Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》C-Pack*2


vol.348
5/18(土)
アーツリボンゼミの校外学習としてのアトリエ劇研演劇祭C-Pack
(さらんプロデュース/砂連尾理+寺田みさこ)

今日は、昨年と同じようにゼミとして初めて外に出かける観劇の日だったのだが、昨年と比べるとどこかクールな反応だった。

松ヶ崎駅で待っていると、5人が時刻どおりに来た。中野さんと田渕さんは隣のゼミの高橋さんとともに清水さんによるコンテストチラシのための撮影をすでに動物園で済ませていた。あっという間に終わって、清水さんが帰ってしまい、することがなくなって京都芸術センターに行くと、不思議な展示に出会ってしまったという。

聞いてみると藤本由紀夫さんの角砂糖が回る作品だった。それがあるだけなので、どれが作品なのだろうかとシリンダーを覗いたりうろうろしたという。

別の4人は206系統の市バスに乗ってアトリエ劇研に自力で到着。松ヶ崎からあとで来た二人もそこまで待っていて無事到着。一人が都合が出来てお休みということ。事前にお芝居が1時間あって休憩が入り、25分間のダンスが続くということを伝えておく。

そして個別に意味が分からなくなっても、ただ身体の動きだとか照明だとかをそのまま見ているだけでいいから、パニクラナイでねと言っておく。それでも終わってから「バナナ」の意味が特にダンスではどうなのかが知りくてたまらなかったとか色々言っていた。

前列に座っている彼女たちを見ていると、1時間のお芝居の方が座っているのがしんどそうだった。立命館大学でもかなりの不満があった(5分ちょっと予定より開始時間が遅いだけでかなりの不満あり。定時刻すれすれ観客対策として5分押しがこの世界では常識なのだが)から、それは予想できることであとでどんな感想を聴いても悄げないようにしようとは思う。この良さが感じられないとはけしからん!というつもりはもちろんない。

が、でも、だから君たちが好きな劇団四季とかだけを見ていていいのよというのなら私は必要ない。ここが難しいところね。
終わってから、これから10年ぐらい観た後で今日の鑑賞を思い出すととてもよかった経験になるはずだよとある学生に言ったが、10年は長すぎるから卒業までに何とかそういう風になってもらう学生を数人でも新しく誕生させる必要はあるだろうな。

C-Pack(さらんプロデュース/砂連尾理+寺田みさこ)15:02〜16:40。昨夜より、2度見た今日の方が学生引率というお仕事中だったのに満足度が増えた。お芝居の方も(さらんプロデュース「バナナ」)、ダンスの方も(じゃれみさ「初夏一番」仮題)そうなので自分でも驚いた。だいたい、2度目は先が読めるので面白くなくなるのだが、そういう面では古典落語と同じかなとも思う。

ダンスは昨日と構成や振付に変更があったためのせいも幾分かはあるのだろう。お芝居では、初めの前説から流れ込む即興みたいなやりとりも実に昨夜とまるで同じなのに、今日も同じように笑えるし、同じようにちょっと笑いづらくて白ける(「バナナ」のうそっこ演奏のところ、これも狙いなのだろう)ところまで同じ反応が自分に起きる。

今回特に印象に残った点のみをランダムに記録しておく(昨日については「こぐれ日記347」を参照):

○テーブルの下に脚を伸ばして座るごまのはえの冒頭の語りがこのお芝居「バナナ」のテーマとして明確に提示されているように観客には受け止められる。だから、それは結構つらい始め方なのだが、白い布で包まれた箱に座り、彼女に取り去られた椅子の「埋め合わせをする」最後のシーンでとりあえずの落とし前をつけることで、脈絡のないステージを忌避する観客にも満足を与えようという努力をしている。

○何もない舞台であって黄色の箱や黄色のカンカンなどはあるが、大きなものとしては唯一上からの照明。それによって鮮やかなで黄色に染まる机がある。影の周囲に黄色い粉が付いているほど黄色い色が目立つ。カーテンを閉めるのも窓を開けるのも、コーヒーを入れる(水を電子レンジでチンして温めるのも可笑しい)のも不完全なジェスチャー。

○黄色く染まる机の上が二口大学の落語練習も場所にもなる。落語の内容は古女房に対する嫉妬であり、ごまのはえ男が始末しないといけない暴力を振るってしまって逃げられた彼女とは幾分違うものではあるが、どちらも泥酔した男の無様さを笑うところで共通したものがある。前説がわりにギター演奏の振りがあるが、その中の「熱い息」という曲の内容がこれなにかと客席で教えてもらう仕掛けになっている。

○ダンスの前に3分ほど二口大学とごまのはえ(彼が今日この前説をこしらえたと杉山準さんが教えてくれた)の前説がある。やっぱり歌の部分が暗闇省略の歌なのだが、その歌のテーマがNYの飛行機テロなのだという。これによって、砂連尾理のバナナを右手に持って自由の女神のように掲げてシルエットで踊る冒頭におけるソロの意味や、背後で流れる英語のニューズのような音を示唆してくれることになる。
でも、それは何気なくやっているし、もっと違う見方も出来る余地は充分ある点も見逃せない。

○ダンスの構成で一番違いがすぐに分かるのは、赤いシャツを二人で着るところが昨夜よりも早くなる点。あとは寺田みさこの振付が随分変わった。時間は変わっていないので、追加されたものはないのだろうが、二人のデュオで、昨夜は初めの方だけに目が行ったが、今度は後半の歌謡曲風スラブ音楽みたいなので楽しく踊るデュオの挿入が前後の生なダンスをより浮き立たせる重要な働きがあるように思った。

○最後の砂連尾理の振付は不自由なダンスと言っていいのかどうか。彼が腕を交差してそれに脚を絡ませるものに一種いいようのない不安が漂う。いつもは何の心配もなく腕が広げられるものなのに、腕を広げるだけのことがなかなか出来ない時のことが想起されて、胸がつまる。


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