Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》MAHARABA-TAIHEN
伊丹・アイホール共催/劇団態変『マハラバ伝説』作・演出:金満里。去年ベルリンで初演したが、日本では今回が初演となる。4公演のその最終公演。
楽日なので、本公演終了後、役者以外に黒子大勢や舞台監督(塚本修)、照明(岸田緑)、音響(秘魔人)スタッフまでが紹介される。
立ち上がって去ろうとするお客さんたち。ところが、音楽がまた流れたかと思ったら、アンコール的に態変の人たちがまた踊り出た、今度はにこやかに伸びやかに自分の身体のままで。この作品がかなり物語性を全面に出した無言劇の様相を呈していたので、やっといつもの態変に特徴的な身体性をも直接眺めることができ、ほっとした気分。そして15:41にすべてが終了。
燐光群の坂手洋二さんが、週末の名古屋の世界劇場会議とか演劇人会議などで名古屋に来ていて、今日ここではじめて態変の舞台を見れたと横に座って話している。いつもとはどう違うのですか?とか、服を着てまた脱ぐというのはどういう象徴でしょう?とか坂手さんから尋ねられる。
が、こちらも金満里さんではないから要領よく答えることも出来ず、少しだけ最近の態変の様子を伝えるのみだ。つまり、私がはじめて態変を観たのは大野一雄とここで一緒にやった舞台からで、最近は結構生死のシンプルな表現や、自分の母親への純粋な思いを表現したりしていた。確かに身障者の舞台への参加を進めたりはしていたが、社会政治的な主題はダイレクトに現れないものが大半だった・・・と。
私は劇団態変を、言葉を伴わない身体表現のなかでも特に広義のコンテンポラリーダンスとして鑑賞しているし、その部分で、とても強度のある身体表現だと思っている。したがって、今回でもそういう目線で6割ぐらいは見ていた。だから、アンコールはいつもの井上朋子の動きが見れたりして美味しいボーナスになったわけである。
もちろん金満里自体は従来のジャンル分けに組みせず、従って自分の表現をダンスとは規定しないで単に「身体芸術」と述べ、そのなかでも抽象度の高いものが91年以降の最近の作品だった。その上に今回は、「抽象の上に具体を織り交ぜ、どちらにも傾かない身体芸術としてストーリー性も伝えられる」身体表現を企図したと当日パンフで語っている。
13:39〜14:34。第1部「命からがら逃げてきた」。上手から中年のCP(脳性麻痺)の男(林田伸一)が出てくる。起きあがろうとしては、胸からばしゃんと床にダイブする。じわじわと匍匐前進することを拒んで、身を投げだして何かに抗議しているようにも見えるし、それが彼流の歩みかも知れないと思ったりする。
次に小泉ゆうすけが寝る姿勢で登場する。坊主頭。顔全体が前見たよりも厳しい感じ。目つきも鋭い。金満里や福森慶之介、そして若い橋本雅紋が登場。一気の展開である。音楽が西洋クラシックの弦楽合奏。これがちょっと性急すぎるような感じもする。
この音楽は、劇的な=パセティックな感情移入を客席はしてしまいそうで、ちょっと正直言って違和感が走る。が、ふとソクーロフの「マリア」の後半の初め、どんどん道を行く映像と音楽の組み合わせが思い出されて、少し気を取り直したりもした。
5人が集まる。小泉の腕が上にある。少し滑稽な足の造形を見せる林田伸一。
13:48。幕が開く。奥の正面に曼陀羅。これは、1960年代に茨城県千代田村閑居山願成寺にできたCP者のコンミューン、「マハラバ」のコミューンの門なのだろうと思う。
祭壇があったが、金満里の退場と共にそれが持ち去られている。これは、佛という宗教の中心を祭る場から「健常者幻想」を破壊する激論のための場にここが変わったことを意味しているのかも知れない。
金満里が茶色の布を法衣のように身体につけてやってくる。白い鶏を抱える。首を噛みきる満里。白い胴体は下手へ、鶏冠の首は上手へ放り出される。健常者を心理的に抹殺する儀式?あるいは、障害者の力の発意?満里は両手を使った動きを少し執着的で神経質に行っている。
ここからこの公演でもっともインパクトが強く美しさと緊張感が渾然自在となったシーンへと進む。茶色のレオタードの小泉と福森が、両側から相似形で登場。腰を降ろして膝を「山」形にして進む姿勢だ。満里が残した薄い茶色の布を、小泉は足指で福森は手指で広げて。
軽い音楽。5人の他に、外部の人のような井上朋子がリヤカーで大小の箱を持ってくる。みんなに拒否されるが、大きな箱は残される。中からはネクタイやビジネス鞄、着物に大きなスプーンなどが出てくる。
それから、どれほど時間が経ったのか、どういうことが変化したのかは定かではないが、再び身に付けていた衣装や鞄を投げ捨て、紙と筆が持ち込まれる。
福森と橋本がそれぞれの紙に一気に4本のスローガンを書く。CP者であることの自覚や愛と正義の否定、健常者幻想をなくし自己主張を行うことなどの過激な言葉が大きく中空に吊される。ここで休憩。
14:45〜15:34まで。第2部「回想、ゲトーから死への行進」、第3部「土着と浮遊性」。2つは続けて演じられる。包帯が5人に巻かれている。満里が先頭になって並んで前へ進んでいる。包帯がほどかれる。それからのシーンは少し長い感じがする。
15:02。暗転、前の門とスローガンが見える。門が照明の関係か、前よりかなりシミがついているように見える。優しい民謡風な音楽が流れる。恋愛のシーン。素敵なデュエットの踊り。第2部から出てきた中尾悦子にぴったりとひっついて転がっていく小泉ゆうすけ。でも、押しつぶしたりはしない。それぞれを愛撫する腕、確かめ合っている触手同士。雄しべと雌しべでもいいし、カタツムリの触角とか蛸の睦み合いなどを連想する。
上になる小泉もうまく小さな腕で彼女に体重を乗せないで、しかも熱い気持ちだけを流し込むように重なり合う。小泉が中尾を守るために周りを雄の本能のように見回りをしたりする。他方、金満里と林田伸一もカップルになって近づいている。小泉が花嫁を表す髪飾り(ショール?)を2つもってきて、満里もつけ中尾にもかぶせる。中尾悦子に恋する人がいっぱい出るだろうなと思った。
赤ちゃんを福森がトロッコから乗ってくる。福森は父親になったようで、それは役割を持っているのだが、もう一人の橋本には何もない。恋愛によるコミューンの変質問題。橋本が中尾を奪うような行動をとる。小泉が暴力をふるう。橋本と小泉の格闘。橋本を取り押さえる福森。
障害者の恋愛と出産(結婚願望)、横恋慕、嫉妬、葛藤、暴力などなどが一気に出てくる。北風の音。そういえば冒頭は障害者の息する音だった。井上が一人出てくる。何かに気づいてかがみ込み、驚くことを繰り返し、去っていく。
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