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こうして日記(日録)を書いていると、いつまでも同じような日々が続いていくような錯覚に襲われる。ところが、数年前の日録をのぞけば、少し若い自分がいて滋賀に住んでいて、もうすぐ役人をやめるのだとか思ってどきどきしていたり、子どもはまだいまよりもずっと子どもで何かと気をもんだり、女房と、娘をめぐって喧嘩したりしていることが分かったりする。
いま演劇ホールと同じように映画館にも変化が出ていて(なお、十三の『第七藝術劇場』は去年7月13日、一口株主やサポートクラブなどの仕組みを作って3年ぶりに復活した)、滋賀県庁の前の滋賀会館シネマホールが3月でなくなってしまうという変化は、京都朝日シネマのような反応が世間ではないのは仕方がないにしても、ぼくにとっては強く心が動かされるできごとだ(映写機はどうなるのだろう?)。
寂しいまちの大津にちょうどぼくが移ったころ(1996年)、県立の映画常設館(とくにJR大津駅周辺は県庁以外なにもないのだ)が曲がりなりにも出来たのはとてもラッキーなことで、そこで『ショーシャンクの空に』を見ながら彼のようにこの刑務所みたいな研修所を持つ役人世界をぜったいに脱獄してやろうと心に決めたりしたものだった。
そのシネマホールの企画を担当していたRCSがやっている《東一条チャオ!シネマ》のラインアップを何気なく見ていたら、ケン・ローチ監督作品があって、これはみなくちゃと思い、日本イタリア京都会館へと向かう。
ここはさきがイタリア語を習いだしたところだし(講義がないときでも1階の図書室で勉強させてもらっている)、同じ建物の地下にあるルームマーケット(面白い不動産情報やさん)で、はなは茶山のいまのアパートを紹介してもらったりしたから、何かとご縁がある場所である。
1階のホール。かなり年季が入った味のある椅子と小さなテーブルがあって、観客は10数人。ゆっくりと始まりを待つ。BGMは古いフレンチポップス。でも映画はイギリスの渋い鉄道員の民営化対応の話だった。2001年、イギリス・ドイツ・スペイン、96分、シネカノン。『ナビゲーター〜ある鉄道員の物語』。ケン・ローチ監督は自分はマルキストであって、コミュニストではないという。
ついこの間ペーソス溢れた諦観的な『刑務所の中』を見たが、ちょっとそれと似ているようにも思うが、ここにはちゃんとした外気の変化を受けた男たちの応答、厳しい自己的選択がある。でもその応答と選択は苦く後ろめたく、回りの女たちもどこにもいけずに社会から残されたままだが、それでも現実にしっかりと立っていて、そんな男を愛してさえいる。
登場人物はそんなに有名人ではないようだが、ドキュメントのように鉄道員(保安区の人たち)そのものを出すのではなく、渋い喜劇役者などが多く出ている。だから、描かれている暗い現実世界ほどは、映画の世界では、じとつかない。脚本は、イギリスが行ってきた民営化のなかで労働災害を告訴して亡くなった鉄道員による(ロブ・ドーバー)。
鉄道から自動車へ、飛行機へと人びとの移動手段が変わる中での英国鉄道の民営化、スリム化、合理化。それは、結局、機械化出来ない保線など効率の悪い現場部門についての外部委託(アウトソーシング)という形で進んでいく。日本のJRも多分そうなっているのだろう。
混乱時の会社設立と入札競争。
誇りある鉄道員から民間の競争に明け暮れる会社員になることの戸惑い。
仲間の分断、民営化にもとづく競争が生む劣悪な環境。
熟練者不足、無理がたたることによる事故の危険。
上司、監督の間違いを指摘すれば干され苛められる息苦しさ。
そして、発生した事故の原因隠しや責任転嫁。・・・・
ヒューマニズム溢れる映画の中でケン・ローチ映画ほどリアルでお涙頂戴からほど遠い映画は少ない。シリアスな社会を直視することでどんなに悲惨な気持ちになっても、人間を信じる目線は放棄せず。しかも、安易な落ちや解決を提示しないままに、映画はあっけなく終わる。
「物から心へ」という呪文を教員も学生もともに未だに唱えることで、肉体労働はより卑しめられ、知的労働にありつけられない人たちを追いやっているのではいか(アーツマネジメントということばがきれい事になっていて、いかに席づくりなどの肉体労働の集積からなりたっているかを知らないまま頭でっかちに育っていかないだろうか)と、文化政策の言説について反省することが多い昨今。
それには、かけがえのない私の身体という「物」質、あるいはマスメディアに踊らされる消費「心」を反証として思い出せばいいのだから、すぐにも分かるはずなのだ。それに文化のなかでもアーツはとくに労働集約型の極めて肉体を大切にする労働であり(スポーツも本来そうなのだが、メディア化され商品になるものだけがちやほやされてしまう)、その大切さを伝える必要をいつも思いながらチャンスがなくて歯ぎしりする。
だから、ハリーポッターのように効率とマーケティングだけで作ったジェットコースターのような映画と対極にあるこの映画は、実世界と文化世界の両方からぼくが主張していかなくてはならない道筋をちゃんと示してくれている。
なお、高速道路や新幹線、空港建設、ダム工事などほとんどの公共工事はいま悪者だし、ぼくもそれらがいままで借金と利権まみれのものだったことをつぶさに見てきたから、いらないものをこれから造るのは大反対だけれど、いまの道路や鉄道、橋梁、建物の維持補修、改築は避けられず、そういう土木建物行政には光を当てないと大惨事になることも現実にはあることも心しておかなくてはならない。
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