Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》ALTI BUYOH FESTIVAL-2
アルティに17時40分ぐらいに着くと、総務課長が食事を準備しているという。慌てて食べる。今日のアフタートークは上念省三さん、小林昌廣さん、高松平蔵さんで、しかも登場する人たちが結構、私も含めてなじみの人が多くて、昨日とは違う雰囲気だ。今日は結局、アフタートークを22時まで聞いて、ちょっと自分が知らなかった2つの団体のコメントを残して帰った。
アルティ・ブヨウ・フェスティバル公募公演、2日目。18:01〜20:53。トークをしなくちゃいけないということを考えなかったせいもあるし、ずっとのんびりしていたこともあるが、昨夜よりも身体には疲労感が残らなかった。
1)ハイディ・S・ダーニング&加藤文子(京都・東京)『夏の雪降る中〜In the Summer Snow〜』、26分間。風流な踊り、ということ。京都と東京間の遠距離創作。連詩から作られた作品を半分にしたという。裸足。ハイディは半眼ぽい。2カ所、石に黄色の布が置かれていて、それが途中に二人の胴に巻かれる。
ふと気づくと、けっこう派手な斑点がその黄色の帯にはついていたのだが、かなりときが経つまで分からなかった。そのような認識のタイムラグのことを考えたりする。青の空気。床が緑になってスピードが少し増す。それでも激しいとはほど遠い。紅い光が最後にあって、闇。何かを指さしつつ。
2)藤田佳代舞踊研究所(兵庫)『五つの季(イツツノトキ)』、25分間。モダンダンスは完成された様式のなかにあって、すでに伝承されるものになっているのは確かだ。ただ、そのかちっとしたテンションがほどける瞬間に、ひねくれた見方かも知れないが、面白さを発見できる。
ユニゾンが続くのだが、両手をあげるシーンがあって、それが何か、人間フォークと自分の中では変換されていまってから、エジプト風とかギリシャ神話とかいう動く彫像から一気に身近になってしまった。そして、それぞれの段々へ、ぽんと上る。それがこの5人の身体の「五つの季」なのだろう。ただ、そのポンと飛ぶときも結構、普通の意識が踊り手に一瞬よぎったように思って、その落差が心に残った。
3)ダンスユニット*セレノグラフィカ(京都)『イシュタル-境界をつなぐもの-』。25分間。この前のトリイホールを見れなかったのが返す返す残念。実はアトリエ劇研で拝見したときには、まだある堅さや過去に通過してきたものの几帳面な発表という部分があって、自分たちで未知のダンスを目指す(まあ、それがコンテンポラリーということの唯一の定義になるのだろうけれど)ことに半分ためらいがあるのでは?と思っていたのだ。
阿比留修一は近大演劇舞踊の俊才だったそうで(by 井面教授)、動きが他の人たちとは格段の差があったという。初めのソロでもう私の心を鷲掴みだ。痙攣する動きとか、好みなのだから仕方がない。ドイツ語と時折フランス語(ペンがカタカタいう音入り)が混じる音のなかで。
一方、隅地茉歩は終わってからのトークで本当によく分かったのだが、謙虚に自分たちのダンスを模索し一歩ずつ進んでいこうとしている女性だった。「行ってしまう身体、残っている身体」について。それを「踊っている身体、踊っていない身体」の断続的な明滅によって展開したかったと、彼女はいう。
二人の絡み〜たぶん、コンタクトインプロヴィゼーションとかいうものなのだろうが、これが歴然とアトリエ劇研のときよりも進化していて、やっぱりメソッドというのがあるのは、ある意味強いと思った。もちろん、何かを発したいという内的欲求があればの話だが。
ビルとビルのくぼみにいる男女。夜半の痴情なのかも知れないが、微かな希望を夜な夜な確かめる。印象は、暴力的なことも起きるが、べとつかない友情といたわりが二人のなかに育まれる、そんな感じがした。ひっついていて乾いているというのは、なかなかに難しい関係だと思う。
そして何より、不意打ちの動きがけっこうあって楽しかったのだが、最後のシーンへといく一歩手前のシークエンスが前を反復している感じがして、ちょっと冗長な感じを受けてしまった。惜しい。
4)Ogino's & CORE(兵庫/三田)『Cgaoscheme』、28分間。ジャズダンスでかつ10歳代中心の若い身体12名を思いっきり難しく展開した作品。それだけで、驚きだ。希有かも知れない。荻野佳代子/荻野祐史の振付。3年前に実に可愛くて綺麗な、いい加減な表現だけれど「メアリーポピンズ」みたいな作品があって、とても感動したことを思い出す。
3部構成のなかで2番目の、いかにもジャズダンスぽい動きがあるパーツにおいて、やっている少女たちが一番生き生きしてみえたのはこちらの主観なのかも知れない。ただ、ミニモニフォーサイスと高松さんが言っていたように、どこか「構造主義的技法による神話の解体」というのはデジャヴ感覚に襲われる。
5)北村成美(大阪)『プロムナード』。21分間。床の移動がこの日はとても多い。それも踊りながらの動きなので、けっこう事故が起きないだろうかとはらはらする。北村はこの床の移動時間を十分考えて演出をしたという。斜めの光など、彼女特有のアイテムが出てくるが、それを少し抑制気味に使った舞台だと思った。
それにしても、腹筋と背筋のすじがくっきりと明かりに浮かんで、鍛えているなあと思う。右手が旋回すると血液が流れていくのだろう、手がピンクに染まっていく。回転する花びら、紙風船。立っては落ちる繰り返し。黄色のシャツも回旋する。そうそう、今日は髪型がいつもと違ってファンキーにくくられている。
フォークダンスの音楽で繰り返されるへんてこなフリ。再現できる酔っぱらいホームビデオ踊り。かっこつけないかっこよさに照れずいる。ええかっこしーを避けつつ、韜晦にもニヒルにもならず、嘘っぽい人間讃歌にもならずにやっていくのって、難しいはずなのに、彼女はいつもそれをひょうひょうとやってのける。
6)佐々木敏恵テアトル・ド・バレエ(京都)『神和女−KAWNAGI』、18分間。白い4人の女性。和風なバレエ。構成/演出:前原和比古、振付:佐々木敏恵。くるくる回る。けっこうシンプルで難しくない考え方に共鳴する。将棋倒しとかドミノの快感に似た、順番に回るシーンがあって、これを肥大化するとどんなにグロテスクで面白いバレエが出来るだろうかと想像した。
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