Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》ALTI BUYOH FESTIVAL-1

317.
2/8(金)
『アルティ・ブヨウ・フェスティバル公募公演(第一日目)』
アルティ(京都府立府民ホール)


17時にアルティ(京都府立府民ホール)の3階へ。食事をしながらアフタートークの打ち合わせ。のはずだが、仕切るだろうと思われる船阪さんはそれどころではないので、まあ、出たとこ勝負ですねと小林昌廣さんや伊藤茂さん(神戸学院大学教授)と話している。

シアターXのインターナショナルダンスフェスからみで、東京からケイタケイさんと矢野通子さんが来ている。そのアフタートークでXの上田美佐子さんがU.S.Aのダンスに感心していたら、ケイタケイさんがそうでもないという意見をぶつけてそのやりとりが面白かった。

私といえば(トークするために)、5組の日本人ステージではできるだけ面白いところを見つけようと躍起になっていたのに、U.S.A.ものでは、何もそんなことを考えずに、逆に西洋モノの昔見たダンスステージと自ずと比較してしまうことが起きた。
そのため、ダブルスタンダードとなって、特に音の使い方とか言葉への神経のありようがちょっとなあとU.S.A.のダンスに思ったわけで、そういう風に自分が感想を持ったことを次の日に気づいた。

同じくトークの時に矢野さんが自分が一度ダンスから離れてしまって、その後色々なモノを捨てたときに踊りが向こうからやってきたという体験を話したのがとても印象的だった。

アルティ・ブヨウ・フェスティバル公募公演(4日間、24グループ)の始まり。金曜日の18時からだから少し空席がはじめあったが、入れ替わりに人がだいたいの席を埋めていく。18:01〜20:41。片づけを入れて25分間(15分間以上という制約も最近では追加しているという)以内ということだから、まあ、こんなところだ。

1)Idumi Dance Theater(大阪)『野火とみかづき』。26分間(これは公演時間だけの計測)。当日パンフのプログラム目次には『根なし草』(前衛的オリジナルダンス)とあって、タイトルが変わったことが思いがけずに(校正の問題)で分かるようになっていた。山田いずみのソロ。ヴォーカルの梅木陽子の声はかなりの存在感。ドラム、星山哲也。

フォームとは別に70年代の前衛ものをかなり意識しているし、それとともに、思いっきり物語性とか具象的なイメージをぶちまけている。ポストモダンというものでもなく、かなりやりたいことをやっているという印象。初めだったし、少しステージから遠ざかっていたことから、結構新鮮に思って、この前見た劇団態変における「物語性」との関係について思いを致していた。

かなり濃いからしんどいと思ったらもうこの舞台から気持ちがはずれてしまうことだってあったはずだ。空気よりも濃い流体の中にいる山田。それは彼女だけの幻想なのかも知れない。赤い光にドラムが映る。シンクロナイズドスイミングで日本代表になるとこんな感じの振付と音楽の組み合わせになるなあとも思う。

2)SMDP(京都)『満福』。5分間。振付などをした阪本麻耶はしばらくダンスをしていなくて、今回こういう形で初めて10名のダンサーをあつめてステージを創ったという。一言で言うと、「身体は惨劇にまきこまれる。・・・」という当日パンフの阪本言葉とは違って、さわやかでかわいい身体がまずそこにあった。

立命館大学の学生で前期もぼくのアートマネジメント論をとってくれた秋津さやかさんから、私も踊ります(彼女は衣装も平井依子さんと一緒に担当)からよく観てコレオグラファーの阪本さんに感想を言ってくださいと前から言われていた(コンソーシアム京都で)。

モデレートなダンス。そこには目に見える事件や悲劇、告発はない。「M」マークの袋からハンバーグとかポテトチップス(もう一人はどこの袋だったのだろう?)を食べる挿入にあるように、「見えない脅威」というか無感動とデジャヴの感じが観ているうちに漂っては来る。

小林さんは死にかけの老人の痙攣を押さえるみたいにみたというシーンもあって、これはおかしさが伝わり、会場からいい反応をもらっていた。ぼくは、これは生きたままのエビか何かに見えた。「回る寿司」というのにどこか期待感があったからからかも知れない。

娘が出ているのと同じ感じで、秋津さんの手足を追ってしまうから何を見ていたのか危ないが、彼女が無理なく踊れる身体とリズムを持っていることがわかって、テストとは違うなあと当たり前だが思う(ただ、コンソーシアムでのテストで彼女の「舞踏」についての文章はユニークだったので、この日録でアップしたものもその部分は彼女の解答だった、実はね)。

3)花柳榮輔(東京)『Ko-Syu(こしゅう)』、26分間。邦舞。女性になっている。やっぱり江戸ぽい着物だ。踊りにももちろん関西風と江戸風があるのだろう。太鼓をしていた人が、男役でいかにも臭い演技みたいなのをあえてやっていた。観ることが少ない(まあ、年末山科文化芸能祭で観た新舞踊とかに近いかも知れないが)ので、目新しい。

4)上野智子(東京)『竹取物語』、17分間。シンプルなデュオ。丸い光と四角い光の床に二人がいて、そのうちに交替する。じぶん探し。オレンジの大きなきれを使う。白いシャツとパンツが照明の関係で薄い青色に見えて、それがとても綺麗だった。

5)acorn Dance(U.S.A.)『What We Are No Longer Here』、22分。Aiko Kinoshitaという人の振付だったが、日本語はしゃべれない女性だった。アメリカと聞くだけでそういうつもりじゃないのに、身体がこわばってしまうためかも知れないが、音楽が特にがさつで身体も大きいだけで、うるさくて仕方がなかった。後半単語が流れるのだが、その選択の感覚も、これが日本語だったらその知性の程度を計ってしまうのではないかと思う。

6)宮下靖子バレエ団(京都)『ヒストリー』、20分間。客席には子どもが多くて、光が舞台に点ると、すぐに「あっ、あや先生だ!」という声があがる。ここに自分の関係者が出ていたら2)と同じように目で追うのだろう。バレエで創作することはいいことだろうが、動きが決まっている分、見ることの発見は少ない。
だから、昔の遊びをやってみせてもらうと、これをいま踊っている人たちの10年前の遊びや思いをワークショップなどで引きだして踊ってもらうと面白いだろうなと思う(振付:吉田ルリ子)。


こぐれ日記」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室