Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》funeral arts management-1


vol.464.
8/6(水)
葬祭アーツマネジメントを考える(その1)

小鹿ゆかりさんらがやっているBeGoodCafe Kyoto(素敵ないいことはじめよう)という催しがあって、その第16回目に應典院事務局長の池野亮さんとぼくがゲストとして出ることになった。9月20日(土)彼岸の入り、新風館3FTRANS GENREにて(カフェのオープンは17時からで、ゲストトークは18時半から20時15分ぐらいまで。聞き手の小松潤子さんは立命館大学でぼくのアートマネジメント論のレクチャーを聞いたらしい)。

ところでテーマは『ハッピーエンディング!』だというから驚きである。
《誰もが一生に一度だけ迎える「葬送=お葬式」がテーマ。葬送のいまどき事情、死生観だけでなく、環境との関係、アートとしてのお葬式まで。
《ゲストには、「死だけ扱うのが寺ではなく、どう生きられるかを提案するのも寺の役目」と言う應典院事務局長の池野亮氏と、「葬式はARTSだ!」と研究論を説く文化政策論の異端児、小暮宣雄氏をお迎えします。生きているうちはもちろん、死んでからでも役に立つ「冥土の土産トーク」。今をpositiveに生きるヒント、そろってます。》

「文化政策論の異端児」というのが可笑しい。もう48歳なんだから「異端者」だろうな。でも異端者というと異端尋問にかかって火あぶりの刑になりそうだけれど異端児ならまだ免れそうで、そのあたり言葉のニュアンスというものは微妙だ。まじめな話としては文化政策論の正統って何?という疑問が沸くが、まあ異端にこそ神が宿るということで、チラシ文句をただただ面白がることにしよう。

もともとこのカフェは地球環境問題やNGO的平和問題などを感じ考える集まり(そのなかで音楽ライブがあったり美術工芸などが扱われたりする)のようで(一度のぞいたがゆったりした流れを若者流に作ろうという感じだった)、カフェももちろんオーガニック(スロー)フードだし、スロースタイルアウトプットの宣伝(10/12)にもちょうどいいなあとぼくも思って出るのだが、何せ葬送がテーマだから、余りにも論点が多いし整理できていないので心配ではある。

ということで、当日の小松さんの質問を想定して、どうしてアーツマネジメントを研究するぼくが「葬送」を大きく取り上げるようになったのか、そのきっかけ、関連分野、方向性などを事前に少しメモり個条書きみたいにしておこうと思う。

(1)ハッピーでないエンディングという現実
数年前から中高年の自殺の増大という問題は、昔から「新しさ」「若さ」への価値ウェイトが偏重される日本の文化価値観と、加齢することが常にマイナスイメージとして扱われるメディア文化のなかで、とても深刻なことだとずっと思っていた。滋賀の研修所にいた頃から東北のある町村で老人自殺が続発しその防止策を調べたりしつつ、高齢者が主役となれるアーツワークショップ、アーツセラピーの可能性をぼんやり思っていた。

個人的にも数年前自治省の同期が山手線で人身事故を起こし(自殺かどうかは遺書がないので不明だと遺族はいまも思っている)、最近も岐阜県副知事の2年先輩が自殺し(その原因として県の文化施設問題が取り沙汰されている)、自殺が多発している40〜50歳代の男性サラリーマン(や自営業)の強い閉塞感や逃れない責任重圧などにどう向かい合ったらいいのかということを感じることが多い。

(2)死の摂理と、摂理に反するエンディング
「死」がいつ訪れるかは誰も知らない(「神」のみが知るとだから言われる)。しかし「死」が例外なく平等に誰にも訪れることをみんな知っている。

自殺と殺人、(そしてその理由付けがいかに精密だとしても)死刑や戦争は、この摂理を基本的に破るからこそ大きな「疑問」であり、ぼくにとってはすべて「罪」なのである。そしてその大いなる疑問に関わらずそれら「自殺」「殺人」「戦争」はなくなる兆しを持たない(「死刑」制度は少しずつ国際的には減少しているが日本ではまだ、死刑廃止は少数意見に留まっている)。

(3)見えないエンディング、あるいは隠された「死」
自己の存在を、最後に他者に伝えたい間違った欲求の側面があるのではないかと思ってしまうほど、鉄道の人身事故に遭遇することが多い(社会問題化しているはずだが、これについてのまとまった考察をまだ読んでいない)。また新種の心中もネット共同自殺として気になるし、少年の殺人事件はいのちのバーチャル化の行き着くところであろうと思われる。

鉄道人身事故がもっとも典型的だが、いま「死」は普段隠されていて(最後のタブー。死のポルノグラフィー化とも言われている)、予想しないこととして、突発的にまちに現れる。それでも死体は目の前には存在せず記号(人身事故の場合は駅員の婉曲的なアナウンス)としてのみ「死」がある。

つまり、「死」は現在の日本にあって、本当はあってはならないことであるみたいに記号化され脱色されている。

(4)明治期における葬列のスペクタクル化
近代化するまでは葬列が厳粛に本来の意味をになって町を歩いた。
江戸時代には日暮れてから質素に葬列を作るべしというお達しがたびたびでたが、明治期になるとその「たが」が外れて、身分に関係なく日中盛大に行われ、「おともらい」に供養菓子や折り詰め弁当がふるまわれるようになる。その事情が分かる記述が山本有三の『路傍の石』にあると、いま読んでいる井上章一『霊柩車の誕生(新版)』(朝日選書1990)で紹介されているのである。

前提書によると看護婦が葬列に参加して資力を自慢するなどという俗世的な顕示行列には、放鳥籠や放鳥車(霊が空へ帰るお手伝いをするのだろうか)、花車やというのも加わっていたというからなかなかに興味深い(さらに《「伶人に笙鼓を鳴らさしめ」るものさえ出現》したらしい、P81)。

他者の「死」はまちを普通にパレードしていたのだ。親族の「死」も病院ではなくほとんどは自宅で家族とともに遭遇されるものであった。家族のなかで昔の子どもたちは、「死」を抽象的ではなく具体的に体験する機会があった。葬列に参加し、墓地に行き、掘られた墓穴に死体(棺)が埋葬されるさまを目撃することも多かったはずだ。

つまり、自分の死(一人称の死:厳密にはただしその覚悟や予兆というべきではあるが)はもちろん、ニュースで知る死(三人称の死)、親しい人や親族の死(二人称の死)すら、日頃隠され見えなくなっていることを、ある突然の死を思いがけず目撃することで逆に知ることになるのだ、アスファルトをめくって起きた阪神大震災時のときがその典型であったが。

この続きは、次回以降に回そう。

まだぜんぜん整理がついていないが、死の概念と文化(宗教)の発生、民俗信仰のなかのアーツ、限界芸術と冠婚葬祭との間柄、冠婚葬祭の意義、パレードと葬列、葬儀者と演出家、ワークショップファシリテーターとの類比、葬祭会館と文化ホール、文化政策としての墓地問題(揺りかごから墓場まで)、アーツマネジメントが貢献する葬送儀礼(メモリアル)とは?などの問題を指摘することになると思う。


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