Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》YOKOTA de touch etc.

vol.365.
7/12(金)
劇場文化研究会ワーキングチーム&水の会vol.5『よこた・で・たっち』OMS

週末はとてもバタバタ。
午前中は関経連29階会議室にて、第2回劇場文化研究会ワーキングチーム。今日の焦点は、2004年にその歴史を終わる近鉄劇場と近鉄小劇場について。扇町ミュージアムスクエアの山納洋さんもいたので、二人が若手劇団にとってステップアップする劇場の大切さについて分かりやすく説いた。

6月末、近鉄の株式総会に合わせてそのこと(閉鎖)が発表され激震が走ったわけだが(ヘップホールについては憶測だけだということなのにインターネット上では一緒に騒がれていた)、近鉄劇場の松原利巳さんも知らされていなくて突然のことだったそうだ。今朝は彼も覚悟してやってきた。

なかでも、特にポスト近鉄小劇場については、提言のみならずこの場がそのきっかけとなって何らかのアクションを起こさなければという気持ちになる。それは私だけでなく多くの出席者にもそういう思いが生まれたように見受けられた。出席しているメディア関係の人たちの協力も欠かせない。

松原さん、山納さん、そしてシアター・ドラマシティの古沢真さんと私の4人が、帰りのタクシーの中で、すぐにでも動かなくちゃと語り合う。とりあえずソフトプロデュースNPO法人を作ろうではないかという話も出て、一気にこのワーキングチームにおける目標の一つが明瞭になってきた思いがする。

大学へ行って事例研究の発表。終わってから、幾人かの学生らとポスト近鉄小劇場の話をしていたら、彼女たちがものすごく興味を示していた。自分達の学習現場としてシアターNPOは実にアクチュアルな場所であることを彼女たちが判りだしていることは、心強いことだ。

やっと、評判になっている水の会(演劇グループ名)を観た。着実にファンが増えていくだろうと思わせる、堅実でそらさないステージづくりだった。役者たちはどこかでみんな見覚えがある人たちばかりで、だから、はじめてここを見た気がしない(太陽族から客演している田矢雅美はもちろんだが)。

水の会vol.5『よこた・で・たっち』(作・演出/奥野将彰)、19:36〜20:56。ここは高校生料金を安く設定している。扇町ミュージアムスクエアで公演すると、どうしても取り壊される建物(廃駅などの鉄道関連もあった)の話になってしまうのは致し方ない。

今度は民間がやっていた学生寮が取り壊されることになり、そこから学生たち(すでに実質的には学生でない者が大半なのだが)が出ていくというお話だった。

暗転のときのフォークソング(死語なのだろうがこれに替わる言葉が私にはない)の音量が大きい。その存在感の大きさと劇中の会話のたわいない日常性とがうまく対比されているように思う。

ラスト。もう鍵が閉まってしまった玄関。酔っぱらってふざけて大声で叫んでも誰も応答なく、それぞれの生活にみんな忙しい(といっても全然ライフステージがグレードアップしたってわけじゃなあないけれど)。

時に一緒に踊ってしまうおかしさや「愛犬ミッキー」と背後で叫に合うノンセンス。そして、20代半ばをすぎて突き出した「横腹贅肉」を互いに摘んで輪舞するカクスコ的な男の情けない連帯(?)みたいな部分があると思えばどうしても喧嘩してしまう男と女の関係を丹念に提示する劇団のようだ。

けれど、一度だけではそれが作風なのか今回のための作劇なのかは分からない(この舞台に限れば、同じ年齢層の男女の話というのが、まあこのステージにおける広がりを規制しているということは言えるだろう)。

だから、とりあえずまた観てみようと思う。たとえば、いまは活動していない三角フラスコみたいだと言えなくもない、きっと色々と挑戦している劇団なのだろうから。
『よこた・で・たっち』という題名は「よこた」という学生寮(横田さんが経営していたのだろう)に触れあうということ?

ディテールでいいなと思った点も多い。
共同の風呂に一人ずつ入る順番を巡るあたりのささやかな駆け引きというか辛抱というか、いまどきかなり不便なことをなんとかやっていく「コモンズ」みたいな時間の余裕のこと。
あるいは、訪問販売につい手を出すけれど、お金がないことにあとで気付いてクーリングオフした話を一人がすると同じ経験をしゃべり受ける女の寂しさ(そこからまた仲の悪い男がちょっかいを入れていくのだけれど)。

そして、よくある話だなあと思いつつ心に残ったラスト近くのあるシーン。すでにみんなは引っ越している。でもここにまだ色々な物品が残されている。もうそれが誰が持ち込んでいたものかもよく分からない。それをみんなで片付けようとなる。

住んでいた頃ならばそんなに日にちの調整は難しくなかったはずだ。ところが、一緒に片付けようとするののだが、なかなかみんなが集まる日が決まらない、一度離れてしまうとだいたいこうなるわけね。
繰り返しは喜劇の定型なのだろうが、そのパタンを実にうまく使っている。


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