Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》View Masters-2
さて、コンサートです。19:10から21:23まで。
ぼくは低血圧だからか歳のせいか、最近あんまり暑いと感じないのだが、築港レンガ倉庫のなかは汗びっしりの人が多くいて、中西美穂さんと大阪成蹊大学の青山さんがうちわ(大阪市選挙管理委員会が作ったエコうちわ)を配っている。それでもじっとしていると時折自然の涼しい風はやってくる。
ホール1とここは名付けられている。8つのスピーカーが周りに立っている。入るとコオロギのような音が気持ちよく持続的に鳴っていて(だから)、うまいサウンドアートだなあと思っていた。ところがしばらくしてから教えられたのだが、実は倉庫に住み着いたコオロギか何かがずっと鳴いていたのだった。
帰り倉庫の外の草むらに特によく鳴く現音のコオロギがいて、帰るのを忘れてずっと聴いていた。こんな気持ちになるのが(こういう耳の機能が発動してしまうようになるのが)、このコンサートの重要な効果である。遠くの高速道路の音をもコオロギと一緒に意識しなくてもぼくの耳はキチンと採集している(しばらく歩いて駅に着く頃には、またいつものような音不感症状態に戻るのだが)。
まずはじめは、小島剛。演目「Reライヒ」〜環境音のなかにもみられる反復の要素を模造する鏡面界〜。34分ほど。ぼくはミニマムミュージックってライヒ以外はあんまり聴かないし、よくないなと思うコンサートもかなり聴いたが、こうしてライヒ的な世界を振り返ってみせてくれるとなんだか懐かしいし馴染んでいるのだなあと思う自分がある。
結構乗ってくる。身体が揺れる。奥に暗い部分の別室もあり、次の千野秀一のときにはここへとスピーカーが移されるらしい。シンプルなのに豊かなバリエーションが聞こえるのは、現音という雑音がベースだからだろうか。スピーカーが8つもあって、このレンガ倉庫の空間が複雑に響いてくれるからだろうか。
右耳と左耳の間が貫通する(ように錯覚する)。音と音の間にまた共鳴する可愛い音がある(ように脳がかってに聴いている)。重い扉が開く音。蝙蝠が飛び出すような高音。蝙蝠しか聞こえないはずの超高音まで聴いている(ように感じている)。パタンは確かに繰り返され、ちょっと退屈になる(後半の10分間ぐらい)。20分間ぐらいはあっと言う間だった。ぼくは現代音楽が本当に好きなのだな、無理しないで馴染むというのか、そんな感じで。
15分の休憩。展示を聴きながら(ちょいと奇妙な表現だけど)、Yuko Nexus6さんのCD『Journal de Tokyo』を買う(2000円)。内田百けん(どうして「門に入った月」という漢字がATOK13にないのだろう)の東京日記がベース。言葉と日記なのだ。帰って楽しもうっと。
次は千野秀一。ホール1に入ったとたん、ブーア・・と音で挨拶される。「包絡線」(Envelope)という演目。〜「ものの音」の輪郭が変形されたもう一つの空間〜。ものの音というのは、どうしてもその音が何の音か、内容を聴いてしまう(のだそうだ)。
ここではその音の内容の方をまるで聴かないで、音の辿る軌跡(鳴ったところから減衰して消えていくまでの線を専門用語で包絡線というらしい)、その輪郭だけを聴くということが一つの狙いなのだと彼は言う。
そして、この空間自体も聴けて、できるだけ「明るく」演奏したいと。明るい演奏って何だろう。みんな、うろうろ歩いてくださいと言う。外にでもいいし、暗い別室はアベックではいるとかね。24分間演奏してこれで終わりかと思ったら、もう3分間演奏させてくださいと千野。どうも後者の狙いがうまく出来ていないと彼は思っているようだ。
ジャスト3分。高い音から駆け下る音へ。レンジが極度に広くなって、これは明瞭な軌跡だと思わせる。どう鳴る音を建物として鳴らすか、それを聴くかはぼくたちそれぞれの状態によって違うから、うまくいくとかいかないとかはどうして分かるのかも分からないし、そんなに気にしないでいいことなのだろうと思う。
15分の休憩のあと(ぼくはオレンジジュース100円と無料で紙コップに入って提供されているつまみだけでビールを控えているので、今日はとてもクールであったのね)、ホール2へ移って、映像付きの演奏を聴く。
Yuko Nexus6(コンピュータ、他)+田尻麻里子(ビデオ映像)、演目は「観光の翻訳」。HACOさんが「かんこう」と言ったとき、「かんこう」の漢字変換が出来なかった。「慣行」か「感光」かと思った。それは千野さんの「包絡線」という哲学的な演目名のせいだ。
はじめにデジカメでお互いの記念撮影。映像は空港に到着するホームムービー、観光旅行の映像だ。行った人や身内にはとても懐かしかったり楽しかったりするが、他の人にはありきたりの風景だったり、お決まりの朝食だったりするもの。それが映像と音の採集でいかに再編集されるのか。
マイルドな編集で、はじめの2つよりも溶け入りやすい。田尻さんはビデオ映像とデジカメのスライド映像の間などの切り替えのときに、自分の手で、信号が入るのを防いでいた。ロウテクな味。音の方は観光の雑雑とした音(なのだったが、いつかその音は背景になっていく)。
圧巻は、レシートの映像と宗教音楽的なコーラスが一緒に出てくるときで、このとき映像と音が面白く対置されていた。音楽が偶然の産物でありしかも異物のように出てくるのがオカシイ。そのうちに、はじめと終わりの映像が逆まわしであることに気づく。あるいは初めの方が逆まわしだったのか、終わりが始めの映像なのか。
何はともあれ、これら全体のなかで、ぼくの耳の垢離は一掃され(自己治癒的効果だなあ)、休憩時にはなんだか踊り出したくなる気分をも引きだしてくれていた。実際、ぼくは変な動作を繰り返して〜おっ、そうかこれはミニマムダンスだ〜、無意識に限界芸術的振付をしていた。おっ、いつものことだけど。
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