Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》NAKIWARAI THEATER


vol.463.
8/5(火)
こぐれ家族の泣き笑い劇場

すごい一日だった。まるで早とちりな家族を扱うコメディ映画みたいな日だった。主人公は「すれ違ったお袋」である。じつは近鉄電車のなかで、お袋は死んだとぼくは思ってあれこれ葬式のこととか残されたオヤジの看護のことまで考えていた。地下鉄烏丸線ではお袋が言っていた香典返しには何がいいかを検討した。もちろん生きていることを祈ってはいたが。それにしてもすれ違った芳江にもかわいそうなことをした。

芳江がぼくより早く起きて6時半すぎには家を出て大阪へ行く、これがすべての始まりだった。お袋がお盆の前にお墓まいりをすませるというので、一緒に姫路へ行くためである。7時半に芳江はこの前と同じ待ち合わせ場所のプラットフォームより下にある野田駅改札口に立った。8時が待ち合わせ時間だけれど、いつも母が先に来るので今日は自分が母を待とうと思って早く来たのだ。

一方、あとで聞くとお袋は7時半より少し前ぐらいに野田駅に着いていた。もらい物のお菓子などを持っていて重いこともあり(いつも立ち寄る浪花屋さんには今朝は寄らなかった)、待ち合わせ場所は改札口だけど座るところがないので、まだ芳江はいないことを確認してプラットフォームに上がってイスに座った。ここで芳江が下りるところを見ていれば改札口でなくても大丈夫だと思ったのだ(ここですれ違ったと推定される)。

運悪く大阪環状線で人身事故があり、次第に駅はごった返してくる。芳江はずっと改札口の手前からお袋がやってくるのを待っていた。お袋は電車がやってこなくなってこれは芳江も到着できないかも知れないと思った。7時前に芳江が電話をしたときにはお袋は食事をしていたが、かなり草臥れた声を出していたと感じた。改札口で7時40分に電話をしたらもう家にはいなかった。

お袋は8時半まで待つがきっと芳江は来れなくなったと思って大阪へ行く。八幡のぼくの家に電話をしようとしたが、公衆電話はいっぱいでやっとかけた番号がまちがってしまったら、後ろが並んでいてもう一度かけることを断念。そのまま姫路に行くことにしたという。これは、オヤジが病院でずっとお袋を待つようになっているので、早く行ってやらなければと思ったからだと思う。

一方、芳江はお袋が来ないと8時15分にぼくらに電話をしてくる。まず思ったのは、途中で事故にあったか倒れたかしたということ。その次に思ったのは、家の階段が急なのでこけて怪我をして動けなくなったか、心臓発作が発症したという可能性。家を出て突発的に記憶がなくなって徘徊老人化することがあるかも知れない。さらに、オヤジの病状が急変したおそれも考えて住友病院に電話をかけたが、そちらの可能性はなくなる。

芳江もぼくも母がプラットフォームにいる可能性をどうして思いつかなかったのだろうかとあとになったら思う。芳江は野田の家の鍵を持ってこなかったのだが、一度家に行く。すると一階は真っ暗。ただ、二階の物干しの窓が開いていることを発見。家で倒れている可能性が増大する。いつも鍵を預かってもらっているYさんちへ行くが閉まっていた。浪花屋さんに行ってお袋が来たかどうかを尋ねるがこなかったという。

お袋は携帯電話を持たず、しかも芳江の携帯番号を控えた手帳を忘れていた。芳江も姫路の不動院の電話番号を書き留めなかった。心配してさきは明後日に大検入試だったが、野田の鍵を持って芳江の元まで届けてくれる(人身事故の影響で地下鉄に振替運転だったので時間が余計にかかる)。

ぼくは10時半に家を出て京都芸術センターへ向かう。インターンシップしている上田さんの激励訪問があるからだ。それまでずっと無事を祈りつつ、万一のこととしてお袋の葬式のことを思っていた(頼むべき葬儀屋さんの電話や葬儀場所、香典返しなどのことはすでに聞いていた)。あとはオヤジが喪主で大丈夫だろうかとか、はなの渋谷でのライブの予定キャンセルのこととか色々。

