Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Harmful
Insect
338.
4/21(日)
塩田明彦監督『害虫』京都みなみ会館
また、RCS会員になった。これで少しは映画を観ることが多くなるだろう。一度映画館に行くと予告編やポスターなどによって観たい映画が生まれてくる。お芝居やダンスと違って(たまに自分の次回公演予定を映像で見せる劇団があったりはするが)その広報手段は巧みだ。
今日も京都みなみ会館に行くと、前の映画「まぶだち」のアフタートークがあって、どうぞ入って聴いてくださいという。監督が若くて(古厩智之)、どういう子どもをキャスティングしたかを肩肘張らずに話している。つい聞き込んでしまいにはこの映画も観たいなと思っている自分があった。ぼくは昔から子どもが出る映画が好きなのだ。
さて、塩田明彦(1961年京都府生)監督の『害虫』である。
1999年に作られた『月光の囁き』が高校世代の足フェチラブ(「SM的純情」とカタログにはある)、同じく99年の『どこまでもいこう』は小学校世代の男の子たちの群像だった(同じくカタログによれば「異性へのほのかな恋心」)。そして『害虫』は女子中学生サチ子の羽ばたきの物語(一言で伝えることばなどなかなか思いつかないけれど、とりあえずこういうフレーズにしてみた)である。
小中高、3世代を描く3部作の完成。なるほどスタイリッシュなフィルモグラフィーづくりのようにも見える。美少女への憧憬と拒否という相反する気持ちや現れを描くという部分は、3つの映画とも共通するものがあるのかもしない。
しかし、『害虫』では主人公をただ美少女という記号としてとらえているのではない。
3つの塩田作品のなかで個人的には『どこまでもいこう』の軽快な感じが好きなのは、性差や進路などについてもまだ未分化な小学生中学年の世界に戻りたいとぼくが思い続けていたことと関係するのだろうと思ったりもする。
一方、中学校時代(特に中1)において、女性と男性の成長格差が極大化するというのは言うまでもない。女の子は小学6年生にもなると、完全に同級生の男の子を無視して大人の男女の性とつながる匂いが漂い始め、男の子たちは単に毛が生えたとか勃起したとか、局所的な話題のなかで空しく取り残されていく。
撮影/喜久村徳章、美術/磯見俊裕。
特に学校には行かないで堤防にいる主人公北サチ子(宮崎あおい)の簡潔なショットの連続がキュートだった。石の結晶やビーカーに入った熱帯魚とそれを見る彼女の微妙な距離の取り扱いも。そして、象徴的なシーンとしては少し定番だが、中学校の校門を閉める場面。
図書館での手話での会話(とそれを眺めるサチ子)というユニークなシーンもある。手話を福祉目的以外に使ってみる面白さのことを思う。サチ子は手話をしている二人の横に座って大分にいる元担任の先生緒方へ手紙を書く、メールや携帯を使わないで。
「人生は戦場。そんなこと、とっくに知っているよ。」
『害虫』Harmful Insect。2002、92分。終わり方は突然で、もちろんもっと見たいと思うが、その先はまた別の物語が待っている。脚本/清野弥生(1970年生、映画美学校卒、塩田監督がそこで教えていて彼女の感性をピックアップした)。
題名の解釈に拘泥する必要はないが、とりあえず表面的には北サチ子をまわりの女性中学生がそう呼んでいたと考えていいのだろうか。
あるいは、可愛さと美しさの過剰が引き起こす「害」への排除や恐怖を表しているのだろうか。
「虫」=「無視」することでなんとか自分たちの暴走をとどめておきたい。学校と家庭という崩壊寸前の制度を、生徒も教師とともに。必死で(=欲望から身を逸らせて)守っているから。
でも虫は無視できず、ひそひそ話をトイレのタンクに詰め込む。ほんとに、小っぽけな羽「虫」が教室に入ってくるとパニックを起こしがちな女子たちったら。蚊音ですら鮫肌立つ感じすぎる皮膚の泡立ちは半端ではない。アンビバレンツなんだから。
手紙の文面が映画の途中に エ唐突に差し込まれる。はじめ、活字であったことやかっちりした文章だったから、サチ子が遠くにいる男緒方(田辺誠一)からの手紙を堤防に座って読み、図書館で書き、家のポストに待ち受けるというやりとり場面とうまくつながって見れていなかった。元担任の緒方からの手紙はワープロで書かれていたのかどうかすら分からない。いまどきのメールでないのは、きっと二人に存在してしまった遠さと大切さに関連しているのだろう。
サチ子にとって小学6年生のときに髪の毛を拭いてもらっていた先生は、初恋としての恋心が続いているかどうかにかかわらず、この時点で彼女にとって一番の支えであることには間違いない。二人の通信のジグザグが映画の最後まで伸びて続いていたからこそ、この物語が風俗的な描写に止まらず、臭い言い方だが、ある種の「青春」成長物語になっている。
ここで起きる悲惨な数々の事件もどこかいまではそんなに特異ではなくなっている。これこそいまの日本の悲劇なのだろうが、それも仕方がない。タカオ(沢木哲)のチンピラ度合いも優しさと同じぐらいの分量で適度に描かれ、悪をヒロイックに美化していない。
同じく、精神薄弱の浮浪者(廃物で作った小屋に住んでいる)キュウゾウ(石川浩司)も学校に行かないサチ子に笑顔を取り戻させる重要な人物ではあるが、障害者であることを聖人化したりはしない。
サチ子自身、残酷な場面を黙視するが、結構臆病だしずるい。当たり屋にはなれなかったし同世代の男の子とつき合うことで彼女をかばい続けた夏子(蒼井優)が内心寂しく思っていることなどには気づかない(ふりをしている)。夏子の家への火炎瓶投げも愉快犯に近い。もちろん母の男が自分を暴行する場面を目撃してしまったことで、夏子の善意についての負担が限界にきたからだろうが。
あと、サチ子のまわりでうろちょろする尾行サラリーマンやファッションホテルで声をかける男などの枠役も心に引っかかったままである。
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