Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》trip through the HOKURIKU-3


vol.469.
8/17(日)
北陸への旅(その3)
〜アピチャッポン・ウィーラセタクンの映像づくりワークショップ〜

すごい雨。タイの若手監督(1970年生まれ)、アピチャッポン・ウィーラセタクン(ここでは「チャッポンさん」と短く呼びます)のワークショップ日。

ワークショップ生たち11名が撮影する現場となった武家屋敷通りの長町研修塾『匠心庵』に直接10時頃行っておいてください。そう、昨夜シネモンドに並んでいるとき金沢市21世紀美術館の市川照代さんに言われたので、傘を挿して向かう。

香林坊109のすぐ裏にも犀川から引かれた水路が流れ(アトリエ劇研のそばの町並みにかなり似ている)こんなに整備された昔の通りがあってびっくり。観光客も多く、中国からの団体さんも雨の中熱心に記念撮影をしていた。

11名がワークショップに参加、うち、4名は県外から。初心者も多いようで、すでに宿題が出されている。宿題というか、1分間の作品を創るのだが、そのために撮す場所を次の2つのうちから選びシチュエーションを考えて撮影のワークショップにのぞむという課題だ。

一つの撮影場所は大きくない部屋でオートバイとデジカメ、そして中年の男女がいるという設定である。雨に打たれたオートバイは現物よりも10倍ほど美しく写るのだなあと思う。
そしてもう一つはヘルメットと手紙、そして若い男と女二人(少し年齢に差)があるという設定が決められている。

ワークショップとして、映像の時間(1分間以内)、場所と小道具、そして俳優の使用が決まっているが、これは戯曲ワークショップでもよくする制約条件(課題)で、こうする方がはじめは創作しやすいし他の参加者と比較したり互いにアドバイスがしやすくなったりする。

いいなと思ったのは、茶室の隅にいるチャッポンさんがワークショップ生の話を熱心に英語でノートしているところ。これだけでずいぶんと映画になるシーンだと思った。とりわけ住人の話を聞いて映画を作るというチャッポン映画自体をここでやっているようで、きっとここで取られた映像とその風景としての映像が彼のなかでまた別の映画になるように思える。

また、参加者の話を平等に10分ずつ聞きアドバイスしあうということにかなりこだわっていて、これはワークショップ生をできるだけ公平にしてあげようという気持ちであるとともに、そういう淡々とした時間の使い方そのものにこれからの映画づくり(と映画のある生活)に向かう姿勢が垣間見られるのかも知れないなと思った。

最後に、ずっと活躍してくれた俳優さん(おしっこを漏らしそうになってうろうろする役とか面白いことをさせられていた)をチャッポンさんが記念撮影している。これもまたどこか素直で微笑ましい風景だなあと思う。

雨の中のワークショップ自体が、幻想的で気持ちがいい。撮影現場は見ることはできなかったが、このように撮りたいと話している言葉を聞き、チャッポンさんなどからより具体的なアドバイスをもらったあと、「さあ、どいうぞ」という感じで緊張しながら茶室を出て、20分強の時間内に映像を撮る。

それを13時半から無編集で見るわけだが、そうすると、きっとこうして撮影したのだろうな、ここでとまどって大変だったのだろうなということが映像の縁から漂ってくる。女優さんたちが恥ずかしがっていたのもおかしい(幽霊なのにどうもそうは見えないシーンがとりわけ大爆笑だった)。

昼食後の昼休みに少し話をして、山形や浪岡の映画祭のことを話すと目を輝かす参加者の初々しさとか、“私、はまっちゃった!”という無邪気さがこれまたいい感じだった(半分近くの人は自分が思っていた最終シーンまで撮れなかったけれど、それでも編集で面白い作品ができそうだという感じを持っていた)。

ワークショップの中休みに、武家屋敷通り(長町)辺りで昼食のために食事の出来る店を探すがなかなかない。観光客はどこで食事をしているのだろう。レンコンのお菓子を出すうどん屋で少し高いランチ。冷やしウドンは食べたくないので温かいうどんを注文する。思ったより量が少ないキツネうどんで思ったより味が濃い。料理もお菓子も店のおばさんが自分で作っているが、こう夏らしい天気が続くと商売上がったりだと言っている。

ホテルにあった北国新聞の朝刊に、“キリコが板キリコになってそれは寂しい”という意見と、それでもお盆にキリコという民俗信仰の行事が続く方がいいから仕方がないという意見がいろいろあるのだという記事を読んだ。

そういえば映像のワークショップでもお盆で帰ってくる新盆のお兄さんの霊というのがあった。北陸も新盆とかは盛んなのだろう。それに全体的に幽霊の話が多かった。お盆の季節というのも関係するが、お話を作るときに幽霊を入れることは結構演劇のアマチュアでもよくあるなあと思ったりする。

ところで、本来キリコというのは、お盆のときにお墓まいりに持って墓に吊すもので、木の枠に紙を四方に巻いた灯ろうのようなもの(中に蝋燭が入って墓に明かりをともす)のようだ(屋根みたいのがあるかも知れない)。ところが、板キリコはただ「南無阿弥陀仏」と表に書いてあるだけのもので、一枚100円ほどでキリコよりも安くて運びやすく、環境にも優しい(お墓の管理者が処理しやすい)と言うこともあって、どんどんこれになっているようだ。

帰りの雷鳥のなかで、そういう墓地を2つ見つけた。伝統的なキリコは明かりが灯っているようで、これは時期的には向こうの世界へと導く送り火なのだろうかと思う。ちょっと迎え火ぽい感じもするのであるけれど(金沢ではないところでは、新盆では迎え火として使うところもあるようだ。また能登ではキリコはキリコまつりとして、地域のお祭りの代名詞となっている)。


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