Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》library talk-4
長旅行のようなかっこうで大阪へ。荷物の中身はみんな本で、それもかなり古い本も交じっている。築港に行く用事は、「アントルポッの放課後」という現代美術レクチャーかサウンドアート、あるいはそれらの検討会だったのだが、今日は、司書資格を取ってお風呂やさんで番台にも上っている上田のぞ美さんの担当で、すでにもう3回も行っている「ライブラリートーク」のためだった。
アーツアポリアライブラリーというのは、事務局で購入した「ペヨトル工房」の書籍などのほか、幾人かの寄贈文庫(よくある重々しい感じのものではない)から成り立っている。ぼくの次にライブラリートークをする谷川恵さん寄贈の「てのひら文庫」(メルロ=ポンティの本とか「現代思想」のバックナンバーなどすごく充実していて、その本をもとにしゃべりたいぐらい)も最近仲間になって、なかなかにおもろい書棚(ライブラリー)になってきていた。
会員制で貸し出しもできるし、こうして文庫の人のトークも会員向けにあるという(図書室のエクステンションサービス=アウトリーチ)充実ぶりなのだ。参加者は10名ほどで部屋の広さからちょうどいい塩梅になった。谷川さんがちょっとだけ遅れて和服できて、階段を上ってくる姿はほんとに道頓堀のお茶屋さんの若旦那そのもの(前には子どもの施設にいたこともあったがいまは茶人で若隠居みたいだ)なのには驚いたし、ちょうど雑誌「大阪人」2月号ものぞ美さんのお姉さん假奈代さんが表紙を飾る「キモノ」特集だったから、えらく和服は響き合ってきている。
このトークは14時から15時までだったのに、どこかでかってに16時と思ってしまい、かなり本を多く用意してきてしまったし、90分間を使うことに2年間で少し慣れてしまったから、あとで中西さんから講義みたいだったと言われた。でも、昔の自分と本の関係を思い出すことはとても有意義で、自己紹介をするときにこうして本を数冊持ってきて数人のサークル内で見せ合うってとてもいいなと思う。
はじめはのぞ美さんがぼくの「野放図文庫」から数冊気に入った本(冊子)を選んで、彼女がどうしてその本を選んだかを言う。たとえば、「胡散無産」という雑誌の9号に町田康の特集があってそれを選んだので、ぼくもこの雑誌が大阪で作られているものであることや、雑誌名のかっこよさについてコメントする。
あと、「DOME」はのぞ美さんがよく参考にしている雑誌だと紹介してたが、ぼくはこの雑誌を水戸芸術館のショップで買って、ステージラボなどの参考にやはりしていいたことなどを思い出してそれについて付け加える。
次にぼくが「野放図文庫」から数冊特に印象に残っている本を紹介。ジーベックホールでのSOUND ARTの記録集を見せて、これがこうしてアーツアポリアにつながったりブリッジ(新世界アーツパーク事業)につながっているとか、ステージラボの報告集(西巻さんがチーフで、吉本光宏さんらが委員でいたもの)を見せて、その流れで吉本さんにもらった旦那の本を紹介したりした。
3番目は、文庫名の由来。ぼくが小さいとき従兄弟のまあちゃんらに呼ばれていた「ノボウ」という呼び名が起源でそれがいっぱいある(複数形のs)という説明をしたらみんな結構受けていた。でも地域創造から左遷されて、野に放たれた自分の図書という意味で「野放図」でもあるのはまあ1996年に橋本敏子さんらが歓迎の意味で作ってくれた「野放図会(のぼうずえ)」からなのだが、ここにはまだぼくのキャラクター「(野にある)坊主」も隠されていることは話さなかった。
こういう「命名(新語製作者)」というのも鶴見俊輔のいう「限界芸術」である。また、この次の質問「最近はどんな本を読んでいますか」という質問でも「あしたはワタシのお葬式」(専門演習の教科書にしているマンガもいっぱいの本)をあげて、最近のぼくの関心(ハマっていること)が「冠婚葬祭」と「限界芸術」あるいはまだ思案中の命名である「親密圏アーツ」であると話し、その次の質問と連続していった。
もちろん素敵な詩画集「エクランの雲」を見せたり通崎睦美さんのキュートな「天使突抜一丁目」も見せて、かなり後半部分に用意していたことを交じりだしてしまうが、まだここは規定演技。最後の演技課題は「好きなだけ本を買えるとしたら、どんな書棚にになるでしょうか」で、3つほど話したが、やっぱり世界中の有名無形の日記や日誌(動物飼育記とか、街の考現学的記録誌とか)を集めるという最後に言ったものがリアルな感じがする(「これは許せない」という本ばかりを集める奇抜なものも受けてはいたが)。
さてお菓子とお茶の休憩後は、小さな時からのぼくの本の歴史を自由課題として話させてもらった。まず、小学校5年生の時に、中学校の先生になりたての従兄弟のまーちゃんがベースアップ分のお金が出たからと買ってくれた「ジャン・クリストフ」から始まって、那珂太郎詩集、クレーの日記(これも日記といういまの関心のものとして原点)、知覚の現象学(「それは自分が一体どこに行くかをけっして知らない」とある有名なメルロ=ポンティの序文がぼくのアーツの捉え方の基礎になっているかも知れない)と続く。
限界芸術としての例にもなる中学校2年生から続いた橋本武先生編集の短歌集「あおぞら」を見せたり、さきが山梨の本村にいたときに作った小さな絵本(それ以外もいっぱいあったというが)を回したりした。一応、最後はちょっと演出がしたくなり、ぼくが小学校の中学年以降ずっと好きな「ナルニア国ものがたり」より「さいごの戦い」のある部分を読んだ。
そしてカセットではなの「蚊」を聞いてもらってお終いにする。「蚊」はぼくとはなが喧嘩したときに本当に出来た曲だったのだが、そのあとに何か付け加えたいということになって、はなもぼくも大好きなこの物語のアスラン(偉大なライオン)の言葉を引用することにした(次の《》内)のだが、それがこの喧嘩の仲直りの印だったという解説をここでとっさにした。
が、それはいままで考えても見なかったことで、言ってみるとそうだったかも知れないしそうでなかったかも知れず(でも無意識にそうだったようでもあり)、不思議なことがこうして起きて、わたしの記憶は常に更新し捏造され忘却しつつ日々何かの機会にあって(親密圏の場であることが多いだろう)再編集されていくのだなと思う。
《あなたがたのおとうさんおかあさんも、あなたがたみんなも-影の国で使うことばでいえば-死んだのだよ。学校は終わった。休みがはじまったのだ。夢はさめた。こちらは、もう朝だ。》というフレーズは、ずっとぼくが読んで震えた小学校時代から変わらずずっとここにあるのだが。
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