Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》BOYAKI-KAHU
永井荷風の日乗を電車に乗るたびにぱらぱらと見る。おやじ、おふくろ、ぼくではなく、荷風は「先考」、「母上」、「余」「予」である。こちらが漢文書き下し文的文語体の簡潔なるリズムにに慣れ出すと、確かにこの日録のような口語体日記って雑ぱく過ぎてかっこわるいなあと思ってしまう。
たとえば、1919年5月12日。大震災(大正12年10月3日には、帝都が「灰燼になりしとてさして惜しむには及ばず」と書いてあったりする)の4年前。帝国劇場で梅蘭芳『酔貴妃』を鑑賞して「大いに感動し」て以下のように書く。
《・・余は日本現代の文化に対して常に激烈なる嫌悪を感ずるの余り、今更のごとく支那及び西欧の文物に対して景仰の情禁じがたきを知ることなり。これ今日新に感じたることにはあらず。外国の優れたる芸術に対すれば必この感慨なきを得ざるなり。然れども日本現代の帝都に居住し、無事に晩年を送り得る所以のものは、唯不真面目なる江戸時代の芸術あるがためなり。川柳狂歌春画三味線の如きは寔に他の民族に見るべからざる一種不可思議の芸術ならずや。無事平穏に日本に居住せむと欲すれば、是非にもこれらの芸術に一縷の慰藉を求めざるべからず。》
このような感慨の日乗は珍しく、たぶんに大仰な文明論であるが(いまでも外国で社会的テーマが明解なメッセージ的演劇を観て、それと比較する形で日本のいまの演劇一般を大上段からひとしなみに論じる輩が後を絶たないが)、そのあとが面白い。
ここ日乗にある世界は、単に忘れ去られようとしていた江戸回顧趣味というだけでなく、西洋芸術(「真面目芸術」である純粋芸術)との真っ向勝負をあえて避けつつ、自らとその関係者で楽しむ限界芸術的遊興(「不真面目芸術」)であって〜いろいろな女の元で楽しんでいる荷風〜、その視点からいまにも通じる面白いテーマになりそうだ。
ところで荷風はここで「晩年」と書いているがまだ41歳。斜に構えた人なのだが、他方、素人女を買ったり、お金のことをあれこれ書いたりその俗物ぶりもまた楽しい。ただぼくがこの41歳のときに、これほど荷風の日乗のため息に感銘したかというとそうではなく、もうすぐ49歳にしてようやく同じような諦観と憤慨の心情を共有しつつあるのだろうと思う。
(話題はいささか転換して)
昨日、研究室で採点などしないで、八幡市文化センターで行われていた『鳴り物の魅力イブニングロビーコンサートvol.12(ドリンク付き1200円)に行けば良かったなあと思う。今日もまた、学生を連れてアトリエ劇研に行き、京都芸術センターまで案内したが、そのあと、高級串焼きなど食べさせないでいれば、近くの誓願寺ホールでやっていた、自らの会『冬虫夏草』には間に合わせたなあとあとで反省する、アートシアターdBのクルスタシア『R』には間に合わなかったとしても。
アトリエ劇研、壁ノ花団結成第1回公演「壁ノ花団」へ。2度目を観て最初よりずっと面白くなった。終わりもちょっと余韻が残っているように感じ、それほど唐突とは思わなくなった。
さまざまな照応に気づくことが多い。無精卵とか喪服とかオートバイとかステッカーとか。テンペストに紅茶の変遷。最初の観劇でも気づいていているようでありながら、より濃厚にその関連がぐいぐいつながっていく。小津映画って観れば観るほど面白いが、それと似たディテールの照応ぶり。観たのに見逃していたと思わされていく得難い作品である。
今回は先に書いたように、ただ、これは、1回生の基礎演習でもあった。松ヶ崎駅に14時までに来るようにいったが、それまでに来たのはたったの5人。10分近く遅れて、あとの5名がくる。
改札口と表との往復3回。チラシに載ってある地図も持っていないので、一本道まで連れて行かなくてはいけない。こういうチーチーパッパはずいぶんと慣れてきたが、やっぱり何だか空しい作業ではある(いつになったら一人で歩けるようになるのだろう)。
携帯電話でしか連絡が取れない。来るはずの2名は烏丸御池から反対方向、竹田駅まで行ったと言うこと。もちろん地図ももっていないから、橋本さんや垣脇さんに迷惑をかける。まあ、12名が公演中、無事何も言わずに携帯電話も鳴らさずに最後まで観ていてほっとはするが。
誰もチラシなど地図を持ってきていない。携帯電話で友達に聴けばいいやという安易な気持ち。知っているところしか行かない、知っている人しか話さない、見ているもので共通の話題といえば、テレビ(はなはテレビがない生活に少しずつ慣れているようだ)。テレビの誰かに似ている人というのが人物の特定化。
いずれもいまに始まったことではないが、芝居が終わった後に食事をしていても、いっこうに話題はそこへは向かわない。する話と言えば、明日何のテレビ番組を見るのかとか、東京ディズニーランドにまた行きたいとか。ハリウッド映画の話とか(去年も京都みなみ会館に連れて行って空しさだけを覚えたっけね)。
実演舞台の話と言えば、せいぜいに劇団四季のミュージカル。一方でお金がないから演劇や美術展には行けないと言う(今日など1000円は大学から出るのだが、それでもこんなもので)。
「馬の耳に念仏」「猫に小判」「ブタに真珠」などなど。
観劇後に、あやうく口に出そうになることわざである。でも馬や猫やブタにしたら、念仏も小判も真珠も必要ないし、第一、いまにふさわしい諺を作らないと言っている意味が分からない(お金や宝石がない生活の方がシンプルで理想的かも)かも知れないなあとも思う。
「政治に正義」「コマーシャルに真実」「首相に忠告」「天皇家に自由」「劇団四季に批評」、まだこちらの方が分かりやすいかな。
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