Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Zero project #601-1XX
激しい雨がマンションの下の小さな川を濁流にしている。フランスは猛暑というのに、日本は太陽が覆い隠されたまま夏の日々が流れていく。これじゃあ、蝉が交尾するいとまもないし、お盆の迎え火も消えてしまいそうだ。それでも、琵琶湖で墜落した零戦機を追悼し燃やす「ゼロプロジェクト」は果敢に敢行された(これは大文字焼きも延期はないからだと関係者が話していた)。
14時から零戦の撤去が始まるということだったが、余りにも雨が強いので中止かも知れないなあとか思いつつ、14時半過ぎに京都芸術センターの大広間へ上がる。すでに大勢の人が集まっていて、零戦は膨らみをつけていた風船をはずされたり、運ぶための処理を施されたりしていた。風船が割れる音もそのうちに慣れていく。これは銃の破裂音の記憶になぞらえているのかも知れない。
『At This School、明倫』の一方、中ハシ克シゲ「ゼロプロジェクト京都?琵琶湖、no601-1XX・2003」の「ゼロを燃やす日」である。なお、20日から月末まで記録上映がある予定なので、雨の中苦心して運んで燃やしている様子が見られると思う(『At This School、明倫のもう一方は、北山善夫「図絵画シリーズ」「正と死を考えるインスタレーション」』。
運ぶ前に一度担いでみようと中ハシさん。ついぼくも参加してしまう。そのままトライアルが実際へと移行した。尾翼のところを持つと鉄骨が入っていてほかは重くないのだがここは一番重く固い。頭で支えているとへこんでしまいそうだ。
センターの周囲を歩きながらバスに乗り込む予定だったようだが、あいにくの雨のため、京都芸術センターの廊下を練り歩く。昔のサイズなので尾翼がドアにあたったりして苦労する。ここの廊下を歩いていたむじゃきな小学生も多くは戦場に出陣し、あるいは国内で被災したり疎開地で苛められたりしたのだろう。
そんなことを零戦機づくりとそのパレードが運び手の心の内に浮かび上がらせて吸い取っていく。写真という素材は感熱するという紙であり、カタシロである。いまはお盆の季節。実際に零戦機が墜落した今日という命日にたまたま現代美術作品(アートワーク)という文脈でこの作業は行われているけれど、そんなことはこの飛行機実物大模型を持っている人たちそれぞれはどうでもいいことなのだろうと思う。
そういえば、いままでちゃんと御神輿を自分で担いだことは余りなかったなあと思う(はなに担がせたりしたけれど)。奇妙なお祭りである。個人のアーティストが企画した一人の零戦パイロットの戦死日のための祀り。でも、それが美術関係者だけでない静かな波紋になればいいという願いがここにはある。
年配の人も一所懸命持っている。ぼろぼろになるかも知れないから、バスまでは翼を丸めて進む。でもやっぱり尾翼の部分ぐらいは広げよう。雨に打たれても、やっぱりこれは町を切るべき翼なのだから。この行進は戦後ずいぶんとたったあとの一種の疑似的な葬列なのだから。
持っているとその様子が見られないのがちょっと残念だ。雨に濡れないためには中に入り込む方がいい。カッパを着込んだ滋賀近美の学芸員さん一家の男の子たちはじめ子ども達が嬉しそうだ。
ぼくらは児玉画廊がチャーターしていたバスに乗って成安造形大学グラウンドへ行く(刀屋のいとうさんらはそのまま飛行機と一緒にバスに乗り込んだ)。往復1500円。葬祭場を往復する道行きバスである。過去のお葬式と火葬の場面がビデオで流れる。行きは混んでいてトイレに行きたくなったが(もちろん)辛抱する。板井さんが今年いっぱいが画廊の起源なので仕事を探していた。葬儀社の話をするとずいぶん興味を持っていた。
雨に濡れているのでまず油を注いで点火する中ハシさん。飛行機の本体はよく燃えて黒こげだ。大きな動物の死体のようだった。翼はほとんど燃えない。赤く写真が重なって彩られた日の丸の部分にちょろちょろ火がついていた。
無理やり廊下を渡りバスに積み込んだこともあり、かなり機体は痛んでいた。それも敗戦前夜の飛行機として相応しかったのかも知れなかった。新聞社が感想を聞き回っていたので、ぼくも何か気の利いたことを言おうと待ち構えていたら素通りされた。
これはたぶんお盆行事とすると「迎え火」なのだろう。雨の中、零戦の霊魂はこの火を見つけただろうか。涼しいので火が温かくて心地よく、この火の形は動物と言うより炎の形をした植物が風でそよいでいるようだった。植物的燃焼。フィルムの臭いがほとんどしなかった。もっと激しいものかと想像していたが、すべて雨がその激しさを穏やかにしていた。
帰りバスの中でミニビールを刀屋の伊藤さんと一緒に飲む。斎場の帰りそのものだ。だれも喪服を着ていないし、故人をほとんど知らないが。燃やした灰は埋めるのだろうか。
「こぐれ日記」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室