Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》popol-vuh&FUOKA Manami

vol.507.
1/27(火)
ダンスセレクション11の初日 at アートシアターdB

すーっと日中に溜まった疲れが流れ落とされるときがある
こんなにダンスは愛おしかったのかと改めて気づかされて
ぐんぐん前のめりになる、ダンスボックスの席にいながら
まだ眠るわたしのダンスの渕をのぞきたい欲望がまさって

言葉を連ねる徒労と、断定することの不可能さと愚かさに
ひるむ芸術交通の日常は寒さの中でとぎれがちな心の閉塞
それでもなお、暗闇の中から生まれたもう一つの現実の事
ダンスが奮い起こす勇気について考える、帰りの電車にて。

日中、大学の部屋に閉じこめられて、ひたすら採点と集計。そのあとのアートシアターdB、ダンスボックス、ダンスセレクション11(明後日の、2日目、伊藤愛、黒子さなえ、花砂はぼくは行けず残念)。

日中繰り返しの労働に疲れたわたしは、いまここにあるダンスたちにこれほど生かされ、確実に水を浴びる。肺魚がナイルの氾濫で生き返るように、などというと大げさだが。それは、世界に真摯に向き合うダンスによってであり、忘却のエンタテインメントのよってではけしてない。

ダンスセレクション11の1日目。TELESCOPE『あと少し』、ポポル・ヴフ『ドライトマト』、そして福岡まな実『夜島』。はじまりの動きの激しい男性デュオから、ポポルの女性デュオが静かでその対比が絶妙であった。今回のポポルは特に映像と音楽を合わせてカルテットというほうがいいぐらいに重要な役割をしている。一本調子という難点に恐れず営まれる勇気と深さに感心する。

ポポルのまどろみからまっすぐの光が夜なのに射し込む、それはダンスの光だ。
つまり、びっくりしたぐらいにかっこいい福岡まな実『夜島』のはじまり。4つほどの歌謡曲ぽい歌(一つはフォーク調だったか)の島があるが、その情緒に溺れずきりりと世界に向かう。でも、もちろん少しはにかみ緩む優しさとの対比がラストの後ろ姿に漂って・・・。

TELESCOPE「あと少し」というダンスは、後半に動きのレベルがアップしてストリート系の感じが面白かった。はじめはごろごろ。途中のユニゾン部分などはもう何度この手の動きを観たかという感じだがこれも尾てい骨みたいにだんだんなくなっていくものだろう。

暗転からすぐに次のダンスが編まれていく。今日は20分弱ずつ3組が出るのだが、意識的に、一続き(20:07〜21:01)の舞台鑑賞を可能にした制作は、素晴らしいステージングである(が、ダンスボックスならもう当たり前の進行だと誰もことさら誉めなぞしない)。

線香花火みたいなモノクロの映像が、ぼんやりと現れる。見えているのに見えないもの。よく見えないものを見せるのがアーツの醍醐味というが、その逆もあるのだ。このポポル・ヴフ『ドライトマト』の映像担当、PUBWAYのものを見るとそんなことにも気づかされる。ひたすら回る風速計。映像のとぎれが世界の隙間をなぞる。もう意味もなく回っている、水面の反射ぐらいを伴わせて。ただクレーン男のクレーンのように、何も測る必要もないことで、でも何かを測っていることになる。

ポポルの音楽もそうだ。聞こえているのに聞こえない気がする。鳴っているのに鳴らない。その断絶を聞く。そういう安穏としてはいられない途切れを聞く聴き方があるということをみつける歓び。

手のひらが旋回し、鳩の形が右上上空に飛翔する。何ものかがこぼれ拾い集める。集めても集めてもそれはもう形に戻らない。いったいぜんたい。それがどうしたというのかというありえない細やかさのコマドリなダンスの隙間に、じつはかすかに夜明け前のデジタルカメラの目では感知できない薄桃色のダンスがある。

音はチェロだろうか(岡村明香、舩橋陽)。18分間ぐらいを映像も音響も一色で行く勇気。まずここにポポルヴフ(中心の徳毛洋子と今日は一緒に踊った梅田育枝)の勇気がある。これはどんどん作品づくりが鋭敏になり繊細になるほど削ぎ落とされていく典型例だなとあとで思う。

それまでまあこういうダンスもダンスだなあと思って引き気味に椅子に凭れてずりそうに座っていた1組目から、ポポル・ヴフのはじまりのあとは、気がつくとずんずん前のめりになりながら、しかも福岡まな実「夜島」が終わると背筋しゃきっと伸び上がってダンス席にいながら身体をぐんぐん変化させている自分がいることに驚く(もちろんその変化は身体だけではないことは言うまでもないが)。

ポポルのそれは、両手広げた二人のぼんやり白い姿があって、見えるのに見えない何ものかへと吸い込まれていくところから始まった。頭がすーっと覚醒しつつ、面白いのは、二人が交互に夢と現(うつつ)を往復する微細な表情(顔だけでなく、指先や腕や肘のあたりなど多様に発見させられるのではあるが)に、自分の覚醒のレベルが変わっていく。

二人は最後まで交渉しない。立ってのびあがったりなどしない。お互いのタイミングを探ったり、姑息に美しいデュエットなど踊ったりはしない。でも反発しているのでもない。かたわらをかたわらとして認め合う肩と肩のすきまに二人のずれと共鳴への希求がある。

さても福岡まな実『夜島』である。君のことが好きだよとただただカタルシスに落とされていくダンス。すがすがしくもたくましく、でも繰り返すしゃっきりポーズの最後はひらすら愛しげでもある。光まぶしく等身大を直視する。「脱スター化」という踊り。そんなことを左脳では考えつつ、それにもかかわらず、幾重にも心の中でカーテンコールしてしまう(右脳な)ステップが続いていく。


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