Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》trip through the HOKURIKU-2
またまた抑制が利かずに昨夜のアルコールが天井をぐるぐる回している。頭が痛いこともあって、映画漬けだったにもかかわらず、きちんと映画を見たという体勢をかならずしも整えられなかったことをいつもながらに反省する。
それでも、映画がずっと10時から1時間ぐらいの単位で流れ続ける映画祭という時間は面白くて、そのあいだ、昼食を取ったり、またもや草臥れて散歩したりしながら、一日中どんどん流れるインディーズの映画を断続的に見ることができる。これは、映画祭ならではの特別な時間感覚である。
上映されていた場所は、パソコンが自由に使えるような場所もずいぶんとあるルーム(ティーズラボ)の上の小さなホール、ティーズホールであった。ティーズ=「[ti:]’s」というのは、竪町のことなのだろうからこれは商店街振興組合のホールなのだろうと小売商業課にいたときに戻って推測してみたりする。
とりあえず、いま思い出すと6本の作品を見ていたようだ。『島の見える街』の前半をみなかったのが残念だった。引きこもりの男と支援団体からの元気な派遣女の交渉の途中からだったが、そのあとの奇妙な大人二人の会話などがあって、それだけでも歯ごたえのあるものだった。
ブレヒトのテキスト(日本語訳)を外国人にたどたどしく棒読み風に台詞として言わせていた『YESMAN NOMAN MORE YESMAN』(70分、松村浩行監督、2002)は、もっとも形式的で実験映画風だった。映像的にも、微笑ましい子どもとそのお母さん(実に古いミシンを踏んでいる)のモノクロの世界がフェルメールちっくで個人的に一番惹かれた(それでも眠くはなったが)。
『ピール ザ スキン』(45分、太田和志監督、2003)は、すぐに穴のなかに入ってずっと闇の中で声だけになる作品。インディーズぽい感じではあるが、どうしても目が閉じてしまってもう開けなくなりそうだった。『銭湯夜曲』(32分、佐藤広一監督、2003)は、山形の銭湯って特に下駄入れに特徴があるなあと見ていた。ほのぼのした少しノスタルジックな映画(そう、ある意味映画らしい映画であるかも知れない)。この映画も確かそうだったが、音楽はピアノというのが多くて、別の音楽をつけるとかなり区別化することに成功するかもとも思う。
そのほかに、「グローミング」「第三の鍵 第四のグランジ」「メロウ」は見た記憶があるが、時間が経っているので(いま書いているのは翌週の火曜日)、何ともコメントできない状態になっている。
映画鑑賞の合間に散歩をした。特段どこを回るという意図もなく、水路に沿って歩いてみたり、美術館の工事現場をのぞいたりする。美術館は少し鉄骨が組まれたりしていた。大きな空間が白い塀に囲まれている。金沢市役所の建物はどこかほのぼのした赤みがかった建物だ。伝統的な建物の合間に、とてもかっちょいい医院があったりする。
石川交流サロンという看板を曲がると、そこは築80年のお屋敷で、そこでミニ書道展をしていたので、冷房中の室内をのぞく。お花がしつらえてあり、やっぱり金沢は生活芸術のレベルが高いのがよく分かる。あまりにも奇麗なのが玉に瑕なぐらいで、これは、翌日に行った「匠心庵」とも共通しているが、でもこんな場所を公共施設として使うことを何気なくやっている石川県とか金沢市の文化ストックとその価値評価力のレベルはなかなかに高い。
20時からのアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画『真昼の不思議な物体』(2000年、83分、タイ語、モノクロ)上映会は、香林坊109の4階にあるシネモンドで無料にて催された。90名先着順だったので早くから列ができていた。英語と日本語の字幕があって、日本語の字幕は見づらいこともあり、英語でだいたい用が足りることも多かった。でも、その映像は昔のフィルムみたいな荒さがあったり、奇妙な物語が語られるたびに増殖し反転するものであったりしたので、どこかで緊張の糸を切らせて、のほほんと映像の表面を眺めて見やってしまうこともあった。
市川さんが何度もこのチャッポン(フルネームで監督の名前を言えるだけでたいしたものだと思った)映画をみて、それでも後からの質疑応答で初めて謎が解けたというか腑に落ちたことがいっぱいあったというのもそうだろうと思う。上映の前に簡単な挨拶が監督自身からあり、上映後は質問に答える形であった。
作品自体を評価することはぜんぜんできなかったが、作り方の面白さはそれでもよく伝わっていた。バンコックから離れた地方の人たちが即興で作った物語の破片をどんどんとしりとり遊びのようにつなげていく。同じ村、共有されたコミュニティの物語ではなく、ふと思いついた物語断片の偶然的連想化。
物語断片自体はテレビやマンガから影響されたとてもそこでは陳腐なものかも知れないし、たわいもないものだったりする。でも、それが映画の中でつながっていくことで、とつぜんに異様な物体が「ころん」ところがることもあるのだ。それがタイトルの由来である。
フィルムがなくなるときが終わりだったという監督。確かに終わりもなければ始まりもないようにも思える(悲しい実話から始まっているようにはなっていたが)。実験的なのにとても優しい。それは監督自身の穏やかな佇まい、短い髪の毛とも共通している(かってに小乗仏教のイメージを彼にかぶらせている)。映画の物語はだから大衆であり、大衆の個人的な限界芸術なのであって、監督らはそれを触媒している。それも即興的だったりトリッキーなものだったりする(撮していることを悟らせないような、これは試し撮りですからというような)。
コミュニティ・アーツにもつながるのかとはじめ思ったが、そういう意図はなさそうだ。ただ村人たちは参加しているけれど還元されてはいないようで、これからこういう撮り方がただの素材として村はあり続けるのか、限界芸術家としての庶民たちはその芸術心を刺激してもらっただけでいいのかどうか、とかちょっと考えたりもした。
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