Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》TAMAI Natsumi-YZAYE


vol.354.
6/8(土)
イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会『玉井菜採』アルティ


京都芸術センターへ行って、藤本由紀夫『in/out』を鑑賞する。このタイトルの「/」が大切だと作者が言っていた。

具体的には「out」の角砂糖の擦れる音と「in」の部屋のキーボード音の間には、2つのギャラリーを結ぶ導線がある。というかそういう導線に私たちは意識が向かう。つまり今日の私には、「運動場でテニス練習する音と光、黄色い転がる球があった」ということが「/」としてすーっと浮かび上がってくる。

かなり音に敏感になってしまった自分がいる。美術展示に出かけたあとに、連動して無伴奏のヴァイオリンのピアニッシモを聴く耳と脳細胞の準備になっているのというのも面白いことだわ。

今日の俊英演奏家シリーズvol.17『玉井菜採(たまいなつみ)』〜イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会。15:06〜16:50。そのあとにアンコール。アンコール曲を別に用意しなかったので、初めに弾いた第1番の3楽章をもう一度奏でる、と玉井。高音が笛のように消えていく楽章をアンコールに選ぶのも、大仰さと無縁な彼女の性格が出ているのかも知れない。

ほぼ満席。年齢層は高いが若い人も。ヴァイオリンを習っている人たちにはこのソナタは重要な課題曲になることが多いという。バッハの無伴奏ソナタと同じく6曲あって、1924年に作曲されたものだが、ヴァイオリン演奏の一つの伝統を締めくくるもので、20世紀の音楽革新の流れとはちょっと趣が異なっている。

ウジェーヌ・イザイは1858年ベルギー生まれでフランスなどで活躍したヴァイオリニスト(1931年没)。作曲家でもあるが、この無伴奏ソナタ以外は演奏されることも少ないみたいだ。

ほんとに西洋クラシックのチラシの写真は実物よりダサい。普通は逆なのだが。玉井菜採も実物の方がずっとスマートで綺麗。グレーの衣裳(清楚感はあるが地味)から休憩後にはクリーム色のもの(より若く見える)に着替えていた。小柄な彼女が上手の高く大きなドアが開いて入ってくるのは、ちょっと見物である。

シゲッティーに捧げられた第1番ト短調から。「いぶし銀」という形容詞が即座に出てくる。これは、この曲の特徴なのか、演奏者の個性なのか。興奮しないなかで、第1楽章は不安的な気持ちがかいま見られるが、そのあと、優しい表情と激しい強さが適量配分されながら、この曲が終わる。ピチカートが印象的。

くぐもった音というのは、次の第2番イ短調(ティボーに捧げられる)で、第1番の曲自体の特徴であるということが分かる。私はこの第2番が一番素敵に思えた。4つの章に標題が付いている。順に書くと、オブセッション(執念)、マリンコリア(憂鬱)、亡霊たちの踊り、フュリ(復讐の女神たち)。

えらく表現主義的なテーマみたいだが、音楽以外の妄想などに取り憑かれているわけではないと思う。敢えて言えば、バッハの完璧さに対抗することの無謀さに心乱れることがあった、という感じだろうか。

第3楽章の「亡霊たちの踊り」では、するすると崖を降りてくるトカゲがかってに見えてきてしまう。ヘビではなくてもっと軽くてでも冷たい動物の運動を、ヴァイオリンの弓の前方に感じて聴いていた。

第3番ニ短調「バラード」(エネスコに捧げられる)。8分ぐらいの曲。緊張感が途切れない演奏。全音階・半音階が使われている分、20世紀の音楽を手がけるための入り口になりそうな曲だ。

イザイという人はぼんやりと写っている顔写真と長身だったことぐらいしか知らないが、玉井菜採が彼のソナタと対話して演奏することで、作者のことも何となく聞こえてくる錯覚に陥る。演奏家というのは、少し霊媒師と近いのではないかと演奏を全体的に見聞しながら思ったりもする。

休憩のあと第4番ホ短調。この曲はクライスラーに捧げられたもので、この甘美な有名演奏家に相応しく古典的な作品にしている。

イザイは自分が演奏者でもあったこともあり、かなり「あて書き」をした人なのだろう。実演者というのは作曲家がいての第2次的な再演者であると言われるし私もそう思う(から指揮者も含めて芸術家ぶるのが鼻持ちならないことが多い)が、このように演奏者が作曲家と同時代であるときは、相互関係で創作されるということもあるということを思い出させてくれる。

だからこの4番の第1楽章(レント・マエストーソ)などは、日本の演歌っぽい感じすらする。2楽章のスタッカートは短くて品がある。この曲を聴くと、相対的に前半の曲(第1〜3番)の方が構成的でコンセプチュアルだったんだなあと思えてくる。

第5番ト長調。この曲も標題があり(「オーロラ」と「田舎の踊り」)、クリックボート(この人はベルギー東部生まれで、そこの民族舞踊のリズムが使われているらしい)というイザイのお弟子さんに捧げられている。

この曲には印象派的なビジュアルの面白さあり。特に第1楽章はうっとりとした。幻灯機を見ているようだ。見ている場所の奥にまた秘密の洞窟があって、表層で映される音楽とは別にそこに流れる水の音がゆらゆら響いている感じがした。2楽章は平凡。

第6番ホ長調(スペイン出身のキロガへ捧げられる)。アレグロの1楽章のみ、第3番と同じく8分ぐらい。初めて動きながら演奏した玉井菜採。弓のように反る姿までが楽器である。ラストの小さな音をホールに置き去りにしたまま、去っていく。でもよかった!そしてアンコールがあって。置き去りにした最後の音がアンコールによって掬われる。

帰り先ほど聴いた曲を即座に買いたくなって新星堂に行く。680円なり(ヴィンセンツォ・ボロネーゼのVn)。帰ってこのCDを聴くと、思い出すところとまるで思い出さないところが結構曲ごとに違っていて面白かった。


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