Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Performing
Arts Messe 2002 in Osaka
あるダンサーから「先生」と呼びかけられた。彼女たちのダンスはこの前の東山より見やすくなったと思った。何も変わってないのだろうけれど、きっと自分の見る目がその時はなかったのかも知れない。
大きなこの大阪府の施設はがんがんと冷房が効いていた、今日は少し涼しい日だったのに。寒すぎるおかげで関節が痛くなった。帰りは歩いた。今日、言葉は出てこなかった。
つまらないパブリックアートを食卓にして、野宿者たちが中之島の緑道で夕方の支度をしていた。彼らはタウンマン、自分はタウンレスだと思った。そして、ポエムレス。セルフレス。他人を「-less」なんて簡単に言えないとつくづく思う。アートレスに行きつきそこから出発するのも、それは川俣さん自らの意思なのだ。
アーツフルなはずの芸術見本市の書類が自分の右腕を重くしていた。この辺に「graf」というデザイナーたちの拠点があるはずだと思ったが、その建物は見つからなかった。
芸術に「見本」という概念はないのだろうと思う。(聞こえないぐらい小声で:それでもやっぱり、イベント屋さんのパンフをもらいながら学生の就職候補を探す目線になっている先生のぼくもいたんだけどね。)
大きすぎる空間でのショーケース。メイン会場の音楽がもろに漏れていた。品のないショーが沈黙のなかでのダンスに泥をはねていた。こんなところでする意味があるのかどうか、分からなくなっていた。
それでも。
ブラインドをぐあーんとあけて、少し今風でない高層アパートたちをバックに踊ったアマンダの身体はのびのびしていた。松山のヤミーたちが終わってほっとしていた。矢崎さんトリオの新作は装置がないからか、とても期待できると思った。じゃれみさんはようやく夏休みだと彼らの日録で言っていた。
子どもたちが多い。あとには怖いと言っていたが、踊りの間、男の子二人は由良部舞踏にちゃんと出会っている背中をしていた。10階では和楽器の体験コーナーやクイズ博物館も出来ていた。田坂さんが書を天井からぶら下げていた。おみくじは大吉だった。
大谷燠さんのお母さんが来られていて鼻がそっくりだった。
あるシンポのあと会場に入って(終わるのを待つと言っていたかこさんはすでにつーさんに会っていた)、ヘリオスの米田さんに、昨日届いた『自治体政策とユニバーサルデザイン』という本を渡した(苦労した学陽書房の編集者がうちは自治体以外にはまったく知名度がないからと嘆いていた)。
ぐうぜん、米田さんは、滋賀のぼくの部屋に泊まって美空ひばり館などに行ったヘリオススタッフたちとぼくの話をしていた(という)。
帰って、明日出かける娘らとダンスボックスの2本のビデオを見た。i.d.のしげやんがアップだからか悲壮に見え。まだ、そんなに過去でもないのに、精華小学校の校庭、椅子のシーンが懐かしい。
ぐりとぐら、大きな蕪、アリス、サンドリアン、ピーターパン。それらを短冊にした読読読読読のBISCOはどうしているだろう。
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