Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》DANCING CLAY
323.
2/21(木)
『アウトサイダーアーティストと鯉江良二展〜土踊る』大津西武6階催事場
大学に寄って明日(関西女性アーティストファイル)の確認をしたあと、膳所駅へ。今日から3/4まで、大津西武の6階催事場にて『アウトサイダーアーティストと鯉江良二・展〜土踊る DANCING CLAY〜』が始まるのだ。この展覧会は共催が甲西町にできた(福)滋賀県社会福祉事業団、主催/アート・インパクトinしが実行委員会。
アートディレクターははたよしこ。近くの売り場から流れてくるお雛祭りの歌が大きいですね、とはたさんに言う。昨日に搬入をしていたときはまるで気づかなかったのですけど、と彼女は言っていたが、そのうちにボリュームが少し下がったようだ。
それでワークショップを鯉江さん(彼は愛知県立芸術大学教授でもある)と作業所の作家たちが行い、作ったものを籾殻をかぶせて野辺で焼いている一部始終を記録したビデオも見やすくなる(中でも粘土を叩く音が印象的で、場内に響いている)。
あえて「アウトサイダーアーティスト」という言葉を使い、障害者アートという言い方やエイブルアートというカテゴライズの問題にも意識を向けようとしているのが、この展覧会の企画上の特色の1つである。そして、「陶芸界の最先端において絶えず挑戦的な制作を続けている」作家と障碍のある人たちの作品を並列に見せることが試みられている。
これは、会場内の売り場でも同じことが起きていて、値段は桁が1つぐらいは違っていても、同じ場所に鯉江良二の器と滋賀の作家たちの小物が一緒に売られている。私も花瓶にも湯飲みにもなる500円の陶器と、顔の装飾が剽軽な小皿(600円)を2枚購入した。
300円で頒布しているカタログには作者の経歴がきちんと綴られ、その丹念な作業にまず敬服する。そこには作家の出身学校や受賞歴、展覧歴が書かれているのではなく、彼ら彼女らの作っている様子やふだんの性格が、ディレクターなどの目を通して紹介されている。逆に、アウトサイダーアーティストだけではなくて、こういう形でいつも作家の紹介というのはなされるべきではないかと私は思っている。
はたよしこが言うように、社会的にアウトサイドに置かれている知的障害のある人たちは、美術の制度においてもアウトサイダーの位置にいる。そして彼らの作品は『いつも「無垢な」とか「癒しの」という形容詞ばかりで語られる傾向』があった。エイブルアートとして型にはめて1つのジャンルとして理解しやすくして、社会や美術のインサイダーとは切り離して枠に入れようとしているのではないかと言うのだ。
だから、タイトルの『アウトサイダーアーティストと鯉江良二展』における「と」が重要な意味を持つのだろうと思う。陶芸と現代美術の関係だってやはり「と」であるかも知れない。現代美術のなかの陶芸部門であることはなかったし、「クレイアート」と言い直しても、すんなり現代美術の枠に入ることも出来ない(あるいは「入りたくない」)作家性と商品流通との関係などがあると思うからだ。
展覧会や催事を作るとき、どれぐらいタイトルにこだわるべきかということや鑑賞するときにタイトルにどれほど囚われるかということは様々だろうけれど、今回のようにディレクターの顔が見える時には、そのタイトルと展示仕様、環境を観察することはとても色々な発見があって嬉しい。
鯉江良二「はす畑の音楽会」は、ターンテーブルに白いレコード盤が置かれている。だから、やはり無音の中で、どんな音がこのインスタレーションから聞こえるかと耳を澄ましたかった(デパートだからそれは仕方がないとしてもお雛祭りの音楽はちょっとしんどかった)。
他方、「ブラボール」と名付けられた陶の球体がごろんとし、野焼きしたものだろう大きな筒状の作品が立っている回りに、アウトサイダーアーティストの作品がある展示は、ホントに鯉江作品とそれ以外の作品とがいい感じで繋がっていて、お祭りのような楽しさがある。
坂田雅史の書がタイトルをよく示している。
キャラクター系の作品はついほのぼのとしてしまうのだが、それはそれでいいと思った。ウサギがいっぱい集まって林檎が出来るなどの想像力の飛躍は確かに「無垢」だけでは届かないものだ。
小野真理子のすぼまっていく首の辺りの趣は、粘土のダンスというタイトルをそのまま作品にしたみたいで、純度の高い造形性にうっとりさせられる。
でも一方、吉田望や赤川英史、梅本良純、青山奈々、北村徹などのように、粘土を伸ばし丸める迷いのなさ、人真似でないこと、自分に忠実なことのすごさをやっぱりそれぞれの作品を観ると感じるのだった。
近くに住んでいたこともあって、特に愛おしく思ったことも事実だが、唐崎やよい作業所の佐藤良平の「焼きしめキューブ」から連想してしまうマンションの住人の一人である私の住まい様とか、藤野公一の墨一色で大きく描かれたシンプルな絵画には、社会についての貴重なメッセージ、あるいはある種の批評性がある。
300円のカタログは作者の経歴をきちんと綴られていて、その丹念な作業にまず敬服する。そこには作家の出身学校や受賞歴、展覧歴が書かれているのではなく、彼ら彼女らの作っている様子やふだんの性格をディレクターなどの目を通して紹介されるもので、実はこういう形で逆にすべての作家の紹介はすべきではないかと私は思っている。
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