Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》SENTO-Project


vol.451.
6/8(日)
銭湯プロジェクト「日光温泉」大阪市鶴見区放出東二丁目

ゆるゆると、大阪市鶴見区のお風呂屋さんに出かける。
現代美術のインスタレーションを見に行くのに、手拭いと石鹸、それに小さな垢擦りを持っていく。それだけでむしょうに嬉しくなる意外性である。こうでなくては日曜日ではない。芸術鑑賞はやっぱり遊び心を満たしてもらわないとね。

京橋から二駅目の放出駅下車。ハナテンという名前が可愛い。「ホウシュツ」と呼ぶなら市中からホウシュツされている可哀想な町のイメージだけれど、ハナテンとそれが呼び交わされれば、放たれていく自由さがあるし、第一、読み方を知っていることがちょっと得をしたような気がする地名である。

ただ、高架になって殺風景な駅舎dではあって、改札を出て北口に降りたいのだが、そこは覆いがある階段なので、かなりの銭湯客(=美術見学者)が間違って南口を降り、30分以上も迷っていたりもしていた。ぼくは葉書があったので、間違うなくローソンの所を曲がって大阪市の公営住宅を眺めながら、めざす「日光温泉」の煙突を確認する。

銭湯プロジェクト、場所は「日光温泉」という名称の銭湯である。1952年頃の創業。

当時の面影がけっこう残っている実に大事に使われてきた建物とその内装(水の対応はタイルであるのだから、タイルの丁寧な使われ方と限界芸術的な美しさ、何気ない置物の配置の妙)がどこにでもある銭湯であるにもかかわらず、ここにしかない時間と空間をかもし出している。

このプロジェクトは、ここの銭湯を経営しているご夫婦の息子さんである中西學さんが、企画者の室井絵里さんと、営業しながら日光温泉を美術の会場にできないかなあと、3年前からプロジェクト案を温めていたものだという。

実際に動き出したのは半年前だけれど、実績のある作家さんばかりなので、その設置(ほとんどがこの場所のために作られたもの)はスムーズだったように見える。つまり、違和感を過剰に与えるものではもちろんないし、場所負けするものでも他方なく、目立たないように意図的にしているものはそれなりの意図を持ちつつ、でもここの銭湯の常連さん達だけにはなにげにアピールしたりしているらしい。

出品作家は、有地左右一+笹岡敬、井沢以佐子、岡晋司、金沢健一、日下部一司、倉貫徹、中西學、長尾浩幸、夏原晃子、西村知子、西村正幸、藤本由紀夫。いずれもステキだが、特に中西學の作品などは、蛇口の美しい装飾でもあって(派手だが彼がずっと親しんできたここのタイル絵と色彩や気持ちが実にマッチしている)、2週間でなくなるのはとても惜しい。

背中を洗い合う置物群(西村知子)のユーモアは日光温泉にぴったりの暖かさだし、岡晋司が作った排水口の模様は、実際の排水口と一見同じに見える。ところが、それがぐにゃりと歪んでいて(オタマジャクシのようでもあり卵巣へと必死に泳いでいる精子にも見え)、常連さんは、新しいちょっと変な排水口にかえはったねえとすぐに気づいたそうである(ぼくらはきっと言われなくちゃ分からなかっただろうが)。

13時から15時半は、見学タイムで、番台には座っていないが、風呂屋の実質的番台者である室井絵里さんに500円を払って玄関で靴を脱ぎ、おしどり印の下手箱に閉まってそれぞれのドアへと向かう。この500円のうち360円分は、ここでも大阪府かどこでも使える(9月まで使用可能)大人銭湯料金であるから、実質は140円が入場料であり、これはホントに気持ちのいい入場となる。これは、中西さんの実家さんがすべて協力されたから可能になったのだし、勿論集まった作家の自発的な制作行為と設置がなくてはこのプロジェクトは生まれなかった。

