Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》RYUZANJI-OMS

335.
4/11(木).
流山児★事務所公演『最後から二番目の邪魔物』OMSなど


有名な劇作家であるつかこうへいという人を人物的にはあまり知らなかったので、この昔の文庫本を面白く読んだ。『つかへい腹黒日記 PART3』角川文庫、1889.9。

一言で言えば、「偽悪家」なんですね。蜷川幸雄はじめ、かつての演劇人とか演出家ってこの本にあるようにはちゃめちゃで暴力的なイメージが自他共にあったわけか。

そういう危ないイメージという面では、流山児祥という人もそういう伝説を持っていると聞くなあ。天野天街だって風評だが、そうだ。
てな、前フリで、流山児★事務所公演『最後から二番目の邪魔物』(佃典彦/作、天野天街/演出)のはなしへ。

扇町ミュージアムスクエアの入り口で、少年王者舘などのチラシを絵はがきにしたセットを売っている。すべて今回は演出を担当する天野天街のデザインである。OMSで作りましたと松井さん。1000円で8枚、彼女に1万円札を渡したら、1000円のお釣りをくれる。

ぼーっと放心状態みたいに見える、大丈夫かなあ。心配になる。OMSを巡るさまざまなことを思って。
キャンパスブラザ京都の講義の受講者(立命館大学在籍)もIMI(インターメディウム研究所[大学院])の花光潤子さんにいま習っているという。松井さんとダンスボックスの葦田さんがそこの先輩である。アーツマネジメントを実践的な学ぶ場として関西に初めて出来たのがIMIであるから、来年度の文化政策大学院をうちが始めるに当たっていろいろ教えてもらわなくてはならないだろう。

流山児祥が、終わってからの挨拶でOMSについての何らかの運動を起こすといっていた。
ホールの黒いタールみたいな色の壁を触ってみる。でこぼこな手触り。ところがお芝居が始まればこの壁は消えてしまう。現れては消え、また現れる。それが劇場という物理躯体の不思議である。いつもこの壁の傍に座っていたが、もうすぐこの無骨な壁もそのそばの席もなくなるのか。

19:09〜20:53。笑って笑って哀しくなる。天野天街の演出にはとても馴染んでいるのに、やっぱりはっとする。
突然の闇、突然の消音。
繰り返す馬鹿馬鹿しさ。言葉遊び。
過剰と過小。

作者はB級遊撃隊(この劇団は東京にいた頃に見たなりで、その後とんとごぶさた)の佃典彦。B級遊撃隊の芝居の記憶は1つしかなくて、不眠症の男の話が特に印象的だったことを憶えている。今回の引きこもり男を見ながら、不眠症の男の事を思い出す。

白昼夢を見続けているような引きこもり男は、不眠症の男とちょうど鏡の裏表のようだからだ。同じといってもいい。
佃典彦とB級遊撃隊にあるのは、天野天街のような偽ノスタルジックは風景ではなさそうだ。ただし、絶望の深さについてはかなりの程度共通するものがある。

他方、流山児★事務所の持つ暴力的な猥雑さ、騒々しさ、ちびやデブなどのサーガス見世物/動物園的キャラクターに合わせた脚本づくりは、この作者のもう一つの顔だと感じる。

そこにあるのは、つじつまがあうストーリー展開というよりも、騒々しさにぴたりと張り付いたどうしようもないわびしさに満ち満ちている世界。それらが実に巧みに浮き彫りになれている。

主人公は、ひきこもり男の若杉宏二。歯が痛い。セデスをぼりぼりかじっている。痛いことでやっと存在が証明される。でもほとんど夢の中。
アンチヒーローによる錯乱した紙相撲遊戯とヒッチコック映画のような覗きの毎日。紙相撲遊びの邪魔をされると、冷蔵庫に入れたりハンガーに吊したりする半無意識の凶暴性を発揮するひきこもり男。

その男に覗かれることで快感を覚える初老の男木村(流山児祥)、この前新宿梁山泊で見た大久保鷹を思い出す。お互い哀しい肉体をさらしながらの怪演である。

よく似た2人のちびの探偵も可笑しい(二人は前半では心理療法士とその見習いだった)。こちらも同じ顔の富山のクスリ売り3人組、天街の専売特許である無限繰り返し地獄に突入する。

出てくる人物はみんな「木村」という名前なので、区別がつかない。主人公木村(若杉)が別れた妻の男と称する木村(水谷ノブ)は、切れやすい家庭内暴力男なのに、ひきこもり男たちの前では結構常識人である。

青虫教という宗教団体の男、木村(栗原茂)はおかしな偶像を売っていて、その青虫様を押すと白い糸が飛び出す仕掛けが笑える。

題名には《残酷な生き様 見せかけの終末 歯痛と苦痛の成れの果て》という分かりやすいサブタイトルがついているのだが、『最後から二番目の邪魔物』自体はどういう所からついたのか、いまだによく分からない。


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