Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》TOKYO TRIP

vol.486.
11/2(日)
NPO法人アーツワークスの理事会のための東京日帰り紀行

一年に一度は少なくとも東京に行かなくてはいけない。NPO法人アーツワークスの理事会と総会があるからだ。ところが、去年は失礼してしまった。今年はついでに森美術館を見学するというおまけつきで、のぞみに乗った。思った感じに六本木ヒルズは人混みが激しく、渋谷のホテルのカフェでは東京国際映画祭が始まっていた。

『ハピネス』と名づけられた森美術館開館記念の展覧会では、ルネ・クレール監督『幕間』がどういうハピネスなのかよくわからないが映写されていて、ここにはだれも入り込んでいないので、とても静かに鑑賞できてとてもよかった。葬送シーンが、いつの間にか踊り出す葬列者と、疾走する葬送車になってしまう。

あとは、現代アートにまじり仏像とか春画とかもあって、内容といい、アクセスの物々しさ(すき間の空いたガラスの階段を並ぶ)といい、こんな比較がいいのかどうかわからないが、信楽の宗教教団が経営しているミホ・ミュージアムととても似ているなと感じた。

でも、ぼくに必要なのは森ビルでも渋谷での国際映画祭でもなく、延命寺でのコミュニティを強く意識した企画や来年へ向けての西陣ファクトリーガーデンでの公演などの打ち合わせである。横浜の旧銀行建物の利用について応募するならば、アーツワークスの価値をうまく伝える必要があると鈴木英生さんと話し合った。

ところで、平盛小の糸井さんが掲示板日記の更新をしていないなあと思っていたら、自分でホームページをつくって、そこに書いて保存することにしたという。http://wake35.hp.infoseek.co.jp/
「学校に新しい風を」。ほんとうに必要なことを自分の手できちんと続けている人は非常に少ない。同じことを言っていても口だけの人がどんなに多いことだろう。もっともらしいことばかりを発言したり新聞などで「発信」したりするだけで、おいおい誰がすんねんとつい言いたくなることもままある(ぶつぶつ)。

えらいなあ。ぼくはいまだに鈴木さんのお世話になったままだ。さいきん鼻血が出たりまぶたがひくひくしたり、どうも48歳という年齢がじわじわとぼくの鑑賞体力を脅かしているように思えてならない。ビールを控えめにとか、ストレスをためないようにとか、ちょっとは気をつけようとしても、なかなかに習性はかえられない。

この糸井登さんには、大阪市中央青年センターからのNPO法人アーツワークスへの委託事業の関連(それに大阪市文化振興事業が重なるからややこしいけれど)で登場してもらおうと思っている(3/28だけと思っていたら、3/21にもあってここでアーツコンペをするかもしれないと本田さんから連絡があったということ)。

逆に、糸井さんからは、ASIASの関連として、京都でシンポジウムがあるから出てくれと言われていて(1/31の予定)、それを予定していたら、金曜日に立命館で福原さんから、それどころではない展開をエイジアスはするのですよという。アーツワークスとエイジアス、メンバーが重なるようになれば、ツインNPO法人とかイレコ型とか、変幻自在な有り様が模索されるのかもしれない。

こぐれ日記もそろそろ形態を変えた方がいいのかなあと「のぞみ」に乗りながら考えた。こういうスケジュール確認やら繰り言ばかりになって日録とかわりなくなってしまう今日この頃だからだ。まあ、それも本来の日記かな。行きののぞみの隣の女性は、ぼくの席のはずなのに、ワンコロを毛皮のコートの上に座らせていて、座ろうとするとこのワンコロすぐに吠える。ワンコロに「かわいくない」とかいう女主人。かんぜんに男に媚びる甘え声だ。飼い主に似て恐がりなのだろう。極端なミニスカートでワンコロにミネラルウォーターを飲ませると黒い網の脚に水がこぼれて、それを見せるのもサービスというふうに顔をぼくに向けてくる。

「すみませんねえ、犬、平気ですか」(いやだと言えばどうするのだろう)。
夜の微笑で言われると何だか中洲のクラブからやってきた女なのかとつい昔を思い出す。名古屋までは窓際に座ってきたが、男がそこに座ってからは居眠りをしてぼくの肩に頭を寄せる女主人とはべつに、ずっとワンコロはぼくの顔を見続けてにおいをかいでいる。ときに物売りがくると、やっぱりうなる。女が眠りながらあやす。・・

昨日のあさ、はたよしこさんから電話があって、近江八幡での11/23のシンポについて事前に打ち合わせをしたいという。でもぼくの空いている日は服部正さんらが忙しくて無理なので、ぼくは当日早く行くのでよろしくと行っておく。

ワンコロと黒ミニスカ女の観察をしながらも、新幹線は読書が進む。その服部さんの『アウトサイダー・アート〜現代美術が忘れた「芸術」』についてが『あいだ』94号に書かれてあって、とても参考になる。藤原貞朗『現代美術の外と内をめぐる逆症療法』というコラムだ。

《著者は、芸術家たちと関わる指導者の理念や普及活動を伝えるだけではなく、制作者に接する態度そのものを客観的に記録しようと努めている。ここでも著者は、制作者の心のケアや自立を重んずる多くの指導者たちの姿勢から一歩退き、あくまでも芸術として関わる立場を取る。・・・一言でいえば、アウトサイダー・アートのアウトサイダーとして立ち会い、当事者ではなく観察者として、作品と芸術家に接するのである。非アウトサイダーでなければ、作品を真摯に受け止めえないこともあるだろう。このスタンスの選択は、ともすれば当事者間の内輪話に完結し、胡散臭さを纏ってしまう議論を、芸術的場へと接続するために著者が自ら課した賭けであろう。・・》

雑記の日記でも、引用部分で役立つこともあるかも知れない。『あいだ』には、それ以外にも、国立民族学博物館の対象がほとんど昔の植民地民族なのかという赤松啓介の当時(1977)の文章に感銘を受けた。これもアウトサイダーアートと関係するフォークロアアートの課題だ。西洋は民族博物館扱いではなく「西洋美術館」という場による「美術」扱いであり、「後進国」アートは美術館ではなく博物館扱いであって、それが西洋のキュレーションではじめて美術館に収蔵されてきた経緯も考え合わせていかねばならない。

帰りは、中部地域の芸術批評誌『REAR』(芸術/批評/ドキュメント)4号をキチンと読む。キチンと読むと見ていない美術展のことも何となく見えてくる。移動時間しかじっくりと考える時間を作っていないことの寂しさも感じるが、『あいだ』でもこの『REAR』でも、妻有アートトリエンナーレのことがほぼ好意的に書かれている(お金が無駄にかかっているという池田龍雄もいるが)。もし3年後、第3回の大地の芸術祭があればこんどは避けずに行こう。


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