Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》SPACE X
by TAZAKI Takeshi
第3回アトリエ劇研演劇祭が始まった。『ことばとからだと、あなたとわたしと。〜私たちにはもっと手だてがあるはずだがあるはずだ。私たちにはからだがある。ことばがある。あなたと共感したい気持ちがある。』(全体チラシのコピー)
プレイベントも終わり、今日はProgram1の最終日。道が分からないなどの理由で遅れてきたお客さんが8人もいて、ほんとにいっぱいだったので(80数人)帰ってもらったらしい。惜しい、杉山準さんがあと1列作るかどうか悩んでたそうだ。
終わってから、ヤザキタケシさんらはじめ、これから出る人たちのオープニングパーティがあった。
公演が始まる前に、高松から来た八木亮三さんと岡本陽子さんに会う。この前八木さんから電話があって、彼らが今度は「たかまつアーツの人づくりプロジェクト」を受託することになったので、会いたいという。二人が見るというヤザキタケシ公演の日付にぼくも合わせて、公演前に会おうということになっていたのである。
岡本陽子さんはヤザキさんらと同じスタジオにいたそうで、高松で数少ないダンススタジオを開いている人のようだ。彼女がワークショップなどのナビゲーターになってヤザキタケシを呼んだりするという。
実はよく知らなかったのだが、ヤザキタケシのルーツは高知県(今日はアトリエ劇研にご両親も見えていた)で愛媛県にも住んだこともあり、でもいまの実家は香川県さぬき市(志度町などが今月合併して出来た新市)だという。
さて、ヤザキタケシ(振付/演出)とアローダンスコミュニケーションによる『スペースX』。アートスペース1928でほぼ同型の作品をみたかも知れない。が、それよりもトリイホールなどでの「スペース4.5」の一連の作品が思い出される。舞台上の知覚とそれらの思い出がそれぞれに照応されつつ自分の中に綴られていくことが、ことのほか新鮮。あたかも初めて出会ったダンスと同じような驚きがあって、とても嬉しい。
15:09〜16:20。ダンス公演において70分間の作品というのはかなり大作である。それも、舞台美術は白いテープで正方形を作るだけなのだ。演劇人的サービス精神が溢れてしまうヤザキタケシが終わった後のスピーチでしゃべっていたように、日本人はこんな四畳半の世界で健気で生きていることをフランス人に見せてきたというけれど、そんな説明もあってもいいし、もっと深遠なことを思っても十分に通用する作品である。
優れているとか面白いとかいうのはどういう基準であなたは舞台を評論しているのか?と聞かれることがあるけれど、自分がそれについて書いている言葉が絶対にそのものを伝え切れていないという悔しさを感じられるステージがそれに値すると答えたらいいのかなあとヤザキのステージを見ながら思う。
うまく伝えきれない言葉しか出てこない。それでも色々書きたくなる。でもその言葉はそのものではなくそのものの回りをぐるぐる回る近似値にすぎない。そんな循環が起きるのが自分にとっていいダンスなのだ(逆説めき、ちょっと言い訳ぽくはなるが)。
さらに、その忸怩たる気持ちを多くの人が持つとする。その人たちが、近似値にしか言葉では説明が付かないとしてもそれでも何かを語りたくなり紋切り型でない自分なりの言葉をそのダンスから紡いでいけば、彼のダンスが広く開かれて社会と呼吸していることになるのであろうと思う。
佐藤健太郎がドレスを来て上手から下手へ動く。ドレスを下手に吊す。スペースXの外枠を彼が創っている、時の彫刻という形で。そういう面では後半の化粧からラストにかけて、あるいは、リングのレフェリー役までもがダンスを異化する道化としての役回りである。
次に赤い服の女性、松本芽紅見が登場。自分の背丈を利用して白いテープをかっこよく貼る。スペースXの内枠の形成。しゅっと伸ばしてピタッ。客席に対しては角が前方になるような正方形が出来る。いつも思うのだが、照明でこの正方形が別素材のように浮かび上がる。今回は、まわりが深い海の色になって正方形の中だけが砂っぽいグランドに見えた。
室内のぐちょぐちょした日常がヤザキのソロで展開するはずなのに、その前にまず松本芽紅見のソロはもっと粘っこいダンスで、これが今回特に新鮮だったし、その時に海の中で夢見ているクラゲのイメージがどうしても脳裡に浮かんできて、それを今回のダンス鑑賞の基調になってしまった。それほど、彼女の粘っこさと浮遊感のアマルガムが強烈だった。
だからこそ、ヤザキタケシのそのあとのソロはいつもよりとても叙情的で軽やかに踊られているように感じた。「宇宙独楽の回転」と彼自身がいうかっちょいい動きの前のかっこつけない動きにも、いつも彼が持っていたと思う「ダンスへの陶酔への警戒心」が以前より減少している。それは、美しくてもいいぞという素直な舞踊宇宙へのラブコールだとぼくには思えた。
後半、一転して2つのデュオが踊られるのだが、その前に少しレフェリーが登場して二人の戦いをけしかける場面がある。このあたりは、この長さをつなげるための演出上の工夫であり、ほっとするひとときではある。さあ、二人はこれからどんな踊りを踊るのか、と待っているなかでコンタクトの強い踊りが先にあって、最後にジャズダンスからでも入りやすいユニゾンの軽快なダンスがトリを飾る。
前半の音はラジオのコラージュで、もちろん馴染みのものだが、後半の電子音よりも格段におかしくて、ピヨピヨ大学や素人ジャズのど自慢などの昔のラジオ番組に反応する自分がある。特に「電報クイズ」は、どんなものだろうと妄想していまうよね。クイズに応募した家の中から選ばれて、突然電報ですと夜中にノックがある。息子が戦死したのかしらとびくびくしてそれを受け取ると電報の中身はクイズの問題、どきどきしながらそのクイズにまた電報で答える。そんな番組だったらいいのになあ。
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