Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》HARA MUSEUM&THE JAPAN FOLK CRAFTS MUSEUM*2

vol.375.
8/14(水)
東京へ〜原美術館と日本民藝館を訪れて〜(その2)

東京に出かける前は、REALTOKYOを検索していて、オペラシティの展覧会がいいかなととりあえず考えていましたが、新幹線で読んだ柳宗悦『民藝四十年』の影響もあり(実はもともと彼の本を買ったのは民藝や民画=大津絵などが鶴見俊輔の定義する限界芸術であるかどうかがずっと疑問だからですが)、駒場東大前で降りて、日本民藝館に行くことにしました。
とても苦手な自治省の先輩が大学時代にここへ同郷の人たちを案内していたことをよく吹聴していたのでここへ行くのをいままで敬遠していたのです。

が、行きに千利休や魯山人、小堀遠州をけちょんけちょんに批評する芸術批評家としての柳宗悦(つまらないことですが、名前の読みは「やなぎむねよし」と「やなぎそうえつ」どちらが正しいのでしょう、あるいはどちらでもいいのでしょうか)の筆力が余りに気持ちよかったので、やっぱり行こうと決心しました。

それに朝鮮半島の光化門保存運動や沖縄文化を賞賛する気持ちのよい文章などに出会うと、ちょっと危ないな(ナショナリズムとの関連)という気持ちも一方でありつつ(北海道=アイヌを「手仕事の日本」では取り上げなかった理由は調べなくてはいけないことの一つです)、芸術批評の有り様を考えるために柳宗悦はどうしても考察しなくてはいけない人物であることには違いないと思ったかたでもあります。

ここ駒場東大前も、御殿山と同じように、お店屋さんの並びには「李朝木工唐津備前」と看板に書かれた骨董屋さんがあって、民藝館の影響を感じさせます。少し行くと高級住宅街が始まりカトリック教会があったりします。右には日本近代文学館、左に日本民藝館の矢印があって、少しすると日本民藝館に到着します。閉まっている日本民藝館西館(これは移築された民家だったようです)の彼方には不似合いな大きなビルがそびえています。

《民藝とは民衆的工藝の謂(いい)であるが、私達は無名の職人たちが民衆生活のために作ったそれらの実用品の中に、最も正当な工藝の発達を見たのである。種々な美の相の中で、私たちは健康な美、尋常な美を重く見たいのであって、かかる美が最も豊かに民藝品に示されていることを指摘したのである。元来美と生活、美と民衆とには深い血縁が結ばれて居りながら、今までこのことは十分に理解されていなかった。それ故美術館が民藝館であることに特別の意義を感ずるものである。》(「日本民藝館案内」(1947)、『民藝四十年』所収P185〜6)

芸術批評とはつねに自分が見つけた価値を自分流に表現するために造語と関わるものなのでしょう。それが的確であればその批評が新しい芸術の領域を作ります。民藝とはその最も成功した造語だったのです。そして、晩年自分たちが作った言葉が一人歩きして「民藝趣味、民藝嗅味」になってしまう「内敵」を諫める柳の文章を読んでなるほどと思いました(「改めて民藝について」(1958))。これはささやかな自分たちの活動でも自戒すべきことが多いからです。

《「民藝」という言葉の内容が、一つの型に固まってきては、もはや生命がなくなる》。《私は最初用いた「下手(げて)もの」という字にまつわる誤解を一掃するために、その俗語を止めて、「民藝」という字を用い始めた。しかしこれとても、誤解や異解を受ける事において、五十歩百歩であった。非難の力や抗議の力はさしたる心配は要らない。しかし贔負の引倒し式な好意者の方が、害毒が多い》。

さて1936年つまり原美術館の元の邸宅より2年前に大原孫三郎翁の寄付により建てられたこの日本民藝館本館の肝心の展示ですが、企画展が【日本民藝館名品展西洋編〜日本民藝館改修記念】だったのはちょっと拍子抜けでした。もちろん、「民藝」という日本の眼から選ばれた品々は「無銘」のものたちばかりで、ラテンアメリカやアメリカインディアンのものもいっぱいでどこまでが「西洋」なのかも分からない展示風景が、民家的なミュージアム独特の気軽な気持ちをぼくに与えてくれます。

そして、やっぱり李朝のものや大津絵、それに琉球の着物は定番として見ることができます。沖縄の文物は彼らがいなくてはよりいっそう沖縄の戦火で壊滅したでしょうから、貴重なものであることには違いないものです。芭蕉布や麻絣の文様は沖縄の風と、その風に舞う大きなアゲハチョウが目に浮かぶようです。

大津絵についてもぼくが滋賀にいたときにときおり目に付いた「大津絵」風の展示会に出された有銘の(つまり作者のある)ものよりずっとインパクトのあるもので(もちろん大津市役所の通りにある陶板のものとも違って)、何となく楊宗悦の主張が理解できる感じもします。次の畳みかける文章(あまりに陶酔的なのであえて少し省略しています)から柳自身が自分で隠された「美」を発見した喜びとその説得話法を感じ取ることができると思います。

《それは早く描く所から来た美しさだと。その筆にかつて淀みがあったろうか、逡巡が見えるであろうか。・・多く描かねばならない故、早さが伴うたに過ぎない。そうして定まった図柄を、定まった工程で描くが故に早いのである。その事がその早さに素直さを与える。・・そこには常に安らかさと確かさとがあるのである。・・この事が大津絵に限りない美しさを産むのである。どの線にも胡麻化しはない。》

つまりここは柳宗悦の美意識と主観により蒐集された『民藝』論のサンプルであるとともに、そういう批評精神をいまの時代にはどう活かすことが出来るのかを思索する場所でもあるのだなと気付きます。
展示室ごとにある趣のある異なった座れる椅子(とテーブル)が、ほんとうに気持ちよくて、そこでずっとおしゃべりをしている中年の女性たちがまるでわずらわしくなく展示に見入るぼくたちに感じられるのは、この建物のおかげだとつくづくと感じます。

大谷石を使ったこの建物がもつ個性を主張しない佇まい、騒音を吸引する内装、和風障子からの柔らかい光、木の温もりによる精神の安らぎの賜である・・・とまるで柳調に語り出すぼくがいました。柳宗悦という強烈な個性によって実はその自己主張しない、健康な雑器、民画、民藝が評価され取り出されたという逆説に思いを致しつつ。


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