Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》OKAYAMA City cafe+produce theater
おかやまアートファームの大森誠一さんからご招待状(第2期岡山舞台芸術ゼミナールの第1回プロデュース公演)をもらっていたので、せっかく岡山に行くのならのんびり街をみなくちゃと思いつつ、15時頃岡山駅に着く。NPO法人ミーツの小石原剛さんの情報を頼りに、出石町をめざしてバスに乗る。「カフェの鍵貸します」か、OMSそばのコモンズバーの日替わりマスターと同じような発想だなあ(以下、ミーツの案内文。3/1から募集を始めて、4/1から実施予定だともいう)
○○ ミーツ・レンタルカフェ国吉 ○○
「カフェの鍵貸します」 ミーツの新しいプロジェクトのご案内です。
「art&Cafe 国吉」を、まるごとそのままレンタルします。小さなカフェですが、あなたの想いをあなたの手作りで、まちの人たちに直接伝えることができる。あなた自身を思いきり表現できる空間です。人が集まり、新しい出会いと、新鮮な発見がある、そんなあなただけのお店を、期間限定でオープンしてみませんか?(以下略)
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岡山市立オリエント美術館には入ったことがなかったので、入口を眺めていると、嵯峨治彦&田中孝子「モンゴル大草原の歌声」コンサート(3/13,19時から)のチラシが貼ってあってびっくり。あとで小石原さんに聞くとミーツの関係者が招へいしているそうだが、なかなかにいい感じだ。
この美術館は1979年に建てられたもので、トイレが女子、男子と書かれていて微笑ましいが、なかなか気持ちのいい空間である(設計:岡田新一設計事務所)。オリエントとは悠久の彼方とはいえ、地理的にはエジプトでありイラク、イラン、アフガニスタン、トルコである。
アフガンやイラクの過去の美術工芸品を見ていると、いまの時代が本当に馬鹿馬鹿しく哀しくなってくる。アメリカの90都市の議会が反戦決議をしたというから、戦争をもし始めたらもうブッシュも1期で終わりだろうけれど、それでも油断は出来ない(これを書いてからもっと事態は悪い方へ行こうとしている)。砂漠の砂が置いてあったり、民族衣装も身につけられるし、戸口には土器や石器の破片が触れるように置いてあって、なかなかに気持ちのいい博物館である。
そこからart&cafe国吉をめざして歩いたが、少し行きすぎて、戦災にかろうじて免れた古い民家などを眺めながら、ぶらぶら。油掛大黒さんとかがあって、実際に油がどろっと溜まっていたり、骨董市をしているお店もあり(ここで国吉カフェのことを聞いたら親切に教えてくれた)、やっぱりたまに訪れる町をぶらつくのは気持ちがいい(雨降りだったのが残念だが)。
古い酒屋さんの向かい(後楽園口)にめざすart&cafe国吉があった。デジカメで撮影していると2階のオフィスにいた小石原剛さんが出てきてくれた。コーヒーは巴里とか紐育とか名前がついていて、巴里は濃いコーヒーが出てきた。SPレコードからCDに落として音楽を流している。棚には本が置いてあって、美術の本とかがあるがまだ隙間が多い。ぼくらが書いた本をここに置いて読んでもらおう(あとで少し本とかパンプレスなどを送付した)。
西川アイプラザホールへ。岡山舞台芸術ゼミナールの第1回プロデュース公演。セゾン文化財団の助成があったからこの公演は出来たのだと岡山市文化政策課の大塚さんが言っていた。
はじめは短編、『溺れる金魚』作=林田恵里。大森さんによると津山弁だという。雨音に消されてことばが聞きづらい。そういう演出なのか(演出は二つともMONOの水沼健)。18:34〜18:57。出演する役者さんたちはどちらも半分ぐらいは未経験者ということ。だからこういう舞台はどういう風にコメントしていいのかむずかしい部分がある(やっぱり過程の方が重要だろうから)。
田舎の閉塞した長女の心模様が3匹の金魚で、次女もこの田舎の外には出ていっているが、やっぱり象徴的には金魚鉢で泳ぐ金魚なのかも知れない。三女はこれから大人になるが、もう未来が楽しいものだとは信じていない。
近親相姦が題材のようだが、父親は出て来ず、黒い金魚の死ですでに男は葬られてしまっているのかも知れない。すでに屋根をなおしにきた叔父と長女が出来ているから。どちらにせよ、狭い世間、閉塞した田舎で代表されるいまが息苦しく映し出されている。衣装や洗面器はスタイリッシュなものであって、長塚節「土」みたいな土着リアリズム的な世界ではもちろん、もうないけど。
休憩で舞台美術を転換して洋間になる。『発酵』作=中井久美、19:08〜20:37。広島弁(カープの話題がそれらしい)。でも舞台美術上、古い建物の骨格は変わらない。照明は吉本有輝子。はじめの作品も裸電球がついたり消えたり忙しいし、どちらも暗転多く、後半の話はどんどん展開する。でも喜劇ではなく、少し社会(教訓)劇。
結婚した妹夫婦とともに独身でキャリアガールの姉が住んでいる。妹の夫は姉と幼なじみ。どちらも名前で呼んでいて、夫は姉とかなり仲がいい。妹は不妊治療に熱心。両親は死んでいる。夫の両親のことは話に出ない。赤ちゃんがいない家族の不幸とそれについての乗り越えが一つの社会教訓。そのために、生めない自分を認める女が登場する。そこは、姑が産めとうるさくて離婚するという選択である。
妹は赤ちゃんに固執する。それは姉と夫の関係がもともと自分よりも強いことに帰因している。姉は引っ越そうとするがその前に不倫してしまって、こともあろうに精子が泳ぐスピードが遅いはずの夫の子どもを身ごもる。不倫を非難することを避ける妹。妹はその不倫の罪を問うのではなく、姉のお腹の子どもを、自分の子どもとしてくれと姉にいう。
結局そうはならない。
自分に向き合わずに子どもへ愛情を移す(二人の仲を不問に出来るし、自分のやりたいことではなく家族に尽くすばかりでいらだっている)妹の問題を明らかにするのが教訓の二つ目。それでフランスにチーズ発酵修行というわけ。子どもという発酵ではなく、チーズとかぬか漬けという発酵を選ぶというわけだ。
いいたいことは分かるとしても、これぐらい時間があるのならば、もっとディテールや対話、細かい演技を重ねて中身を描く必要があるとかいろいろ思いつつ、でもこれほどの持続力で不倫や不妊など、重いテーマの演技を続けるのは、始めての人たちにとっては大変ですごいことだろうなあと感じ入りながら、新幹線の中でビールを飲む。
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