Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》about theater reviews
昨日のこぐれ日記430について、これは何について書いたものだろうか、いわゆる劇評であるのかないのかを少し抽象的に考えてみた。その結果が次の文章である。
もちろん430自体が演劇マネジメント批評というほど大それたものではないが、これからの演劇に関する評論タイプを考える際の分類方法のアイディアとして見ていただけると嬉しい。(以下を要約すると、1)創作過程レポート型、2)鑑賞オンリー型、3)刺身の妻連想型、4)演劇マネジメント評価型という演劇レビュー分類方法を提起した〜大げさにいえば〜ことになるだろう。)
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《観劇レビューのタイプを考えてみる》
お芝居のことを書く視点、つまりだいたいにおいて劇評とかレビューとかいわれるもののタイプには、さまざまなタイプや傾向というものがあって、それぞれに長短があるし、自分が書くときにもあるいは書き手を選定するときにも、どういうタイプにするのがいいのかを想定読者別に考える必要がある。
ここではとりあえず、4つぐらいに分類して考えてみたいと思う。
まず第1。創作の秘密に迫っていくため事前に、劇作家や演出家などに密着して作品の意図やキャストなど稽古現場などを取材し、それが実際の舞台にどう現実化したかという「物知り顔風」な書き方がまずある。それによって読者自身では観察できない観劇の背後知識を得ることで、より観劇の奥行きを知ることができる。演劇などの情報雑誌の記者とかは読者がまだ観られない事前予想をも書かねばならないのでこの立場になる。
第2に、その公演の過程や裏側はまったく知らないこととして、一人の観客の立場で「観たまま、感じたまま」を伝えることにより、それを読んだ人もその(ような種類の)公演に足を運んでみようかなと思うタイプの書き方がある。そのときでも、演劇構造などを分析する感じで書くと劇評になりうるが、第2の書き方では読者の延長線上にいるようなレビュー的な記述をすることが多い。
ぼくの「こぐれ日記」は第1ではありえないので、だいたいこのタイプがメインになっていたと思う。2つめのバリエーションとして、観劇の前後、あるいは最中における鑑賞者の様子などを観察するタイプもある。
この(他の鑑賞者の反応を併せて記述する)ことは、一人の観客である自分が他のお客さんとどう同じでどう違った反応をしたかを知るものになりえて、主観中心に書くレビューだけに大事な視点だと思っている。特にそのお芝居の鑑賞者の多様性についての視点(仲間うちだけかそうでないか、若者だけなのか年齢層の広がりがあるのか、などなど)は、第4の視点である「制作環境」に着眼するレビュータイプとも関連するからである。
3つ目としては、お芝居を観ながらそのことは刺身の妻にして、広く社会や世界のこと、あるいは自分の人生について語ったりするエッセイ文というのがある。昔観た演劇やそれ以外のアーツを言及しながら演劇や色んな芸術についての自分の思想を陳述するものこのタイプに入るだろう。最近はどうもぼくの日記もこのタイプが多くなってきていて(こぐれ日録ではこればっかり)、お芝居の内容はもとより、それがよかったのか悪かったのかもさっぱり分からない、と思われているかもと危惧することもある。
ただ、あえて弁解すれば、実際の観劇を経験すれば分かるのだが、こういう連想が観劇中だけではなくそのあとにも芝居のシーンが想起されてあれこれ思うことがある。ぼくはそういう連想を豊富に与えるお芝居がいい演劇ではないかと実は思っている。人生経験の異なる人びとそれぞれに、そのお芝居上の物語や演出手法、あるいは制作上の工夫などさまざまなフックによって立ち止まらせ、日頃忘れていた想い出や思考回路を蘇らせてくれるとき、ああ、今日はいい時間を過ごせたのだと思えるからである。
そして最後、4つめとして、創造側と鑑賞側を結ぶプロデュース環境を中心に少し客観的でクールにレビューし考察する方法があるのではないかと思っている。これは、第2の延長線上にもあるし、実は第1の創作タイプのレビューからも引き出されうるものである。あえて自分の土俵として言えばアーツマネジメントレビューということになるが、これは実はなかなかに難しいものであるのも事実である。
というのは、まず演劇公演において、観劇中に制作者がうろうろするときは公演がトラブったときだけだということがあげられる。魅力的なチラシづくりや顧客管理、事前の稽古場を押さえたり助成金を申請したりニュースリリースをうまく行うことなどは、すでに観客の動員という結果としてでているからである。観劇後のレビューとしても、受付の対応とかアンケートの取り方、次作品以降への誘導の仕方(会員サポーターづくりや先行予約など)や、台本や関連グッズ販売など表面に見えるものに限られるからである。
ただし、公演だけではなく、あるフェスティバルの一環としてあるとか、事前にワークショップとかオーディションとかがあり、事後にもアフタートークやシンポジウムがあったりするとがぜん様子が異なってくる。それらは表に見えるプロデュースになるからである。
とりわけ、これがある行政政策と関係したり、企業メセナの一環であったりしたときには、それとの関連についての評価を独自に考えることになるので、演劇内容との関わりをまったく無視はできないとしても相対的に独立した批評も可能になるかも知れない(そしてそれが「演劇マネジメント批評」の誕生と恥ずかしながら言えればいいなとも思う)。
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