Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》HIMAWARI-MEIKYU by SUGIYAMA.Jun
暖かくなる。
クセノス+さらんプロデュース合同企画公演『ひまわり迷宮』構成+演出:杉山準、75分。6公演の最終回に間に合う。限定50席で前売と当日が同じく2000円。学生は1000円となっていてぼくら大学関係者には嬉しい設定。
内容的にも、若者への媚び(流行のネタとか音楽とか)があるわけではないが、学生たちにも馴染みやすい設定となっている。暗転によるポエティックなシーンのモザイク構成は杉山的ワールド(原作は神田直美など)なのだが、転換の跳躍は比較的穏やかなものとなっている。
ストーリーとは一見無関係に挟まれる「ごまのはえと二口大学の狂言回し」的面白さも見逃せない。でも、これはただ面白いだけでなく、卑語とかあだ名とか子ども時代に後ろめたくもわくわくしたことどもの残渣がざわざわと漂い、余韻が果てしなく続く舞台となる。
30歳になった男(葛西健一)とその妻(内海佑子)の今(年老いつつある母との関係にも言及される)が軸になりつつ、高校時代やそれ以前の男のフラッシュバックが随所にあって、甘酸っぱい懐古とほろ苦く後ろめたい感情などが混入した作品だった(簡単に言えば)。
昨夜アートシアターdBに行ったときもそう思ったが、アトリエ劇研まで歩きつつ、こうして劇場へ向かえる幸せを思う。この松ヶ崎駅から歩く行き方は、パナクリエイトの松本茂章さんが劇研にアドバイスしたと彼が言っていた。パナクリエイトでいらなくなった座布団がアトリエ劇研にも敷いてあったので、そんなことを思い出す。
アトリエ劇研、旧アートスペース無門館にはじめて行ったのは、10年ほど前、まだ地域創造が出来たか出来る前ぐらいのときで、大阪の橋本敏子さんらとここへ故遠藤寿美子さんを訪ね、いろいろと話を聞き、事務所からホールを見せてもらった(ちょうどその頃井上明彦さんらの自由工場が岡山市と京都で行われていて、その調査と一緒だった)。
真っ暗な小屋で、家屋から続くように案内されたためもあって、劇場と言うより大きなガレージみたいだなあと感じたのを思い出す。チラシを一所懸命畳んでいる若い人たちがいた。海外でのNPO的小ホールのネットワークのことを教えてもらったりした。遠藤さんは、ぼくと同じくやはり東京から熊倉夫妻も来たと嬉しそうに話していたなあ。
2時40分の開場ですと安藤きく(京都橘女子大学の4回生〜文化政策学部が出来ていたら絶対にこちらに入っただろう学生)が知らせている。彼女が制作の責任者なのか。うちらの学生が制作スタッフになることが増えている。この動きをもう少し加速し、目に見えるものにできるかも知れない。若手制作者の懇親会も開かれたようだし。
宣伝美術と写真はモトキシノブ。彼女が宣伝美術もするというのは朗報だ。いま宣伝美術を担う人たちのファイリングに苦労していたから。
舞台美術と空間構成が美術家の宮永甲太郎(レンガ積みの土に芝生の種を生長させる作品などとてもプロセスを大切にする人)。照明(神田直美)でいいなと思ったのは、始まる前の天井の明かりが円に並んだ模様になっている可愛さと、そのときだけ白い不安定な感じの居間の床に大きなひまわりが写しださせるところだった。
通路を多用して客席の背後に台所を感じさせる演出、小屋をとても広く空っぽのままに使い白いシーツが干されてまた別に使用されていくなど劇場の空間の変化として見所が多いし俳優の即興でつくられていく実験的な作品づくりならではのスリルがある。
ただ、語られる内容は職場を首になった男のめちゃくちゃ踊りから始まって等身大の部屋とベランダの風景である。白い砂の上に敷かれた白い布が居間であり、その仮の居場所のいまというあやふやな時間のなかで、女の優しさや嫉妬や激情や、男の閉塞する世界と自分の関係などが蠢く。
さらに、同じ舞台を使って、男の青春の断片が白昼夢のように思いがけず、無邪気な小鬼(ごまのはえ、二口大学)やヌーディーな女性の幻想(耳の不自由な高校生とのほのかな交流の想い出がその夢のルーツだとあとで分かる:よこえとも子)によって象徴的に取り上げられていく。
また、ダンサーの森裕子がお母さん役に挑戦。彼女の台詞を聞けるなんて意外であるがとても幸せな気持ちになる。その上、主人公の息子と広島旅行でのバランス歩きが次第にダンスへと移るあたり、彼女を起用することの面白さがうまく引き出されていた。
自分から誘ったその女性がミスド(ミスタードーナッツ)にいて、そこで耳が不自由であることを知った高校生の自分が、すーっと気持ちが冷めてしまったことをどうして妻にいま男は告白したのか(それが本当かどうかも分からないが)。
それを妻はなじるわけでもなく、あっそうという感じで(ある面ほっとして)ミスドのドーナツ向日葵を受け取る。いま葛藤があり過去の悔恨があるから、男はシーツにくるまった女子高校生のイメージを夢見るのだろうが、そこでも言葉は伝わらずシーツに包まれた女を抱くのみだった。
冒頭のシーン、妻には聴き取れない男のつぶやき「きょう仕事、首になった」、あるいは母が息子に告げる「手術することになった」という告知。それらはどちらも、すぐには相手は理解できずやりすごしてしまう。女は下の犬のことを話し、もうすぐ犬と一緒に暮らせることを素直に喜んでいた最中のことだったし、母は、広島旅行をしてくれた息子とともに、精一杯自分の元気さを見せて子どものようなバランス遊びをして息子も安心してしまう。
一番伝えるべき大切なことは相手にすぐには伝わらない。あるいは、「容易に聞こえない言葉が相手にも自分にも、もっとも重要なのだ」というテーゼを考えながら、松ヶ崎への道を帰っていった。
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