Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》TAKASHIMA Toshio's essays
今年は残暑ということばが当てはまらないけれど、いまごろになって押さえつけられていた夏が往生際悪く顔を出してきたような一日だった。すでにアキアカネはヤンマから這いでて、秋空へと舞う準備を終了して低空飛行をしだしているというのに、蝉の亡霊もふたたび元気づいて鳴いているような、秋と夏が混濁している景色(まるであの世とこの世のにじみあいみたいだ)が日本各地で見られていたのだろう。
きょう私は、高松市役所11階、教育委員会事務局の文化振興課へ14時に行けばいいことになっていたので、このインターンシップ生激励訪問のほかにはなにもとりたてて仕事もなく(パソコンがないと何もできないのが不自由でもあるが)のんびりした9月の始まりである。
高島俊男の文春文庫2冊が旅のみちづれ。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』、『お言葉ですが・・・』。高島さんの漢語を中心とした言葉にまつわるエッセイたちは、言葉を使う自分の至らなさを感じさせてくれつつ、権威にずけずけともの言う語り口が楽しく時間があっという間にすぎる。
それだけではなく彼のお話は、「言葉(文字)の文化政策」にも大いに関係する内容なのである。たとえば裸を隠す衣服の襞とか模様が原義であるとする「文」という漢字の持つ意味(もっと古く甲骨文字では、裸だから野蛮人と漢族が思っているその入れ墨模様が「文」の起源だったとある漢和辞典にはあるが)がたとえば取り上げられている。
すると、その「文」の「化」というそもそもの漢語が、自分たちが世界の真ん中にいると思っていた(いまもそう思っているだろう)漢族が野蛮な連中(日本は「東夷」)をこの「文」で感化/教化する(平伏させる)行為ということになる。それも衣服を着るかどうかが、そこに文化があるかないかを決める原点だったことになりそうだ(もちろんただ裸を覆うのではなく、衣服についての身分間の差違やTPOのエチケットを含めて「文」なのだろうが)。
ただ、「文武」はどちらも野蛮人を漢族が支配統治するために必要な手段であって、「武化」という言葉がないのは、武力で征服しても「文化」しないと平時の統治が不可能だからであろう。古来から「観兵」(いまの軍事演習や軍隊パレードのように武力を見せて戦わずに平服させる)もまた、「文化」として重要だった指摘が高島さんからあってこれも考えさせられる重要な指摘だ。
だから、文化は武力を使わないから結局は平和ということで、日本国の文化振興、文化発信は世界に寄与するものだと簡単に思ってしまうのは単純すぎるし(漢語と西欧語の借り物が大半を占める日本語との「腐れ縁」関係など一顧だにせず)、常に文化の一つ宗教が世界を戦争の渦に巻き込んできたことをオミットしているからかなり危ない言説である(教育基本法のなかの文化をいまごろ援用して日本国の文化振興を広げようとする人たちのなかにそういう人がいる)。
なお、高島さんに教えてもらったとおりに、ここでいう「漢語」とは中国人の9割以上を占めるけれど他の民族もいっぱいいてしたがって言葉もいっぱいある中国(=ホントはチャイナと同じルーツの「支那」と呼ぶほうが適切)のなかの漢族の言葉という意味で使っている。中国には漢語以外にいっぱい言葉があるから、中国語というとその中国(支那)にあるいっぱいの言葉群を指すのね、ホントは。
「満洲」は「満州」ではなく、文殊(菩薩の名前)と同じ意味で民族名(女真族は確かに習った)なのだそうだ。清国を創った連中が自分たちの民族(日本では韃靼人と言っていた)を「満洲」と呼んだなんて、そーかという驚きばかり。知らないことが漢語、漢字には多すぎる。
高松駅をおりて、建設中のシンボルタワーを眺める。四国一高いビルになるのだそうだ(県庁舎もかなり高い)。このなかの低層部分に高松の新しい市民会館が入るのだな。
13時50分に高松市役所文化振興課へ。みんな職員は名札のほかに首から自分が書いたモットーをぶらさげていた。これは最近のことだという。緑のはねとか社章バッチとか、組織内一体化を高まるためのツールは前からあるけれど。
馬場課長に関経連の報告書や大阪市の発行物などを渡す。何かの役に立つかも知れない。彼女がまた池上先生の課した質問票を持ってきて京都橘女子大学文化政策学部1回生の学生が来たという(彼女は文化振興が長いからなあ)。3年間とも同じ質問だし、しかも抽象的すぎてどうもよく分からないピントが合わないものが多くて、逆に質問の趣旨を学生に聞いても分かるはずがないから、まず学生が自分で質問の意味を考えるようにしてもらわなくちゃねといわれる。ホントにそうだ。少しぐらい改良しなくては相手側に悪いし手抜きがバレル。だったらインターンシップ生の中條さんに答えさせたらどう?といっておく。
実際の中條さんは地元の女子学生と一緒にパソコンでチラシを作っていた。彼女がすでに作ったのとしては、平成15年度デリバリーアーツ事業「日本×インドでコラボレーション〜佐藤通弘×吉見征樹」があって一部もらって帰る。このデリバリーは6年目になっていて、今回は小学校体育館で2回公演(無料)をするらしい。休み期間が終わってからなのが残念だ。なお、先週は文化財の現場にも連れてもらったということ。
みんなと新文化会館の工事現場を見せてもらう(高松市文化芸術センターとか言っていたな。来年5月オープンだが財団は来年2月にはこちらに移るかも知れないということ。この財団に中條さんら私たちの卒業生がなんとか潜らせてもらうといいのだが)。まえに北九州芸術劇場も見せてもらったが(そういえば北九州からは、オープンしても何も案内とか資料とか送ってこないなあ・・・)、ホールの建設現場はこの時期しか見れないのでどきどきする。できてしまうとだいたいそんなにびっくりしないけれど、劇場の建設は一度だけの世界なので階段で上がったり下りたりしながら、完成後になっていまの状態を思い出せるかしらと考えたりした。
ぼくがこの新市民会館建設のための委員会の委員だったことを現地ではだれも知らなかった(馬場さんは覚えていただろう)のはびっくりしたが、あの委員会って何だったのかなと思ったりする。その当時の構想では大ホールは確か1200席ぐらいだったが、これは900〜1500席の可変ということに落ち着いていた。
かなりぼくは強く県民ホールが西洋クラシック音楽中心なのでそれ以外のジャンルを!と言ったはずだが、今日の説明では大ホールの基本は西洋クラシック音楽ですと言っていた。ただ、イスは会議ができるように机が出るという。2つの小ホールはどちらも300席ぐらいで、もう少し大きいぐらいのことを言っていた気がするが、まあ、小劇場演劇やダンスにとっては使いやすくなると思う。
「こぐれ日記」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室