Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》DANCE PICNIC 2003


vol.462.
8/3(日)
びわ湖ホール夏のフェスティバル2003『ダンスピクニック』など

『びわ湖ホール夏のフェスティバル2003』へ。当日券を求める人たちの列を見ながらエントランスに入る。そこでは、スズキコージ・ライブペンティングが行われていて人が取り囲んでいる。分かりやすいイラストだ。音楽が流されていて、本人が色を加えている。

中ホールでまずダムタイプ『Voyage』を見る。古橋さんが亡くなった後の『S/N』をアルティで観て以来だ。関係者の顔顔顔。お隣の席の遠藤寿美子さんにはじめ50分ぐらいと聞いていたら、実際は75分ほどだった(15:05〜16:20)。彼女が2つほどピースが追加されていたと言う。どれがそうだったかまでは聞かなかった。

全体的におとなしい作品だった。前の「メモランダム」を知らないから何も言えないけれど、「寂しい世界についての静かなサーチ」がテーマだろうとは思った。ふと、オランダで観たパノラマ館のことを思い出した。それらはあまりに傍観者的な「サーチ」なので私たちから遙か遠くにそのステージでの世界サーチはあって、ときおりステージ全体がしくしく泣いているように思えた。

出始めの女性ソロの動きは骸骨のダンスみたいだった。地球の地図が出てくるところは鮮やかで眠くならなかったが、ほかのシーンは私たちへ睡魔を誘うように作られていた。登場する人たちの顔が判別できないようになっている。きっとパフォーマーの無個性が作品の狙いなのだろうが、何だかこのあとの色々なダンスと比べると。それが何を観たかをすぐに忘れてしまった要因だろうと思う。

無料のダンスピクニックはよくできた企画である。うちの学生が見あたらないのが寂しいが。大津市にいるみやじけいこさんとか久しぶりの顔もあり、10/12(大学でする「手のもの市」)に何か出してよ、というと、彼女はちょうど展覧会だと言っていた。清水君はぼくの本の表紙を何も手をつけていないらしくてJCDNで忙しい、と言う(はなにイラスト依頼をこちらですることにした)。セレノグラフィカの隅地さんや阿比留さんは来てくれそうだ。志賀玲子さんはアイホールでワークショップか何かがあるという。

17時から18時すぎまでのダンスピクニック。これだけ観てもバラエティがあってじつに楽しい。寝癖のママの山下残くんの頭も見える。まずセレノグラフィカである。背景がカフェでその向こうがガラス越しの琵琶湖。手前は丸くイスが並んでいて、いまはそれが舞台となる。カフェを仕切っている手すりに上がって後ろ向きに座っている二人、琵琶湖を観ているのかな。前半は親指と人差し指でつくった丸(お金のマークであり、シャボン玉を作る円のようでもあり、そこから何かが客席に放り込まれる魔法の穴でもある)を執拗に使った面白いダンスだった。

後半は、頭をボールにしたような遊び、コンタクトインプロヴィゼーションぽいダンスで、音楽は小太鼓と笛ぐらいのちっちゃな鼓笛隊の音楽(8/8の見本市ショーケースのときにそれがスイスの感謝祭かなにかの実況録音であることを知る)。出始めと終わり以外はこの場所のことはあんまり考えずに、きちんと作品づくりをしているその過程のようだ。

色とりどりのダンス衣装はピクニック気分を演出し(このときはそう思ったが、のちにみたショーケースのときも同じだったのでこれも秋の公演に向けての衣装なのかも知れない)、ダムタイプの公演のあとどこか顔の見えなくなった世界を思って寂寥感が漂っていた場を、ちょっと明るくしていた。

次にエントランスの床部分に紐で円が作られて、そこに向かって入り口からゆっくりと手塚夏子がやってくる。取り囲む観衆。彼女のめだまの形とかがある人(伊藤裕夫さん)にとても似ていてそれを思うとどうしてもにやにやしてしまう。ニブロールでいたこともあったそうだ。

一人だけ東京からの出演。ゆっくりとまわりながらただぶるぶるしているだけの踊りで、ずっと目を点にして観ているアベックの顔を見るのが楽しかった。“そうしてみたかったからそうした”のか、“これが私の全て!”なのかは初めて観たのでよく分からないが、2番手にこのように手数の少ないソロダンスをプログラムするのは実に巧妙な順序だったと思う。

最後は野外である。今日からやっと夏になったなあという天気で(雨なら中ホールホアイエから外を見ることになっていたらしい)、これだけでシゲヤン(北村成美)はえらい日焼けをしていた。面白いのは、彼女が地味なTシャツで2列目あたりに座っているとほとんどの人はパフォーマーとしてのシゲヤンがそこにいるとは気づいていなかったことだ(ぼくはそれみえる位置にたまたまいた)。

音楽がなり始めてもだれもやってこない。ポカンとしているうちに曲調が変わる。そして、それまでの不在の時間を食いちぎるように、客に交じっていた地味なシゲヤンがTシャツを破りパンツを脱いでやってくる。ピンクの水着(上部はもう一枚あって、それは途中で脱ぐ)。シーンは3つに分かれていて、はじめは芝生に転がったり客席に近づいて元気づけたりのダンス。

つぎに袋から取り出したペットボトルの水を口に含んで吹き付けたり、頭からかぶったりするダンス。水の応援で太陽と乾いたコンクリに潤いを与え、ぼくたちの固くなった気持ちを開放してくれる。彼女の髪の毛が濡れて水しぶきが飛ぶのを目の前で観るのは爽快の一言につきる。

最後にピンクの縄跳び紐を使ったダンス。足首につけて回るなど、どこかサーカスとの類似性、ペーソスのまるでないピエロ性も感じさせてくれるもので、ダンスと歓びが一緒になって、あっけんからんと夏の空を彩っている感じだ。

ここで無性に喉が渇いて一杯だけビール、500円。飲んだらすぐに地下のリハーサル室へ向かう。チケットがとれなかった人が出たのは仕方がない。小さいキャパだからだ。そういうところに笠井叡の振付で山田せつ子と木佐貫邦子が踊る(あと2名は外国人)のだから、それは大きな期待となるのは言うまでもない。実際、いろいろな感慨を抱かせてもらえるこってりしたステージだった。19:00〜20:22。

タイトルは『誰でもないもののイヴ』。やっぱり最後の方の山田せつ子と木佐貫邦子のソロがよかったように思う。それまではどこか笠井叡が踊る形(これは静岡県の劇場で見たときとかなり似ていた)を思い出させる、直線的なぎくしゃく型のものものだったり、ちょっと訳ありで(文芸的な意味づけをして)踊っているように見えて気持ちが落ち着かないものだったりもした。

でも、さすがベテランたちだ。最後は息つくひまもなく繰り出されるダンスをみやることができた。外国女性がソファーで食べて散らかす黄色のスイカも、両側に映った青空と雲もダムタイプのような空虚感を感じさせることなく存在している。途中、ふと、木佐貫さんが彩の国さいたま劇場でステージラボの一環で踊ってもらったこととか、たまたま彼女の若いときの「てふてふ」を妹と観たこととかを思い出したりもした。


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