Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》SHIMIZU×IWAMURA at NISHIJIN


vol.422.
2/9(日)
JAM West例会

「清水啓司×岩村原太 インプロビゼーション×コラボレーション」西陣ファクトリーGarden

10時半すぎから、日本アートマネジメント学会関西部会(JAM West)例会。OBPのいつもの場所にて。もう何度目になったのだろう。今日は誰かのお話を聞くというのではなく、事務的な打ち合わせのみ。そのためもあり人数は少なかったが(9名ほど)、いい議論が出来たなあと思う。

さとうひさゑさんから、学会で認定するアーツマネージャー資格の検討(もちろんそれが必要かどうか、出来るかどうかという問題も含めて)というのはどうなっているのですか?という質問があって、図らずもこれをめぐって面白い論議がいっぱい出た。そうこうしているうちに、来年度の一つのテーマとして、アーツマネージャーってどんな能力を持ってどういう仕事をすべきなのだろうか(そしてそのためにどんな社会提案をしてそのアーツマネージャーの必要性を訴えることができるのか)?という大きな課題が浮かび上がってきた。

そのためには、京都芸術センターのアートコーディネーター制度(あるいは最近始まったプログラムプロデューサーを育てる最近行った丸井さんとか橋本さんを登用した演劇企画)とか、もうすぐできる金沢市21世紀美術館の広報担当という仕事の実際とか、北九州芸術劇場のプロデューサー、ディレクターなどの専門スタッフ採用制度などの話を聞いて考えていくことが大切だなあと思った。もちろん、KAVCとか大阪市のあり方とか身近なものの点検も出来るし。

こういうテーマなら公立文化施設の館長や出向してきた総務/管理課長なども呼べるだろうという声もあがった。とりあえず、いま80名ほどいるJAM Westも、学生が多いという特色から現状維持をして守りだけではどんどん減少することも予想されるので、若い学習研究者がどんどん入ってもらえるような企画努力が必要だし(そして出口/就業の目当て)、定年後の第2の仕事(ボランティア=生き甲斐)としてアーツマネージャーを考えようかしらと思う人だって、中高年企画を考える必要がますます広がるからウェルカムだと思う。

一時間の完全無音即興ダンスといえば、「放下」の岩下徹が有名だ。その照明をよく(いつも?)しているのは岩村原太。もちろん少しの示し合わせはあるだろう。しかし、つねにどう照らすかという照明者の緊張は、舞踏手のそれとはまた違う種類のものながら、コラボレーションしている踊り手に向かう応対的意識と同じぐらい観衆の見たい欲望へと意識を向かわせないといけないから、すごく大変だろうと思っていた。

30分早く開始時間を教えられたらしい吉本有輝子さんが、所在なげにしている。彼女はいま関西で一番忙しい照明家の一人だろう。2歳の男の子を連れた若夫婦がご飯を北座があったところで食べている。その一角、むき出しになった大きな石に注連縄を回して神様にしている祠があって、近くの男性がお世話をしている。

すごく面白い立て札を見つけて感動!「このうんこをした人」と書いてあるから、うんこを見つけるとそのそばにそれを即座に立てるのだろうな。何という妙なるインスタレーションだろう。それに京都弁のものがあって(「罰あたりますえ」)、犬のうんこをさせている架空の人への「呪い」の気持ちがよくでている。デジカメを持ってくればよかった。

「清水啓司×岩村原太 インプロビゼーション×コラボレーション」の開場は15時。西陣ファクトリーGardenに入ってびっくり。畳が15枚ほど敷かれていたからだ。いらなくなった畳を確保(最近はズタズタにするので入手しづらいという)していたそうだが、何だか明治時代の家内制手工業の世界に迷い込んだようだ。畳の方が寒さをしのげることもあるし、清水さんの横たわった姿を至近距離で見るときにも、何だか自宅内で見ているような錯覚があって独特の情感を与えられる。

ところで岩村原太さんの長女は4歳、とても背が伸びてもう一人でちゃんと座っている。下の2歳半の男の子は原太さんそっくりで、首をすくめるところまで真似ている。北座そばでおむすびを食べていた男の子はミニ原太君よりも小さくて、いま言葉を覚えることに夢中。即興が始まっても、お母さんやお父さんに「(指さして、これ)なに?」と聞かずにはいられないし、言葉にならない声をいっぱい出してはいままさに日本語音声体系をその無数にある音素候補から示差的に選ぼうとするときのようだ。そういう男の子も含めての清水啓司ダンス、そして、明かりを揺らし持ち歩く岩村原太のムービング照明照射コラボが、ここでこうして始まったのであった。

15時半過ぎから約60分間。始まりはストーブ上のお湯が沸くトントンという音が踊りの伴奏だった。時折発せられる男の子の声。清水もそれに自然と反応して言葉を発している。岩村は中2階の所から明かりを揺らしたり当てたり。彼のお父さんが大切にしていたというストーブの火を見たり、その赤い炎を見せたりする。清水のカタツムリのような動き。

16:08ごろ、清水が寝て動かなくなる。このあとに新しい展開はあるのだろうかと不安がよぎる。岩村もじっと彼を見つめているだけの時間が結構このころは多かった。でも、何もしないというのも重要な選択であったのだと後になると分かる。

男の子の喜びの笑い声がきっかけだったようにぼくは思う。充実したラストへ向かう起きあがり。清水の顔がすがすがしくて、いままでの模索が嘘のように思え、こちらも至近距離なのに照れくささが完全に消滅する。物理的に近すぎると思っていた部分がなくなる。

靴が脱がれる。畳と素足が気持ちよくダンスの接点になる。動きは回りの観客である私たちの取り囲む容量をぜんぶ利用し、それ以上に膨張しようとさえする。膨張する気持ちが声になり回転になり。それらに耐えきれなくなったというか、何も抑制しないその2歳の男の子は、清水と同じようにくるくると舞う。舞うことが身体には常備されて生まれ落ちたのがわたしたちであったということを、否応なく気づかせられる。

いままでは、この男の子は踊りとは無関係に声を出し、それに清水が反応していた。ここで立場が逆転して、男の子が清水に反応し、それによって場がなごみ高揚し出した。岩村も一緒にライトを持って踊るように照らしていく。ある区切りでライトのコンセントを抜いて岩村は退場し、しばしの間清水はまだ踊っているが、その動きはエンディングへと向かって静まっていく。16:48。

どこで鳴いているのだろうか、鳥の声がする。普段の明るさが戻ってくる。


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