関東からやってきた金沢健一さんとは一緒にお風呂に入る。昨日の金沢健一パフォーマンスは、中西學さんの蛇口立体オブジェから水が出て、藤本由紀夫さんの洗面器内オルゴールがカタコト鳴る連鎖もあって、なかなかの反響(そりゃあ風呂場だからねえ)だったらしい。金沢鉄音オブジェは鍵束で鳴らすと楽器見たいに音響効果が生まれると室井さんが会う人にサジェスチョンしている。

15時半までは女湯にも入れるから、昔の野田での銭湯体験に引き戻される。赤ちゃんのベッドに妹が寝ていたことがつい昨日のようだ。いままでお風呂上がりのサイダーが三矢サイダーだったとばかり思っていたら、ここでは三扇サイダーのミカン水だったから、野田でもきっとこういう地元フェイクなジュースを飲んでいたのだろう。

男湯のドアがピンクで女湯の扉は水色、しかも女という表示がないという作品を設置したんは、井沢以佐子という人。ぼくは、よく女風呂と男風呂を小さいときは移動して楽しんだものだ。まだ自分が男とか女とかあんまり意識していなかった時分のことだ(ぼくは幼稚園に入るまでは女言葉で育った)。

服を着て銭湯内を見学している人たちを番台で見ているのは実に愉快だ。番台にアルバイトしたかったなあと思う。それは女の裸が見たかったということだけではなくて、こういう仕事の役割がワークショップのコーディネーターとかいざというときの責任者ととても似ているからである。

たとえば番台の前にある蝋燭は夕立の雷で停電が起きたときの一番はじめの灯りである。使われた形跡がある。その他、番台の周囲は実にコンパクトに小銭が整理され、交番や福祉センターの電話番号が書かれてある。足の裏をコロコロする竹の装置もあって、気がつくと1時間以上、番台に楽しく座わらせてもらって、鑑賞者たちの話し声に耳を澄ませていた。

自分の身体を洗ったり髭を剃ったりするのもアーツ(限界)の淵にある。だからタイルに絵がかかり、床にも模様が丁寧に丁寧に描かれてあるのだと思う。そして、お湯を一緒に使い、湯船に浸かるというコミュニケーション自体が実に素晴らしいワークショップ体験である。

限界芸術を誘発するコミュニケーション芸術とか難しく言ってしまいがちだが、結局、小さいときには無限にあると思っていた遊び心をいかに思い出すかということかも知れない。お湯でアヒル人形を並べて飽きない頃の一人遊び。悪ガキ達と水鉄砲を持ち込んでよく叱られていた頃の交遊。

ぼくの中ではここ銭湯の場で覚えたことはホントに数多い。壱、弐、参、拾などいう文字は、幼稚園に入る前に書けるようになっていたし、時計の見方も、一人で風呂に入って出るために必要だから、出来るようになった。タオルの絞り方、大人の男の身体の洗い方、入れ墨の美しさも、禿げていく頭や曲がる腰の様もみんな銭湯が教えてくれた。中日ドラゴンズが好きになったのも、はやく小学校に上がって「中人」になりたかったからかも知れない。
機関車が来る音を聞き取る力もすごくなった。見たい一心だったから、微かな振動を駆けつけて、銭湯を出たところの引っ込み線に貨物列車が通るのを逃さなかった。

今日のように男湯と女湯の間にミラーボール(有地左右一+笹岡敬)は回っていなかった。が、女の人たちの賑やかな話し声は彼女たちの肌からそのまま湯気で立ち上ってくるのだと思うとちょっとくらくらすることもあった。

白い肌の若い女性が水湯をざぶざぶかぶって桃色に色づいていくひとときを、母に洗ってもらいながら凝視していたためか、それはそれは克明にずっと肌色映像が目の裏に焼き付いていて、もう小学校になって男湯に一人で入っていてもそれが浮かび上がって恥ずかしくて仕方がなかった。


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