Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Another pet keeper

vol.363.
7/6(土)
小さなもうひとつの場所第6回公演『もうひとりの飼主』スタジオ・ヴァリエ

別役実さんがかなり昔に、水戸芸術館の何かの公演(戦後の名作の連続公演だったように思うが)の関連企画でトークするのを聴いたことがあった。

そのなかで、「今どきの(といっても当時だから「静かな演劇」が出てきた頃)の劇作家は初めからダイアローグ(対話)で書くからびっくりしている」と彼が言っていたのをよく憶えている。私達の頃は台詞を書くとモノローグ(独白)になったもので、そこから他者を発見するまでに苦労した、と。

そんな記憶があったこともあって、モノローグ劇の極みは一人芝居だろうから、別役実にも結構一人芝居の作品があると思っていたら、実は100本を越える彼の戯曲の中で、今日観たものが唯一らしい。

それにこの「もうひとりの飼主」は、1997年「かたつむりの会」のために書き下ろされた戯曲というから、彼の作品としてはとても最近のものである。ちょうど1時間(14:02〜15:02)。一人の女性がモノローグすることがほとんどの、緊張感が静かに狂おしい持続するお芝居だった。

小さなもうひとつの場所第6回公演『もうひとりの飼主』(別役実・作)。出演/広田ゆうみ、演出(舞台・照明・音響)/藤原康弘、宣伝美術/大島尚子。最小限のユニットである。でも舞台協力や小道具協力、音響操作や受付などでスタッフがどうしても必要でお芝居という作業の大変さを逆に気づかせてくれるものでもあった。

いつも「小さなもうひとりの場所」では、この大島尚子によるチラシのデザインも大きな特色だ。今回の公演チラシは、紺地一色の紙に、白字でいつものように小さく縦に「もうひとりの飼主」とだけあって、その下に極小のイラスト。格子のあるドアのような図形に、人が駆け寄ろうとしているようなイラスがあるだけなのだ。

芝居を見終わってもこのイラストがどういうことを象徴しているのかとかは明確には分からないが、格子はやっぱり社会の檻のようなものだろうかとか、アパートの閉塞状況みたいなものだろうかとか、この小さな扉の檻の前にいて、線でしかない人間の孤独の震えを感じたりするわけだ。

京大そばのスタジオヴァリエ。もう少し入ってもいいと思うのだが(学生前売り900円だから)。面白いのは子供(小学生以下)の入場と、開演後の入場をお断りしている点だ。そういう面では、始まる前いちゃついていて、始まっても女が退屈なのか(不安だったのかも知れないが)頭をひっつけたりいちゃついているアベックがいたが、結構そういう小さな違和感が、この別役劇に集中している私には大きな不協和音になってしまうことに気づく。

女性の一人暮らしだから、そこはそんなに見苦しい感じはしないが、何かが起きたことを暗示するには十分には乱雑な室内。大きくないアパート。でも、猫が餌をもらいにやってくる窓があって、そこは狭い通路のようだけれど、ここだけはかろうじて外気に繋がり空気が流れている。

猫がやってきたかと思って(実は時計の優しい時報だが)。一人の女が大きなはさみを持って入ってくる。にゃお。彼女の生活で一番大切なのは、彼女が「ローラ」と呼んでいるしっぽの先まで白い猫のようである。

ところが、この猫(名前も別にあるようだ、「マリー」だったか)の飼主は別にいるようで、苦情の電話が入ってくる。繰り返し繰り返し。ところが電話する人は飼主自身ではない。それは、あたかも彼女がこのアパート全体の人たちから憎悪され拒絶されているかのようだ。

彼女はあなたという人に語りかけるように話すが、あなたと彼女が呼んでいる人(男)はいない。でも、二人分のカップが用意されていたし、食事の時にも大きな皿とナイフフォークを二人分彼女は用意する。そのあなたが作ったという便利そうでぜんぜん便利でないお茶の箱を自動で開ける装置が大きくテーブルを占めている。

精神科の先生ならば、彼女の独り言がどういうタイプのものかを分析できるかも知れない(モノローグはとても神経症的だ)。一時的な混乱ということもありえるか。彼女はローラのもう一人の飼主を殺害したようだから。妄想でない限り。冷蔵庫にはバラバラにした手足が入っているという。

飼主の耳だけが紙に包まれてテーブルにあり、血でピンクに染める白いリボンがあり、そのようだということは現実味を帯びている。が、でもミステリーでもない。といって、不条理劇というタイプでもない。最後はきちんとしたつじつまが合って終わっていく。

ただ、少し不条理ぽいのは、留守電ではないのに、先ほど電話で話した彼女の話し声が再生されることで、それはこの芝居自体がリニアに流れる時間をとっくに喪失していること、それを集約して示すためのものなのだろう。

女は、自分がいま堂々巡りをしていることをよく知っている。袋小路という場面を自分でどうかして抜け出そうとする女が、そのままそこにはいる。それだけで十分だから、必要以上には嘆いたり狂気したりはしない(ドアの向こうの台所で声を一度はあげるが)。

吐く息だけの男が定期的にいたずら電話をしてくる、彼女の声を聴いてオナっているのだろうが。管理人だろうか、ドアをノックする。その音がよく使われるものではなく、無造作な鉄(トタン)のドアを想定しているためか、木のドアぽくトントンという音ではなかったのも面白い。


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