Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》HANA-NO-MACHI

vol.517.
3/7(日)
江間章子作詞『花の街』を巡って〜あるいは、京都芸術センターでのトヨタ/シンポに「観客のプロ」として出てみたら〜

朝、ご飯を食べながら、おおたか静流のベストCD2枚組を聞いている。アレンジが悪いんよねえ(シンセサイザーとか電子ピアノ、打ち込みにはいつもうんざりする)といいつつ、2枚目を珍しくずっと流す。と、「花の街」。これは別、どうだって好きなんだよなあと、ぼくがご飯の途中に歌い出すと、芳江が、いつも「花の街」が流れると‘あんたそうよ’と言う。

きっと大阪市立野田小学校の音楽室で演奏した思い出が甦るからだ。
ビゼー/カルメンの序曲もやった(どこかの会館で発表した)けれど(レコードをまず聞かされたときは、あんなに早く演奏できるとはまず思わなかった)、教室で手始めにやったこれら教科書にあった曲のことが印象的だ。さらに、5年、6年といつもコントラバスを取りに用務員室に行ったときの用務員さんの感じとか、そのにいた犬、しめった畳の匂い、学校なのに住居ぽい空気とかを思い出すからだ。

そうだ、『トヨタ・子どもとアーティストの出会い』シンポでは、この歌詞をめぐって話そうと思いつき、歌詞をメモる。いま考えても3番がどうしても不思議だからだ。合唱したとき、これは悲しいからやめましょうと先生が言ったことをおぼろげながら覚えている。たしかに、暖かい風のリボンが流れてきて、花が咲き出す春をもたらす歌にどうしても似合わない(戦後すぐのこの時期だから、戦争で犠牲になった人たちのことで泣いているという解説を作詞者はしていたとあとで調べると書いてあった)。

どうして「すみれ色してた窓で/泣いていたよ街の角で」なのだろう。いったい窓で泣いたのか、街の角で泣いていたのか、どちらなのか。論理的に考えてもいけないな。きっとどっちでもあるのだろう。泣いていたのは、ぼくとあなたと両方かも知れない。でも、どちらのことも知らない、ってしておくか。あるいは、窓に立っていると、街の角で泣いているあなたを見たということでもいいか。

でもどうしてひとりなのに「輪になって輪になって」泣くのか。誰をみて誰が「ひとりさびしく泣いていたよ」と報告されてしまうのか。ここでかってにシンポの話として、こんなこじつけをした。・・・
小学校にアーティストが来ることは、きっといままでになく楽しいことが起きるだろう。管理社会な学校、到達評価ばかりで息苦しい授業とは違って、体験自体が成果という発想が、気持ちいい風を児童と教諭の間に吹かせてくれるかも知れない。

でも、やっぱり心が開くことができない子はいるはずだ。いて当然である(なかには、学校に気に入られるアーティストというだけでどこか自主規制している=制度順応型だと本能的に感じで拒絶するほど鋭い子だっている)。あるいは、アーティストが来てくれてそのときだけ開放された子もまたいる。

どちらにせよ、そんな子どもたちにとっては、また息苦しい学校生活が繰り返されていくのみだ(学力向上型授業に順応している児童がアーティスト授業を嫌うことはもちろんあるし、それはそれで当然だが、ちょっとほっとする感じにクラスはなるはずだ、いつものヒエラルキーが解消されたのだから)。

でも、きっと学校にはどうしても適応できない子たちにも、ほっとする場所と時刻がはるはずだ。それが道草に最適な街の空き地であったり、廃屋であったりする。そして時刻は放課後、夕暮れどきである。先生だってもう教室にも運動場にもいない頃。学校だって、授業が終わると、がぜん楽しくなる。部活をしなくても、何だかピアノを弾いたり、たとえばぼくはしたものだ(女の子に感心してもらいたかったからだけど)。

ということで、「街の角」が大切であって、ここに「泣く」こともまた大切なのだと思ったのである。理由のない寂しさ、古い言葉だが人間存在の孤独のようなものを空気として、ある振動として感じる。歌のように、踊りのように日暮れが「輪になる」のだ。「輪になる」とは孤独が共振する様子なのだろうと思う、とても反語的だが、だれだって一度は経験するような気持ちのいい寂寥感が、にぎやかに楽しい春の風、花の街の興奮のあとにやってくる。

砂連尾理さん子どもの頃にも紙芝居屋さんが来ていたという。街の角の懐かしい風景。家と学校の間のぽっかりとした「あいだ」。ぼくらの時代はビラをまくチンドン屋もいた。大野町商店街を恵比寿神社の近くまでいくのを追いかけてしまって、ふと振り返るととてつもなく遠くまで行った記憶がこれもおぼろげながらにある。芸人(広告芸術家だが、アーティストといってもぼくはいいと思う)が街にいる風景。これが大切なのだ。

だから、学校にアーティストが来ることも大切だが、それがきっかけで、子どもたちが街に出て欲しいと思う。帰り道に道草できるようになってほしいと思う。泣ける町角を見つけて欲しいのだ。ただ、ぼくたちが作者が戦後願ったような「花の街」を作ってきたかどうかはかなり危ないが、子どもが「花の街」を見つけるような環境づくりだけはこれから何とかしていかなくちゃいけないと思っている。

児童館や図書館、もちろん、芸術センターやホール、美術館だって、「花の街」づくりなのだ。「一人寂しく泣ける街」づくりなのだ。そのために「まちこわしでないまちづくり」を。これを「まちつかい」って言いたいのですね、ちょっとまだ未整理だが。

「花の街」の作曲は団伊玖磨、作詞は、江間章子(えましょうこ)である。
あとで調べたら、江間章子さんという人は岩手県出身でどこかの名誉町民になっている人で、1947年にこの「花の街」を作詞したあと、1949年に名曲「夏の思い出」、そして、1955年(ぼくの生まれた年だ)に「花のまわりで」を作詞している。すごく大切でずっとお世話になっていた詩人の方だったのに、京都芸術センターでは、よく知らない人ですが、なんて自分の無知さを公開してしまった。

京都芸術センターでのシンポのあと、交流会はパスして、アルティへ行った。3つめからのダンスを見たが、それぞれなかなかに面白かった。ぼくはやっぱり人前でしゃべるよりも観客、聴衆、鑑賞者であることを意識的社会的にしているという意味での「観客のプロ」、「見るひっぱりだこ」なのだ。アルティって舞台のすぐまえの席が意外といいのだということに初めて気づく。

Rosaゆき『黒い蝶』の椅子でうたた寝する身体を描いたずりおちるダンスの物憂さもよかったし、その前に対照的に動きまくる、男三人組、TELESCOPIC「ブレスレス」の息の実感も潔くて感じよかった。でも、一番よかったのは、驚かれるだろうが(=最近の少女趣味からばればれかも知れないが)、あえらすの『灯のさすほうへ』の風音の4人の女性たちだった。もちろん、井上亜梨砂のけばい美術も迫力満点だったな。


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