Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》TACHIBANA
WOMENS ARTISTS FILEvol.1 2〜3
暖かい朝。ぼーとした頭のまま京阪三条から鴨川を渡った。いつも橋にいる毛布を被った乞食さんの手がもぞもぞ動いていて、春が近づいてきたことを実感する。彼女の仕事としてのパフォーマンスは古典的なのだが(いつも恵んでもらった小銭を綺麗に積み重ねているのだが、今朝はちょうど積み重ねる準備をしていたのだった)なにかしら気になるもので、もし彼女がいなくなるとちょっと寂しいだろうと思う。
今日は1番乗りだろうと思ったら学生の向井さんがもう来ていた。
司会では最後にびっくりする間違いを彼女はした(ページを飛ばしてアナウンスしてしまった)のだが、すぐに訂正してお詫びをきちんと入れた。彼女のMCが一番端切れがよかったから惜しかったが、すぐに訂正して万事オーケーだった。それにみんな最後にコラボレーションが残っていることが分かっていたから、これで終了したとは思わなかったし、失敗は若いうちにした方がいいといういい例でもあった。
詩のワークショップのための小道具とは、赤と白の薔薇を作るつぼみみたいなもので、ファイル2で活躍した。参加者に手渡されて、自分で薔薇を作る、私は全然できなくて假奈代さんに教えてもらったが。その薔薇を胸につけ、そこに声を届ける「詩の学校(ワークショップ)」だった。
客席同士のワークショップ。自分が赤の薔薇をつけているなら白い薔薇の人をみつける。コンニチハ、その人に届くだろうか。お名前は?名前を聞いてその人に呼びかける。
さらに、照れくさいけれど「結婚してください」っと言ってみましょう。学生の人などはきっと予備練習になるでしょうから。
ファイル2に参加した人でファイル3に続けて参加する人は、薔薇の花を胸につけたままにしてもらっていた。だから、ふちがみとふなとのコンサートでも、最後の最後、上田假奈代の詩の朗読とふちがみとふなとの演奏が交互に行われた時も、会場には白い薔薇の人と赤い薔薇の人が交じっていた。
前フリが長くなった。実は今回の企画で思いがけずに感動した発言を打ち上げの席で聞いたのだ。貸し切りにしてもらった「ごはん屋」で、参加していた学生たちに一言感想を聞いていた。と、学生の植田江美さんが、ふちがみとふなとさんが、開演直前に話し合っている姿をスタッフとして見られたことが嬉しかったとしゃべっている。
彼女は、「どうして、ファイル2でつけた薔薇の花をつけたままふちがみとふなとの歌を聴くように言われたのか、分からなかったんです」という。「でも、歌が始まったとき、そうか、この薔薇のついたあたり、胸のところで聴くようにしなさいと言うことだったと思ったのです、頭とかで考えて聴くのではなく。そうしているうちにこの薔薇の花を通して音楽が自分の身体に入ってきたんです。貴重な経験をさせてもらいました・・」。
なんということ!こちらが想定していなかったことを自分で想像してくれて、しかもとても楽しんでいる。植田さんはトーク担当として飯田さんと一緒にステージに上がるから、緊張していたはずだ。だからこそ、こういう敏感なアンテナを張ることが出来たということでもあろうが。
たまたま彼女の横に私が座ってビールを飲んでいたから彼女からこういう話を聴いたに過ぎない。参加者はいろいろにこちらが想定した以上の発見をしていたに違いない。でもでも。嬉しかった。翌日も渕上さんらにその話をした。これが親バカと同じく先生バカというものだと思った。
この日のことを逐一書き出すときりがない。ホントに簡単にしておこう。
お昼、渕上純子さんが入ってきて、何か建物に叫んでいた。彼女も黒子さんと同じくこの建物がどんな風に響くのか、建物と一緒に唄うということをするのだろうと思った。
上田假奈代さんの足がかなり痛んでいる。昨日かなり動いたし、過労続きなのだ。今回、彼女ほど多くの出番があり、そのうえ制作コーディネータとしての実務もこなしたから並大抵の働きじゃあなかった。
それでもファイル2のポエトリーリーディング「踊り場の詩」では「愛さない」も追加して、一人で誰にも助けられずにこの大きな歴史的空間に立ち向かった。ダンスでも音楽でもなく。誰でも使うことが出来ると思われがちな「言葉」という道具を、詩という芸術にするという困難とともに。
ファイル2のトークでは金武先生にも出てもらったが(学生は演劇をやっている文学部2回生の安藤さんとTAM研代表の佐藤さん)、ファイル3のトークは渕上純子と船戸博史が出るので学生2名(植田さんと飯田さん)だけにした。ポエムについてのトークは初めてだったから難しかった。いつか司会ではなく自分もトークの相手となってゆっくり詩を巡って語りたいものだ。
アンケートでトークはつまらなかったというものが1枚だけあったが、昨日だったか今日だったか忘れた。まあ、ライブのなかのトークはたいがいうまくいかないものだ。でもそのやり方を研究し試行するのが自分の仕事だろう(こんなことを中心にしている人は少ないだろうから)。
ふちがみとふなとのライブでは、100席だった昨日から30席ばかり増やした客席が、お客さんと関係者によってほとんど埋まった。vol.1の最後に「夕暮れライブ」をしたのは正解だったな。でも渕上さんや船戸さんにとってはとても早く起きることを強いたわけだ。
さまざまなタイプの曲が唄われた。全9曲、40分ほど。
くそったれ、やってみろ。強くて気持ちのいい歌声が響く。
はたまた、100年前、日本で初めて作られたワルツ「美しき天然」が響く。ちょうどこの建物が設計されていた頃だからきっと設計者もこの建物を使っていた銀行員もこのワルツを口ずさんでいたに違いない。鍵盤ハーモニカをもって上手と下手を逍遙する。マイクがいらない響きのお散歩。
電気によるレヴァーブ(reverberation)は切ったという。残響が天然にあって、それのほうが芯が残るのだ。
単純に唐突に簡単に呆気なく。船戸博史の声も、はもっていく。
たんじゅんにとうとつにかんたんにあっけなく。
照明も夕焼けの色になる。おもちゃのラッパ、アフリカの自転車の音。
昨夜は中高年の顔があったし、観客層は3つのファイルとも多様だったと思う。ファイル3は客席に子連れが目立つ。4歳の男の子連れの女性と話をする。いつもふちがみとふなとのライブに彼を連れて行くからよく歌を知っているのだという。007のテーマはきっと彼のゴッコ遊びに使われているのだろう。
第3部のトリは「帽子に注意!」。
「愛がなくても、ダッコはできる。」の歌のところで私は主催者であることを傍らにおいて、身体を揺らし踊っていた。もう大丈夫だろう。
詩と歌と音楽と場所に酔っぱらった一人の聴衆になっていた。
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