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344.
5/9(木)
若井博人『踊リタイ気持チニ従ッテ、その1』ウィングス京都&仏教音楽講義

午前中は、コンソーシアム京都『アーツ&セラピー論』の第4回目。
ちょうど6/22に京都南座で演奏される『時宗の声明、醍醐寺の声明』の監修者でもある岩田宗一さんのレクチャー。冒頭に、まず、去年はお坊さんは街に出てほしいという話をしたが、今回はお寺にみんなが行こうという話をしたいと前振り。

今日は「南無阿弥陀仏」の方の念仏を中心として話されたので、基礎知識が少ない学生が多かったにもかかわらず、ほとんどの学生が興味を持続させていたし、葬式の時しか聴かないお経の世界に、日本の音楽のルーツがあることを知ってかなり驚いていた。

重要な声明としての念仏。1052年から始まる末法の時代、人びとは早く死にたいと思っていた。「南無○○」とは一切を○○にお任せします(帰依)ということ。南無阿弥陀仏だけでも、多くの省略形(37種類)とそれぞれ1つ1つに多くの節回しがあり、極めて多様なのである。

短い念仏といえど、浄土宗は私は罪深い人ですという悔い改めの気持ちが溢れ、時宗では、切々と哀切をこめてお念仏が唱えられて聴いている方がいまにもお迎えが天国から来たように思うほど。
他方、浄土真宗の東本願寺の板東曲(ばんどうぶし)では、元気が出るよう念仏もあるらしい。生きているいまでも私たち信者は阿弥陀仏の懐に包まれているという確信がそこに表現されているからだという。

音楽ライブとしての様式変化も面白い。平安時代はお堂の中でえらいお坊さんが声明を唱えているのを一般の参拝人は遠く境内から漏れ聞くことしかできなかった。そのかわり、その頃から猿楽師などが余興でありお供えとしての滑稽芸を奉納していて、それを眺めることで仏教の教えを楽しく知ることができた。

ところが、鎌倉時代以降、参拝者もお勤めをしているお坊さんと同じ平面に座ることが出来るようになり、一緒に念仏を唱えることが当たり前になった。そして、それに参加した庶民は自分たちでも念仏を唱える機会を作るために「念仏講」が各地で生まれる。

一方同時に、お坊さんがまちに出る動きも活発になる(仏教音楽=踊りのアウトリーチ)。鉦を鳴らし踊ることで注目を集める。さらに、念仏踊りから始める出雲の阿国が出現・・(以上こぐれ日録より抄録)。

今日は、立命館大学アート・リサーチセンターで、16時半からイトー・ターリのパフォーマンスがあったのだが、それはもちろん間に合わず、ウィングス京都へ向かう。
地下の音楽室。フローリングの床が小さな音も拾うところ。ここでいつも若井博人の小さなダンスが行われる。彼の二人の子どもが受付にいて、納谷衣美さんデザインのタフ2のチラシを渡す。チラシの鳥がこの二人の子どもの目にそっくりだ。

10の椅子のみ。舞台には何もないが、今日は後半ギターが演奏される(すぎたじゅんじ=Haru)ので、椅子とギターが置かれている。
小さいダンス2002。若井博人『踊リタイ気持チニ従ッテ、その1』19:40〜20:07。

始まる前「新世界より」がピアノ曲として流れている。その音が消える。
黒一色の若く小柄な男性が入ってくる。横たわる。無音、と思っているが実は空調の音が音楽室にはけっこう響いている。

はじめは、音のないダンスソロ『忘れないで、いて』19:59まで。途中で空調も止まって、静かさが倍増される。床に彼の靴が擦れる音、ダンスの身体の比重の動きが床に伝わる。無音室の中で自分の体内の音を聴いているようだ。

独特の手の触れ方。サヨウナラ、というのか。それとも、ここにいるぞう!助けに来てくれ、というのか。あるいは、ただ、ぎく、ぎく、と手を段階的に揺らしているだけなのか。手を振るのが決まった文脈にあれば、それはバイバイという記号になったり、ここに居るという信号になる。

ところが、若井の手はただ振られている、文脈も相手もなく。仕草ももたらさず、感情も特定されないように慎重に身体に包まれたままだ。ダンスのための数多くの動きの可能性が固まりとしてあるのに、それをどんどん取り去って肉もなくなり骨だけになると彼のダンスになるのだろうと分かったような解説を自分にしていたら:

突然、決着できないことがある、というフレーズが彼から不意打ちみたいに出てきた。手を振って何かを振り切るのではなく、ただここにいることを確認しているだけの別れというのもあるのかも知れない。

すぎたじゅんいちの登場。
『君ノ声ヲ探シテ』5分弱。優しいギター。若井博人の動きが特段直前と違ってはいないが、ダンスに流れが見えるように感じる。空気がギターの波長で波打っているからだろうか。若井の動きはその流れに安易には同調しない。でも、棹さすというのでもない。床の打診。そして自分の頬への平手打ち。これが1度だけだったことで、余計に切なくなってしまった。

ギターのチューニング。若井がふうーと息をする。20:05〜07。わずか2分の『Stand ap』でも軽快な明るいリズムに載って、最後に立ち上がる。シンプルだけれど勇気の出るダンスであり、ギター曲だ。


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