなので)よく届いた。たぶん、古橋悌二の遺書(寺山のもそうだが「遺稿」なのかも知れない)が余りにも強烈だったのかも知れない、身近な世界だけに。

茶室へと向かって竹林佐恵が踊ったのがラストだった。和服がどこか古風で、ここに、昔いた娘さんのようだ。茶室の中で見え隠れ。息子と一緒に来たお母さんが、エロチックねとひとりごちしたのを、聞いてしまった。

やっと雨は上がった。でもずっと寒かった。京都もそうだが町家は足元から寒さが上ってくる。でも、この町家の空気や光の入り方は京都と微妙に感じが違っていて、日本各地の町家を足元から体験することが出来れば、なかなかに趣のあることだろう。

巡回する町家ダンサーって、ありだなあと思った。あるいは踊り町家めぐりツアー。


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