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朝一番に投票をすまして京橋、OBPへ。9:30、JAM West例会の開始1時間前に着く。
日本アートマネジメント学会関西部会第21回例会。まずは、旧年度決算(01年度予算額35.5万円に対して50.8万円の決算額)の承認。そして2002年度予算54.8万円の審議。6/29に行われる関西学生アートマネジメント会議運営費10万円が新規事業となる。
すでに6/2の関西女性アーティストファイルvol.2(タフ2)に合わせてすることは決めてあったが時刻などが未定だった第23回例会の説明をする。京都橘女子大学清風館9401教室に、11時から。・・・
さて、11時前からメインの加藤義夫さんのお話。
日本の画廊や美術館の特殊で可笑しい実状、アートフェアや展覧会の裏話、実体経済との体験的な関係把握、世界の現代美術界の実際を話し出したら、彼の話の面白さは尽きない。
若い研究者にとっては、それぞれが論文のテーマネタの宝庫である。それも美術運営という視点だけではなく、日本(経済)文化研究の一環として、たとえば頼母子講みたいな(あるいは公共工事の談合みたいな)画廊業者間の「交換会」を考察するだけで、気の利いた論文が出来ると思う。
アーティストインレジデンスにしても、勉強になる。世界で一番早かったのはフランス政府で、古くは、ローマ賞を取らせるためにアングルを派遣していたらしい。大阪府は日本ではかなり早くやっているのに有名でない。それは、予算が350万円だからでもある(茨城県のアーカスは5000万円というのに)。
加藤義夫さんが書いた「ドイツの文化政策に学ぶ〜国力とは文化力〜大阪・ハンブルク友好都市提携10周年記念事業」のコラムにも「ハンブルクは商業都市にもかかわらず文化予算は大阪の100倍はあって、大阪市の文化使節団を驚かせた」と。
なにせ、大阪府も大阪市も形の見えないものには極端にお金を出せないわけだ。サービスサービス、まけとっての値切り根性があるのだろう。それに北関東の茨城県には悪いが、大阪には東京へのコンプレックスと憧れが少なく(和歌山あたりではまた違うし最近はそうでもないという説もある)、特に地元関西のブレインや感性への評価は極端に低い。
これは、関西のすごい作家を、関西の画廊は身近すぎて評価できず、東京や海外の画廊が扱っているということともつながっているが。
今月の終わりに大阪でアートフェアが2つもある。調整できなかったのは問題だが、どんなことになるのかぜひ観察する価値はある。SUMISO(ギャラリーゼロの高森という人の仕切らしい)は昨年に成功した。小川登美夫のギャラリー(奈良美智、村上隆など)が出店したからだ。CASOはギャラリーヤマグチの仕切。
何かと人のつながりが見えないことが多いから、そんなことも出来るだけオープンにして、この学会が、アーツマネージャー同士の透明性を少しはつける役目になればいいなと思う。
出町柳から14:30の京都バス静原城山行きに乗り、終点に着く。大原に近い。たんぼ。八重桜がまだ充分楽しめる静市静原町。名前からして風流な場所。ここの鈴鹿家が今回公演とワークショップが行われる「北村成美のダンスアットホーム」の公演空間である。
企画はARTS STAFF NETWORKの小鹿さんらで、彼女は石田陽介さんという人とデュオで踊ったりもしているらしい。
バスで着くと、ちょうどワークショップが終わっていた。
このワークショップは、東山でジャレミサさんのダンスワークをしていたはなと同期の人たちも受けていたし、ミエ・コカンポーなどの制作をしている平岡久美さんと一緒に広島の舞踊家も2名参加していた(名刺をもらったのは、D.D.K.ダンスクリエイトの玖島雅子さん)。
このお家はアーティスト鈴鹿芳康さん一家の自宅なので、もう美術品やかわいいお土産がいっぱい。建物も手づくりぽいしリビングが広く今日はちょっと寒かったのでお庭を客席にする人はいなかったが、もう少し暖かくなるともっと広く使える。ちょっとバザールカフェ的でもあり、実は長女の鈴鹿亜美さんが、2004年春にオープン予定の【ART工房・CAFE的サロン空間】をプレ的に今回は行ったということにもなる。
次女の鈴鹿樹里さんは今回のダンスのあとの交流パーティのシェフで、そういえば、アートコンプレックス1928のモノクロームサーカス公演で彼女が作ったケーキを食べた。すごく豊富なメニュー。ダンスを満喫したあとの開放感も手伝って、あっという間になくなっていた。桜の花まで食べたのは誰でしょう。
新潟産のオーガニック発表酒「麻物語」も今回うまかったし、ほんとに野菜がいっぱいでよかった。麩を揚げたり、オーガニックで肉を使わない料理なのにボリュームがある。これなら、週末カフェとして、とてもいい感じになるだると予感する。
ということで、北村成美の『i.d.』である。37回目。始まる前に後ろ足が不自由なここの犬がないていた。14:11〜16:38。上念省三さんのお家とかダンスアットホームも数回行われているらしいが、私ははじめてで、ダンスと環境についての可能性の広がりと様々な楽しみに出会えた。
まず、1)ここには生活の匂いがする・・・本棚と食器棚が舞台の上手に見える。下手は覆われているが窓の外に桜がのぞく。料理も作られている。そして、2)家族の成長と変化が物語られている・・・木のフロアの傷はこのお家の歴史である。かかっている美術品はここの人たちが毎日見ているもので、もちろん好きだからここにある。つまり3)個的なつながりによって当事者には意味が明確であるものに囲まれている。
他方、この公演では、ここにあったはずのテーブルやソファーがなく、鈴鹿家とは知り合いでない、赤の他人の観客がぎゅーぎゅー詰め合っていることにも興味がそそられる。1)〜3)の存在を前提としながらダンスを踊り観るという別の行為が突発するというわけだ。
でも、もちろん、ここは普通のお家といっても開かれることに臆病ではないし、そういうパーティなどに慣れている環境であることは、扉をあけるとすぐに感じられた。
広いこともあり、スクリーンもちゃんと作られてあって、三林かおるの影ものびのびと映っている。
さあ、北村成美はどうでてくるのかなと思ったら結構心に秘めた重い登場だった。赤いショーツのシーンから、背中のもりあがりを見せるダンス(間近なので肩や足首の形状をよく眺めることが出来る)から缶コーヒー(緑のジョージアは決まっているのだろうか)のシーンへ。
缶コーヒーの唇と舌のダンスの潔さを、初めて見た女性が色っぽいですねと話している。踏ん切りよいかっこよさは色気なのかも知れない。影との関係をもちろん、i.d.というアイデンティティの不安(揺らぎ)の問題として考えることがまっとうなこのダンスの見方だということを改めて気づかされる。
すらりとした影(虚像)とちいちゃくてすらりとしていない実像。途中までは影は実物と同じ動きを殊勝にしていたのに、そのうちに、床にのたうち回っている実像を置き去りにして、影は独立して、すーっと上を向いて伸び上がっている。この影と実物との落差の悲喜劇を軸に観ること。
それは強要されるわけではないが、そんなふうなことは観ながら自然と感じられてくる。
そういう面では、『i.d.』以降の作品とくらべるとかなりコンセプチュアルな考察を引きずっているようにも思えるし、モデュールのような(だいたい5分ずつぐらいにシーンが変わる)ありようは、ミニマルアートとの親近性も感じさせるものだとも思った。
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