Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》NAMIKIRI-HALL
京都橘女子大学文化政策研究センターが受託している岸和田市の文化政策研究を進めるためにも一度出来たての浪切ホールでステージを見る必要があった。そこで南海電車で岸和田市へ向かう。
16時過ぎに岸和田駅に到着。9月8日には岸和田名物のだんじり祭りがある(今年は300周年の祭りになるらしい)こともあって、すでに市内は祭りの気配がする。そういう目で歩いていると町には提灯屋があったり横断幕が上ったり、すでに祭りに向かってうきうきしている感じがある。
Kishiwada CanCan(アウトレットとシネコン、夕日の海を眺められるレストラン群)に行く手前(ということは浪切ホールの手前というのも同じことだが)に、古いポルノ映画館がぽつんと取り残されていた。きっと数年したらマンションかなにかになっているだろう。行く途中の商店街もそうだが、向こうのシネコンと対比すると新旧交代の図式そのものの佇まい。
大きな道を渡って、これはちゃんと残っている浪切神社にお参り。かつてはこの先が海だったのだろう。それが埋め立てられてホールやショッピングモールになったからホールの守り神みたいな宙ぶらりんの神社になってしまった。公演の無事とbig waveがホールに来ることを祈願するところになるのかも知れない。
ホールの事務室で石田事務局長や前川総務課長にあいさつ。いままでのオープニングにおける資料や岸和田市の概況を示す冊子などを文化政策センターに送って欲しいと伝える。開館から数ヶ月慣れないこともあるしスタッフ不足でもあって大変だったようだ。これからも企画は続くので終わったものを振り返る余裕もなく、これからの広報やチケット戦略に努めているということ。
事業課の万代主幹を紹介される。地域創造からの助成(ネットワーク事業)でウィーンのオペレッタをする(9/23)という。徳島県日和佐町の小林陽子さんの企画だ。よく続いているなあ。8月は大ゴジラ祭がある。近くだったらゴジラ映画を連続して見れるのに・・。あと藤山寛美13回忌追悼公演とか浪速歌舞伎がある。
のんびりとKishiwada CanCan BAYSIDE MALLを歩く。泉州みやげの水なすを買う、おつけものになったもの(1つ190円)と8つぐらいで298円の袋のものと。人の出入りが多い理由は分かる。お店やレストランも気の利いたものが多いし、座るベンチも屋内やベイサイドにあって、中高生がわーわーやっても変でない場所になっている。
きっとこういう場所は昔は里山や自然の渚だったのだろう。が、護岸工事とか高速道路でびしっと覆われた環境のいまでは、ショッピングモールぐらいしか多くの人たちがくつろげるところがないのだろう。水ナスを一つ生で囓りイズミヤで買った発泡酒を飲みながら、中学生の女子と男子が集団同士で近づいたり離れたりするのを見たりしている。若い雀が一羽迷い込んで困っていた、アトリウムのガラス窓から出られずに。
18時半が開場なので、隣の浪切大ホールへ入る。舞台関係でよくお会いする女性がいて挨拶。レセプショニストは地味な黒いブルゾン。髪をつめている。背の高い40〜50歳代の女性が多い。ジュースを持ち込んだ中年の女性客をどう扱うだろうかと見ていると、ちょっと間をおいてからソフトにロビーへといなざった。なかなかグッド。
大ホールにおけるレセプショニスト(とサントリーホールで呼ばれ出し、それまでは案内係といっていたはず)のあり方もホールによって違うのかも知れない(アルバイトなのかボランティアなのかとかの勤務内容や意識面など)。美術館の監視係とともに、鑑賞者に一番近いアーツスタッフとして研究課題にする学生がいてもいいよな(学生自身も体験しながら実態を調べかつ提案することもできるものだからだ〜参与的観察による研究)。
木が多く使われていてその上赤っぽい色なので入ったとたん暖かい感じがする。だから、家族連れのお父さんがきれいだねと息子に言うと息子はもう来たことがあるので色々お父さんに説明したりしている。狭そうだけれど上に席がいっぱいあっていっぱい入るのだよとか。
BGMはずっとフラメンコギター。ミゲル・アンヘル フラメンコ舞踊団2002JAPAN TOUR『アンダルシア〜情熱の瞬間〜』19:06〜21:05。休憩は19:36から15分間。客席の真ん中はぎっしり。でも後ろや2階席以上は空いている。
フラメンコというとNHKの朝ドラで「私の青空」というのが前にあって、そこで管理栄養士のベテランさんが一人寂しくフラメンコを踊って大暴れているイメージがあるが、今日出てきたミゲル・アルヘルとそのメンバーの計6名はそんなに歳をとっていないし、大げさでもなく、さっぱりしていていい感じだった。
2本のギターが聴かせる。二人の歌手による歌は日本の民謡みたいで、素朴な感じがする。アドリブで歌詞を取り入れたりするのではないだろうか、河内音頭みたいに。フラメンコの手の曲げ具合を見ると南アジアともつながるし、独特の目つきや体のそり方が定型としてあるので、(ちょっと独特の世界ではあるが)これに違和感を持たないならば舞台鑑賞しやすくなる。
ただ、展開が読めてしまって、もう少し音楽と独立して動いたりしないのかなあと思ったりもする。まあ、それはフラメンコには型が決まっているから、フラメンコ的即興はできるけれど、優れたコンテンポラリーダンスのように「創発的である」ことはできないのだから、何が起きるか分からないダンスを期待するほうがおかしいのかも知れない。
でも、ミゲル・アンヘルのタップだけの極小の動きとか、アンコールで音楽舞台の定位置をはずれて、マイクとかは関係ないかのように声だけで「レレレレレ」と声出しながら、踊りを生み出すあたりは、自然発生的な村の広場のフラメンコはこうして発生させるのだろうと思わせてくれてなかなかに感慨深いものであった。4人の男が肩を組んですばやく上手の袖に隠れてしまう終わり方もかわいくさりげない。
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