Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》magnetic produce&SELF AND OTHERS

309.
1/20(日)
磁場製作所『彼方の水源』ウイングフィールド

佐藤真特集「花子」「SELF AND OTHERS」KAVC

作/大正まろん(流星倶楽部)、演出/キタモトマサヤ(遊劇体)。
だいぶんタイトルと今日観たお芝居との関係を思い出すのに時間がかかった。磁場製作所(マグネティック・プロデュース)『彼方の水源』。チラシに台詞が載っている。「鯉がおってね・・・・・ときどき暴れる。暴れて、もがいて、たまらなくなる・・・・」。

14:06〜15:14。時間は短い芝居なのに、濃厚で強いテンションが階段を下りる足に心地よい。
ウィングフィールド。横に長い舞台、だから横に広がる客席。こうするとみんな舞台に近くなる。それでも乗り出す客席。

大人の崩れかけたロマンとエロス。
酒臭い、たばこ臭い、どろどろ。
嘘だらけ、後悔ばかり、自暴自棄、暴れまくり。
安心と安住、自己欺瞞。逆玉、駆け落ち。
甘いコーヒーカップ。雷鳴。おちんちん隠し。
火葬場の煙。タバコの煙。凧揚げ。イーグル。

鯉に水をやる。それが、どこかの泉から松永ミツ子(小栗一紅)がくんだわき水だった。飲み過ぎにはミネラルウォーター。それを飲む松永ミツ子の中に鯉が暴れる。その泉の彼方に水源がある。そのミネラルウォーターにはカルシウムがいっぱい。その水源にはお墓があったのだ。カルシウムを供給するかも知れない焼かれた骨たち。

改築された葬儀場には煙突がない。どこから死者の骸は空に上がればいいのだろう。世之介がセックスをしすぎて最後は煙しか出せなかったことを思い出す。松永吉秋(木嶋茂雄)のしょんべんで煙を出す台詞を聴いて。

葬式のお芝居は結構ある。中年の私には結婚式より身近だし、身につまされる。父親の葬儀を描いた舞台だから余計だ。瞬時にいくつかの葬式を思い出す。死体を拭いたことやまだ熱い骨壺を抱いたことも。関西は骨を全部は入れないが、茨城ではみんな入れたからえらく重かった。この芝居では色の付いた骨を盗んだ吉秋がそれをかじったエピソードがあった。

主役は、髭の吉秋。その兄の松永芳晴(菊谷高広)は真面目な気の弱そうな男だ。どうして、吉秋と高校生時代に駆け落ちをしようと思っていたぐらいのミツ子と結婚したのかは、話の展開で少しずつ明かされるが、どうしても不自然だ。

それほど、ミツ子は艶めかしく、芳晴のエロスでは制御できないのは、冒頭の車のキーのシーンですぐに客席に知らされる。芳晴と吉秋の父親は鳶職だった。そこから塗料屋。でも独立して廃業する。母親は逃げる。良い子にしていたら帰ってくるという約束を信じていた兄芳晴。

父親はシンナーとアルコールで頭ぼろぼろ。階段から鳥になろうとして転んで死んだようだ。ミツ子と父親の関係も濃密で、その父親似の吉秋との関係とが相乗される。その吉秋はいま山口サキ(住吉真由美)の家に居候している。おやじと同じ匂いのするペンキ絵描きとして。前半は、山口サキの寂しさもうまく出ていた。

サキの家をめちゃめちゃにした吉秋。父親とそっくりの暴れ方だ。その葬式には出なかった。兄と嫁との結婚式にはオートバイ事故で出なかった。
2度目の駆け落ち未遂。ラストの空が美しい。凧と鷲が風に羽ばたいて。

神戸アートビレッジセンター。2階では桃園会の『カラカラ』。忘れていたな。今日は、地下で佐藤真の映画を観るのだ。

1階のギャラリーで花子を写した写真展。横長の魚眼レンズぽい写真。曲がっている道が右端ではまっすぐになっている。花子がいろいろ寄り道して歩く道の長さと曲がり具合がよく出ている。川内倫子の写真展だ。
奥に、花子の食べ物アートもあった。神戸駅で安いだけのまずいラーメンを食べたので視ているとインスタントぽい麺の味が胃から戻ってきて困った。

もう一度、『花子』(2001年、60分)を観た。雪と雨。道ばたの雑草を抜く花子。
題字を書いた桃子の事がもう少し分かった気がした。母のテニス仲間の会話が全部聞き取れた。父親のスクラップでなぜ東京新聞を取るのかもちょっぴり分かったような気がした。でも、絵画を作る花子の強度をより分かったようにも思った。

が、花子の気持ちには届かないことがほとんだった。でも、自分の頭を叩く花子の手の形に今回も惹かれる。また観るだろう。

今日のターゲットは、ずっと気になっていた『SELF AND OTHERS』(監督/佐藤真、撮影/田村正毅、録音/菊池信之、音楽/経麻朗、声/西島秀俊、牛腸茂雄。2000年、53分)である。1本目は1400円だが、2本目は1000円でOK。

すごかった。牛腸茂雄のテープに残った声は、ビデオで残ったりスチールで残るよりも怖いものだった。土方巽の声とおんなじ事だ。残された映像=遺影よりも、声(「遺声」?)の方が、暗闇でも見える(届く)からだろうか。

いい映画を観た。涙が目玉の端でこごっていた。おろおろともはらはらとも泣けなかった。いや泣くにはまだきちんと視て聴くことが多すぎると思った。
帰って、アマゾンで買えるだろう二つの写真集(もちろん牛腸茂雄のもの)をインターネット注文した。

無闇と言葉に出来ないドキュメンタリー映画だった。というよりも、写「真」そのものだった。写すこと、そして、胸椎カリエスという病気を持ったアーティストが生きること。本当の「エイブルアーツ」の姿がこれだと思った。でも簡単に定義してはいけない。ゆっくりとこの映画と写真を反すうしたい。


こぐれ日記」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室