Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Way in the Dark &SYOKUIN-SHITU-2

306.
1/12(土)
アンサンブル・ゾネ舞踊公演『Way in the Dark 闇の中の道』KAVC
&
弘前劇場『職員室 5:15p.m.』アイホール(その2)


【静謐なゴージャス。】
今回のアンサンブル・ゾネのダンス『Way in the Dark』は、そんなフレーズでまとめてしまった。

一人ひとりの踊りを大切にしながらワンシーンが短いのでぼんやり「余所思い」をするいとまがない。だから普通なら短く感じるのに十分な満足感がある。

つまり、中華料理のフルコースを楽しんだのに、でもヘルシーメニューで体重の増加を悔やまなくてもすんでラッキー!というような、形容はめちゃめちゃだけれど素敵な舞台だった。

当日にもらったパンフの「ごあいさつ」には、「いつも自分の中で大切にしてい」ることについて、次のように書かれている。

【自分の住んでいる社会と現実を思い知ること】-(1)
【身体と音と光の本質的な結びつきをねがうこと。】-(2)
【身体を使うのではなく、身体と共に作ること。】-(3)

いままで書いたことは主に(2)に関することだった。では(1)はどうダンスステージに現れているのか?と問うことは出来るが、言葉でそれを描写することはほとんど出来ないことだし、簡単に書けるようなダンスは大したものではないと思う。

それぞれ違う文化的アイテムで対照的に踊っている二人が、一瞬接点を持つ瞬間、それが(1)だとあえて言うことは出来なくもない。

リアルな現実が浮かび上がる瞬間、それは、演劇で「対話」の誕生として大切にするものと近似している。
その点お芝居では、「対話」がどうして喪失され、いかにすれば生まれうるかを、時代状況の把握と演技の工夫によってより意図的に描けるのだと思う。

脱線するが、夜観た弘前劇場の『職員室 5:15p.m.』を引き合いに出させてもらうと、今回のなかでゲストの江口恵美が精神科医として「総合的時間」を担う外部講師として登場していて、まさにいまの2002年始め、これから学校教育がどう変わっていくのだろうかという問いかけを行っている。

でもそこにも確固とした答えを用意してはいない。ある部分進行上の都合でもあってか、引きこもりの兄ががくっと妹の前で膝を付くシーンがあって、これは親切に説明しすぎではないかということを思ったりもしたが・・

ゾネに戻り、引き続き(3)について。これは深い。そして常に意識されていることが必要ではあるが、それ=「身体と共に作ること」を意識することによって、逆に身体を使ったり、逆に身体に使われたりしてしまう。だからこれは禅問答と同じく言葉を失った所からをダンスでのみ行うなものではないかと思う。

ダンス固有の存在理由がそこにある。
でも「身体と共にある」ダンスが、「芸術と共にある私たち」という至福の境地へと誘う鍵でになるということも、円環的ではあるがまた確実だ。

アイホールの弘前劇場『職員室 5:15p.m.』(作・演出/長谷川孝治:19:05〜20:53)。この作品はもちろん以前見ている。不況も関係なさそうな地方都市の職員室にも2002年のいまの状況が忍び来る。いや、どうしようもない状況を引き寄せてしまう。

巧みな再構築。先ほど書いたように、いくつもの「対話」が重なる。生徒と先生。元生徒と生徒、引きこもった兄と妹。学校の内と外。タイのなかの日本、日本のなかの空洞・・・

まずは極私的な感想だが、福士賢治の芝居をみながら、同時代の役者と共にいることの嬉しさにしみじみとする。少しは私より若いとしても、それは畑澤聖悟や佐藤てるみ(30歳を越えると怖いことはないと言っていたな)の存在にも感じる実感である。

そういう風に感じることができる、自分と同世代的な古手の世界。そして0代〜20代の世界。この2つの世界の断絶と交流を描いた芝居をそうそう見れないので、弘前劇場の芝居を見られることは本当に心からほっとする出来事なのだ。

(いつもは大学ですぐには理解できない学生たちに取り囲まれ、劇場でも、ずっと若い世代の演劇を、自分のなかでまだ対話できるだろうかとびくびくしながら、見ているわけ。)

バスケットシーンまでが少し長い気がした。が、それはすでに見ていたためなのかも知れないし、アイホールの舞台に作られた職員室が実際と同じぐらい広びろしていて、演劇特有の凝集された舞台づくりをあえて外していく戦略にあえて出た美術のせいなのかも知れなかった。

教師同士の会話にはどこか終末感が漂っている。
どうしようもない制度疲労の澱。それはもう苦笑すら起きないドツボに入った不倫だったり、突然の離婚願望だったりする。狂騒的に剽軽な畑澤聖悟に憂いが忍び寄っている。

映画の話はもちろんお得意。ホーシャオシェンは確かに一時代前なのだろう。タイ育ちの日系人ナガサキ(谷川翔吾)がキタノタケシ映画をほとんど観ているところに可能性を感じさせつつ。

どうして教育委員会カウンセラー(濱野有希)には、あんな有り得ない長台詞をしゃべらすのだろう。前にも葬式のお芝居で教育委員会の職員が似たような名(迷)調子の台詞があってのけぞって面白かったのを思い出す。はじめて見たように思ったのは数学教師(鈴木徳人)のキャラクターだ。


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