Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》2PIECES OF ESSAY

vol.535.
5/23(日)
【番外編】極小エッセイを2つ

今日はパンプレスの原稿を午前中書いた。題して「アーツの授業づくり」。これについては、いずれパンプレスのサイトにアップされる。http://www.pan-kyoto.com/review_preview_FrameSet.html
ただ以下のものは、サイトとしては登場しない可能性が高いので、小さなエッセイを2つ保存しておきたい。

この二つは、神戸市の会議関係のもの。以前にもこぐれ日記500で1つだけ紹介している。

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《「手」伝う文化創出》
 文化における参加事業やボランティア奨励は、下手をするとマスコミ操作による上からの大衆動員や国家コミュニティに忠誠を誓う運動になる危険性がある。戦時中のナチや日本の勤労報国制度を省みればファッショ的参加の恐ろしさがよく分かるが、ゆめゆめ、参加やボランティアを規則で義務づけたり採用条件にしたりしてはならない。

 職人の技に触れることで知る無駄のない所作。何気ない動作から未知な振付が創出する瞬間に立ち合った喜び・・・他者と直接に関係する福祉ボランティアと違い、文化ボランティアには「自身の楽しみと習得のため」の比重が高いという特質がある。

 そのため、特に若者が携わる文化活動は、他者の存在に気づかせるアーツの意義、伝統文化を未来に継承する使命を明確にして、「自身のため」の活動がその使命を通じて同時に社会の他者へと向うことにもなる論理が要請される。

 このとき、実際のお手伝いではじめて貴重な体験が「手」から「手」へと伝わるのだから、文化においては実は奉仕を連想する「ボランティア」よりも、徒弟制のようではあるが「文化お手伝い」の名称のほうがいいと思っている。

《アーツを通って「文化」を縫い直す》
 アーツを通っていく「みち」。私たち一人ひとりがそこを通ることで、一筋ずつ残されていくみち。そのみちが数多く交わり編み込まれることでできる網目。もしかしたら未来の「まち」はこの網目としてひょっこり生まれるのかも知れない。

 最近アーツとは「針」じゃないかと思っている。社会への鋭い警告として怠惰な私たちをちくりと刺す「針」。そして同時に、人びとの生活の蓄積としての文化資源を探しだし縫製していまに生かす「針」。でも針はまちの文化を「縫い」終わったら、もう別の仕事に取りかかる。だからアーティストはお針子さん。芸術施設は針箱や針山、アーツマネージャーは指あてだと。

 生活に芸術を、都市に文化を。これらのスローガンの奥に、潜む「みち筋」(プロセス)のようなものを考えること。これが神戸市で行われてきた会議の意義であると思う。すなわち、このみち筋は、双方向だと考えると分かりやすい。

 生活に芸術をプレゼントして芸術を応援するとともに、アーツを通って私たちの生活をかけがえのないものに!
 都市が文化に貢献するとともに、文化を大切にすることで次世代へ希望を継ぐ都市へ!


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