Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Poly Prac.&MARUYAMA Okyo


vol.476.
9/15(月、敬老の日)
『Poly Prac.』(超再生工房ポリプラック)&特別展『円山応挙』大阪市立美術館

ゆるい一日。13時から福岡県に住んでいる藤浩志さんと大阪デザイン界では話題の中心にいまいるグラフ(graf)の服部滋樹さんの対談があるから、その会場の様子を観ておこうと思って、30分ほど遅れてフェスゲの1階へ向かう(3日ほど集めたペットボトルなどを使った設営ボランティア作業が行なわれたときいていたので)。

『Poly Prac.』(超再生工房ポリプラック)。
(藤浩志さんはぼくが京都橘女子大学文化政策学部の人ということを知らないでいて、ワークショップのワークショップに参加していた布瀬さんやうちのゼミ生が彼に渡したスローライフのチラシをみて、なんと不思議なことをしている大学だと思っていたそうだ。)
(ログオーサカでは読んでいたが服部滋樹さんの実物をみたのははじめてで、終わってから名刺を渡して「大阪市にも関係していて」というと乾さんのお兄さんみたいですね、といわれてこれには戸惑ってどう答えたらいいかわからなかった。)

フェスゲ1階の殺風景な場所に、思いがけずすばらしいゲートができていて、ビニプラ侮れない!とはじめて実物に出会って思う(ドキュメント2000プロジェクトの委員会などでの議論の際には、藤浩志の署名という部分とOSがアートだという部分との関係が他のものに比べてまだオーソドックスに思われていた節があったが)。

だって、通りすがりのカップルとか親子とかがひっきりなしにのぞくほどのオーラが、脱色化されすでに化石のようになっているペットボトルの集積から発しているから。そして、それらは、つまらない環境リサイクルアートなどとは別物であることを無言で語っているからだ。おもちゃたちももすごい。これはかえっこされなかったものたちだから、まあ、価値は比較的に低いはず(1カエルポイント)だけれど、その数たるや半端でなく。

整理術ももちろんOSである。透明な容器に分けられて入れられたプラスチックの多様な姿。蓋も色別に置かれている。美しさと遊び心とすこしルーズな感じの配置の妙。選択できるようなゆるさが自由なのであって、通常にいう「不自由ではない」が一定の方向でしか便利であることを意味するのである限り、それをけして「自由」とはいわないのである。

とすれば通常にいう「不自由しない=不自由ではない」というのは、単に不便さはない、ということであるわけだ。たとえばコンビニも自動販売機も水洗便所もない、とか、単に携帯電話がつながらないということであったりするだけ。不自由しないのは間違いでただ便利であるというべきなのかもしれない。つまり、いまの便利というのには自分で選んで作れるという自由さはまるでないのだから、それは「自由ではないこと」となる。

とりあえず「自由ではないこと」を自由にあらずということで、「非自由」とでもいおう。そうすれば、いわゆる「不自由しない」生活であるモダンな状態はいまになってみればとても非自由なことだ、つまり便利さをぼくたちに押しつけているだけで自由とは違うね、ということになる。

ダーチャ(週末の別荘というロシア語らしくて、フェスゲにそういう名前のルームがもうすぐできる)の木下里加さんがその実物展示への執念を感じさせる搬入や設営を取材して感激しまくっていた円山応挙展をのぞく。近くに大阪市立美術館があるからだ。ぼくが生まれてはじめて行った美術館でもある。

道すがら野宿者のお家が並んでいる。野宿者の中では名古屋市立美術館がある公園の野宿者ハウスも美術美術していてステキなのだが、ここもなかなかにハイクラスのホームレスハウスである。ペットボトルを少し積み上げて使っているハウスもあって、これは「超再生産工房ポロプラック」と完全につながっている。

特別展『円山応挙〜〈写生画〉創造のへの挑戦』彼は何を写そうとしたのか--。

NHKの「新・日曜美術館」で昨日放送されたこともあって、びっしりの人。2500円の図録も売り切れて予約制である(送料なしで1週間後ぐらいには送られてくるというので予約する)。が、のぞき絵を実際に覗けるところあたりがピークで、最後のいちばんおいしい大乗寺の襖絵を含む立体的な復元の部屋あたりにはあんまり人は滞留していないので十分に楽しめる。小さな双眼鏡(単眼のも多い)を持って視ている人も目に付いた。

はじめの方の子犬や子ども、猫みたいな虎は、一番はじめの円山応挙のずんぐりした丸顔とどんぐりまなこにそっくりだ。顔はみんな自分の顔に似てくるのかなあ。混んでいると、その分鑑賞者たちのおしゃべりが聞けるのが楽しい。三代の家族づれも多く(そうそう敬老の日であったから)、カップル(若い人もいるが中高年が多い)はやはり男の方が解説している。

いい感じなのは、おばあちゃんやおじいちゃんが、お孫さんに「これは子犬という意味」とか難しい漢字の意味を教えていたりしているところ。これが一番の敬老の日にふさわしい行為だろう。老人の智恵が発揮できる場所としてのミュージアムがいまここにはあるのだった。もちろん高齢者自身がとてもリラックスして話し合っている。

樟葉町とか橋本とか山嵜とか書かれた淀川の地図があり、ここってどこといっている二人連れがいたので、ぼくもつい、ここに石清水八幡宮がありまして、などと彼が描いた絵を説明していたりした。

鯉だったか鮭だったか、垂直に上る姿を、きれぎれに見せるセンスに脱帽。こういう知的な部分がいちばんひかれる。ただ研ぎ澄まされた天才というのではなく、半分ぐらいは注文に応じて対応してあげる柔軟さを持ちつつ、写生ということの奥義を地味に究めていこうという画家だったのだろうと視ながら思う。

もどると、子どもたちとまわりの学生や大人たちに、かえっこバザールの説明を藤浩志さんがしていた。21日に大阪市恵美小学校で行われるのだが、ぼくは小野市教育委員会の関係でレクチャーに行くので行けず、残念だ。すこしリハーサルもして青木さんやぼくは子どもたちが楽しんで参加できポイントを稼げるワークショップを考えたりした。


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