四条駅で芳江に電話をして事情が判明する。それによると、まず二人で鍵を開け勢いよく実家に入ったという。2階やトイレ、押入まで探す。でもどこにも母は倒れていない。そこでアドレスブックに載っていた不動院へ電話。すると、もうお袋はお参りをして20分前ぐらいにタクシーで姫路駅まで帰ったという。他方、お袋は八幡へ10時40分を皮切りに何度か電話をしているが、もちろんわが家は留守だ。

ほっとして昨日捻挫をしたという上田さんに会う。雑誌の発送の仕事をしていた。元気そうでよかった。毎日の記録を見なかったのが少し残念だったが(ブラームスホール協会では黒川さんの記録をみせてもらった)、とても充実していて楽しそうだった。捻挫をしたのも劇団飛び道具のワークショップの加勢に入ってそこで飛び跳ねすぎたらしい。ワークショップの手法も体験的に学んでいるようだ。

その前に両ギャラリーと廊下にあった北山善夫作品(と中学生によるワークショップ作品)を見る。今日は身内の死を想像上だがとても意識したので、特に心を打つ。描かれた死者が重なり合って、その一人ひとりを目で追っていくと次第に脳だけではなく身体全域がびんびんしてくるそんな宇宙が広がっている。

行きの近鉄電車のなかでずっと絵の「良妻賢母」の子どものようにぼくは手を合わせて拝んでいたなと思う。中ハシ克シゲのゼロ戦(実物大で裏側まで写真が張り合わされている)も和室の大広間に置かれていた。貼り合わせた写真のためにすごく波打つものになっていて、その揺れが空間から時間への波動となってびしびし伝わってくる。

次の訪問まで少し時間があったので、いったんJRを降りて山科駅の北側を少し散策。雷の音が山の向こうでずっととどろくなか、慎ましやかな佇まいの諸羽神社にお参りして、いつもより少し大目の賽銭を投げる。

今度は、大津駅のブラームスホール協会の事務所への激励訪問。オフィスには萩野理事長と黒川さんがいて丁寧に黒川さんのインターンシップの様子などを教えてくれる。彼女は毎日違う場所でコンサート準備をしたり、カゲアナをしたりしているという。記録ビデオを撮ったがどこを撮していいか分からなかったなど、実際に携わらないと味わえないような貴重な体験をしている。

夜はシアトリカル應典院舞台芸術祭、space×drama2003の一つ、しかばんび第六回公演「ひトで」(作・演出:大橋歩)をみた。19:08〜20:51。ぎっしりの人。夏休みということもあって、若い人が平日でもやってこれるのがよかったのだろうし、きっと7つの若手劇団が選ばれて公演しているので、互いに見る機会ができたのだろうと思う。

平家物語をベースとして歴史物かと思ったが、その末裔が出てきたのでそれは同時代の世界でもあった。平敦盛と熊谷次郎直実の物語に、わら人形の呪いについての物語が重なる。阿弥陀仏に関する法然上人の教えが出ていて、浄土宗の應典院ですることを意識してこの作品ができたのかどうか、それはよく分からないがあまりにもぴったりとしていた。若い人たちが「死」や怨念を考えるとこうなるのだなあと思う。

一方、ぼくはぼくで芝居を見ながら、祠と僧侶、神と仏の対比を思った。呪いや祟りや穢れの神話的観念を持つ衆生を仏教がいかに脱却させるのか、それはエリート宗教家だけが持ちうる特権的な教えなのか、このお芝居を離れても考えることがいっぱいあるなと思いつつ長い一日の帰路につく。

京阪電車の北浜駅でお袋に電話。ぜんぶ自分が悪かったのと言っている。そういう面ではぜんぜんぼけてはいない。ただ、その気配りの気持ちにもう身体がついていっていないのだ。


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