Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》supplement-Naknishi Nobuhiro
今日の始まりは、手帳を忘れたことから。この前研究室に忘れて困ったのですが、今度は家のテーブルに忘れてしまい、東寺で気づいて芳江に電話(今年は目立つように真っ赤な大きな手帳なのになあ)。はなと会う予定を変更してくれてギャラリーそわかまで届けてくれることに。
彼女の到着まで、東寺の伽藍のなかに入ることにする。境内の周囲はがらくた市のときに来たり、ぶらぶらするけれど、柵の中に入ったのははじめて。宝物館から出たときに京都橘女子大学の学生二人にも会ったりした。そわかの展示も見るようにいえばよかったな。
思ったより観光客も少なく、目の前には、ゆったりと菩薩や如来たち、それを護るいろんな連中と向かい合う。奈良派のぼくでも、やっぱり仏像と寺のマッチは独特に感じて飽きない(ガラスケースで対面するのとは全く違う心持ちになります)。五重塔は見るだけなのが少し残念だが庭とかなかなかにキレイに整備されている。
講堂はやたらと仏像がいて、これが立体曼茶羅なのか。四天王に囲まれて、5人の如来、5人の菩薩、5人の明王、それに梵天と帝釈天がいる、密度高し。はじめて知る名前も結構ある。明王系がとくにそうだ。隆三正明王とかいろいろ。
不動明王の顔とその後ろにいる金剛夜叉明王の顔がじつに情けない。うけぐちでいかにも愚痴っぽい顔をしている。めちゃ人間くさい仏像。ぶつぶつ不満いいながら仕方なくおさまっている感じがする。
金堂はどーんと薬師如来がいてその下に十二神将がいる構図。とくに両側の巨大な蓮が大いに気持ちを揺さぶる。この大きさがいい。天の花だからな。茎の下に獅子みたいのが小さくいることで、とても巨大さを強調する立体造形にしばし刮目。
ついでに東寺宝物館、2004年春期特別公開甲本修復完成記念『東寺の大曼茶羅図〜甦るみ仏 花開く美〜』も。中国から来たという仏様3像の顔がどこかエキゾチックで微笑んでしまう(お賽銭はここにも置かれていた。モネの絵とかロダンの彫刻の前にもお賽銭箱を置くと面白いかもなあ)。両界曼茶羅って言っても種類が多く、敷物になったり、梵字中心だったり、種子の曼茶羅だったり。曼茶羅っていうとどこかおどろおどろする感じだが結構パステルみたいな軽い色調のものもあった。
国宝の曼茶羅はやっぱり綺麗で、朱の縁取りが顔を彩り、これもエキゾチック。四方に書かれている花と葉が美しくしばし見とれる。でもそのすぐ中には餓鬼道の人たちなのか裸の老婆に爺がいて、死後の世界にもある階級差についても思いを致す。
さて、ギャラリーそわか。今日から始まる『supplement』中西信洋。Kyoto Art Mapの一環。紙粘土みたいなもので出来た大きな物体が一つどーんとある。ギャラリーがぐーっと収縮しているように見える。入る前に、すでにその空気感を予感する。ところが、ドアがあき実際に入ってみると、今度はその立体物に隙間があり、近づけば近づくほど、空洞の迷路のように、空洞の方が主役に見えてくる。
それでも、塊の大きさが背景に引くというのでもなく、いつもより画廊が狭い感じは続く。作者に聞いたところ、一度切断して高槻にある彼の作業場から持ってきてまた接合したという。作品が大きいと保存と運搬、それに設営が創作ももちろんだが大変な作業なのだ。
通路にあるデッサンは、細い線で「空白」を浮き出すような走り書き。その中の一枚はどうしてもぼくもぜったいかいたことのあるようなデジャビュ感がある。かなり共有できる無意識のドローではないかと思いつつ、奥の部屋へ。
奥の部屋には中ぐらいのやっぱり空洞が塊と同等の比重になった作品(少し違うが比喩として言えばねずみが囓った立法形のチーズ様)が数品置いてあって、一つだけ少し離れて設置。それ以外はぐっと中央に置いてある。それによって、いつもよりここもぐーっと求心的な感じ(作者がそうしたというよりも作品たちがかってにまとまろうと引っ張り合う感じ)に空間が印象つけられている。
地下が特に狭く感じる。それは作品がぎゅっと真ん中に数点置いてあって、ぐるりと回っているうちに、ごつんと頭を打ったからそう思ったのでもあるが、作品たちがまとまろうまとまろうとしている。ここの作品たちは空洞が空いているのではなく、相撲の土俵につかう土を機械を使わずに固めたものだという。
サプリとか言って栄養補助食品のことをいうように、タイトルの「supplement」はいま馴染みの言葉になっている。もともと、補うことという意味で、幾何学で補助線を引くことなどとして使われたりする。もし昼間に正餐(dinner)を食べたときなどは、夕食はそれを補う食事としてsupperになったりするわけで、supperとかとも仲間みたいな言葉のようだ。
この展覧会では、物体自体が何かのsupplementでもあるのだが、その何かとは「空洞」とか「空白」を感じるための補助線というか補助物なのだということになる。さらにいえば、「色気」(いろけ)を感じるといういい方があるけれど、それを援用すれば「空気」(そらけ)を感じさせる作品とでも言えるなあと思いつつ、まだ興奮して中西さんらに感想を言っている芳江を残して、京都駅へ急いだ。
そわかの2階では、中西信洋が主に入口の大きな作品を作るまでのドキュメント映像(20分間)が上映されていて、作るまでの過程、その前の散歩している風景などが映っている。散歩しながら、彼が気になる風景や植木の形の話など、とても面白く見た。監督はNHKでお世話になっている山本千歩。展覧会の様子もビデオにとって全部で40分のアートドキュメント作品にするということである。
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