Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》MATSUYAMA Ken*Soft Girlfriend
今日から『松山賢全作品展 1997-2001』が始まる。10日までは「1997/2000 柔らかい恋人 Soft Girlfriend」で、あと3/3までアメリカ村であって、そのあと、ホワイトキューブKYOTOなどでもある。
ひょんなことから、L magazine3月号(1.25→2.24。p118)に紹介を書いたこともあって、何はともあれ出かけることにした。
その紹介文とはこんなようなものだ(碧水ホールの上村さんはわざわざ読んだという)。『「おっぱい」へのピュアな思いを贈り物にかえて・・・。』というタイトルコピーは編集者に寄るもの。
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松山賢と初めて会ったのはアートスペース虹での「おっぱい大好き」展('98年3月)。大学院までやっていた日本画を「おもしろくないので」やめ人形を作り出して3年目。散歩する男性が好奇心いっぱいに眺めながら行き交い、連れの女性は見たくないと車道に寄って通り過ぎる。画廊からはみ出し道行く人にインパクトを与える面白い展覧会だった。
その後キリンコンテンポラリー・アワードで2年連続の奨励賞を受賞、ワコールの乳房文化研究会にも参加して、彼の「おっぱい」作品は男女論のネタになったりする。女性身体フェチと言われても好きなことをアートにすればいいという開き直り。でも大胆な表現と対照的に、シャイな人柄が味わい深く、マンションの中庭で人形の足とか胸とかを乾かしていると、嫌悪感を表す目線を周囲から感じるらしい。
贈り物をもらったお礼にする自分なりの表現がアートだとすれば、素直に「おっぱい」を贈り物だと感じてそれを表現するのが松山流。贈り物であるヌード写真を模写したスーパーリアルな作品や、制作したおっぱいスーツを自ら着用した危ないパフォーマンス、フーゾクのような個室になった展示室…。
それら全部が、「おっぱい」から「おっぱい」へ松山賢によって贈り返されたアートという愛情なのだ。(小暮宣雄)
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HMVで奄美大島出身の女声を視聴したりしつつ、アメリカ村でホワイトキューブギャラリーを探す。案内をちゃんと読まなかったからだが、周りをうろうろしてしまい、チラシを配るお兄ちゃんに怪訝そうな目線を送られてしまう。PARCO
DUEの3階にある古レコード屋の奥にあるから実は探すほどでもなかったのにな。
月曜日のアメリカ村、それも15時ぐらいはどこか間抜けな風情だ。土日の疲れ、汚れは一応ゴミ収集車がきれいにしてくれたかもしれないけれど、まだ淀んだ空気はそのままで、しかも何も始まらない空白の時。
パルコもこの春の100%ORANGEがポスターを描いているはずだが、ここには貼られていない。ここPARCO DUEや心斎橋パルコ(改装しているはずだが)をいま見ると、1980年代には渋谷パルコがモードや感じ方の最先端だったということが夢のまた夢のような感じさえ受ける。
ギャラリーに入る。手前にイラストのギャラリーがあって、左奥にはグッズの販売コーナー。そして目指す松山賢は右奥にあって、案の定、がらんとしている。店の人が少し変な感じで足早にそこを通り過ぎるぐらい。芳名帳を見ると二人目で、最初の光栄なサインをしている人は、美術関係者ではなく、女性の若そうな人だった。住所が書いてあって案内をくださいと記してあった。
これをみてほっと安心する。目の前の看板「ソフト*スキャット」の2枚の作品「柔らかい恋人」に囲まれて少し落ち着かない気持ちもしたが、いままでのハガキチラシをもらったり(これはもちろんマンションのポストに投げ入れられているピンクチラシと呼応するものであることは間違いないだろう)して、場に馴染んでくる。
「柔らかい恋人」は2000年にここで展覧会をしたときに作製されたものだと思うが、1997年にも描いたのかも知れなくて、それで彼の初期の人形作品と一緒に展示されているのだろう。映画看板とかピンク風俗店の写真看板の持ついかがわしさにか「あるコミュニケーション」の特質についてふと考えたりもするが、もちろんただひざっ小僧の丸い感じが奇妙だなあと即物的に見ることもオーケーだ。
個室の壁紙とも通じるサイケな模様も「風俗」の浮遊感を感じさせてくれる仕掛けである。奥行きのない平板さ、そこに惹きつけられるものと拒絶する気持ちが相半ばする感じが面白い。
立体作品はまず?きもちいいからだ」が5体立っている。美術作家の手業というか、そういう感じがこれには色濃い。看板よりもきっと20世紀の作家群との比較とかはきっとされやすいと思う(自分は出来ないけど)。
各30万円なり。すでに買った人がいるみたいだ。どんな人が買うのだろう。玄関に置いてあるとどうだろう。ワコールは買うだろうけど。秘宝館みたいなところが購入したら面白いかな?それともやはり国立美術館の方がインパクトがある?
立体の中では最も初期の作品だと思われる方に感動した。クリトリスが咲き乱れる小振りの彫刻2つとお尻と足が3つセザンヌのように組み上がった彫刻。タイトルを記憶していなくて残念だけど、これは買ってもいいかも知れない(ただ、保管する場所が研究室という訳にはいけないか)。
白く細い手の支えられたつぼみもついたクリトリス群の花束と、3つの足に支えられたそれよりも大降りでピンクのむき出したクリトリス花。隠されているものを上向きに置く、という松山賢の衝動を妄想の始まりの形で見せてくれるものだ。個室の隠れた風俗から集合する風俗の開示へ。それがどんなコミュニケーションを切り開くかは私も自信がないんですけどね。
ギャラリーだから当たり前かも知れないが、値段があるというのがまず面白いと思った。カタログももちろんある。作家紹介。
でもそれらよりも、すごい雑誌がこの展覧会を紹介していた。
『BACHELOR』2002.3号。グラマーな女性、巨乳が溢れるアダルト雑誌である。まず普通はこの雑誌が美術展を載せることはない。ただ、ヨーロッパのアートをこの雑誌は紹介していて、たしかに世界中の巨乳を雑誌のなかに反映しているうちに、オナニーとか、エログッズ販売などの実用性を逸脱して、どんどん蘊蓄の世界へと盲進してしまう気持ちも分からないでもない。
隠されていたもの(秘された快楽)をむき出す。何かの換喩として(尻の替わりのバスト、気持ちよさを剥く陰核)の手業(ART)。それは妄想としてのポルノが、インターネットによってリアル化してしまい携帯出会いサイトでお手軽化したために、徐々に消滅しつつあることとどう関係するのか。
消滅しているとすれば、そんな妄想の危なさはどこかノスタルジーの世界に入ってしまう危険性(収蔵庫としての美術界)がないとはいえないか。
けれど、まだまだ、このホワイトキューブには、怖いもの見たさの具体的な「ぶつ」があるようにも思った。
松山賢が岩手県出身ということと何かが関係するかどうかは、たぶん何もないように思いつつ気になる。地域論を好む私の悪い習性だ。寒くて冷たいだろう盛岡とか花巻(宮澤賢治)の南部藩を松山賢が代表して、奈良美智らの出身の弘前藩との比較論をしたら、きっと恣意的だけになって顰蹙だけを買うだけだろうなと思い、それはしないでおこうと思った。
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